秋の夜も更けてきました。
百島散策です。
十文字山、桂川も・・然り。
今宵は、桃島を百島と名付けた人物を、ぼくのイメージする世界の中で、追いかけています。
軍殿山・・これは、殿軍(しんがり)部隊を逆様にした先頭部隊だという気負いかも知れません。
嘉吉の乱・・足利義教が暗殺された嘉吉元(1441)年6月24日、その場所は、京の都、二条堀川近くの赤松満祐の自邸内でした。
その赤松邸は、南北は現在の丸太町通のやや南から二条通まで、東西は西洞院より西にあったとか・・。。
その界隈に、赤松家の家臣家来も暮らしていたと考えられます。
地図を辿ってみると、その周辺が、不思議と、百島内の地名と名字と一致するものが多いのです。
室町、戦国、江戸時代、そして明治維新まで・・ずっと口伝えで、地名や名字を残すことによって、百島の謂れを継承していたのだと考えます。
秋の夜も明けてきました。
百島散策は、楽しいです。
百島散策です。
十文字山、桂川も・・然り。
今宵は、桃島を百島と名付けた人物を、ぼくのイメージする世界の中で、追いかけています。
軍殿山・・これは、殿軍(しんがり)部隊を逆様にした先頭部隊だという気負いかも知れません。
嘉吉の乱・・足利義教が暗殺された嘉吉元(1441)年6月24日、その場所は、京の都、二条堀川近くの赤松満祐の自邸内でした。
その赤松邸は、南北は現在の丸太町通のやや南から二条通まで、東西は西洞院より西にあったとか・・。。
その界隈に、赤松家の家臣家来も暮らしていたと考えられます。
地図を辿ってみると、その周辺が、不思議と、百島内の地名と名字と一致するものが多いのです。
室町、戦国、江戸時代、そして明治維新まで・・ずっと口伝えで、地名や名字を残すことによって、百島の謂れを継承していたのだと考えます。
秋の夜も明けてきました。
百島散策は、楽しいです。