ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

百島散策

2013年10月21日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
秋の夜も更けてきました。

百島散策です。

十文字山、桂川も・・然り。

今宵は、桃島を百島と名付けた人物を、ぼくのイメージする世界の中で、追いかけています。

軍殿山・・これは、殿軍(しんがり)部隊を逆様にした先頭部隊だという気負いかも知れません。

嘉吉の乱・・足利義教が暗殺された嘉吉元(1441)年6月24日、その場所は、京の都、二条堀川近くの赤松満祐の自邸内でした。

その赤松邸は、南北は現在の丸太町通のやや南から二条通まで、東西は西洞院より西にあったとか・・。。

その界隈に、赤松家の家臣家来も暮らしていたと考えられます。

地図を辿ってみると、その周辺が、不思議と、百島内の地名と名字と一致するものが多いのです。

室町、戦国、江戸時代、そして明治維新まで・・ずっと口伝えで、地名や名字を残すことによって、百島の謂れを継承していたのだと考えます。

秋の夜も明けてきました。

百島散策は、楽しいです。