ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

昨日の一票。

2017年10月20日 | 百伝。

昨日は、期日前選挙に一票を投じて参りました。

今回の衆議院選挙・・不思議なことに、反原発、原発ゼロの旗を掲げ、北朝鮮のミサイル発射の脅威を論じているのにもかかわらず・・。

先日、ノーベル平和賞を受賞したICANの国際核兵器廃絶キャンペーンを高く評価、広く喧伝する・・被爆国としての選挙論戦もありません。

アメリカの核の傘にある日本の政権の正式のコメントは、「非核へのアプローチの違い」とのこと。

そのアメリカのハリウッド世界では、この頃毎日・・大物プロヂューサーによるハラスメントが話題、ニュースとなっています。

「ハラスメント文化」というものが、存在するのかな?

個人間、組織間での贈収賄も含めての政治、経済問題に繋がる社会風潮という文化?

個人が、他人や組織の問題、行動に無関心、無責任という文化?

日本語にも、「イジメ」というものがあります。

子供も大人も「イジメ」やら「過労」による自殺なんて・・嫌ですよね。

嫌だけど・・子供から高齢者まで油断禁物。

どの地域、どんな人生にも、「イジメ」は、ずっと人影のように必ずどこかに付いています。

最近、読んでいると、とても悲しくなった記事がありました。

「イジメ」「ハラスメント」による心の傷、トラウマによって、40代、50代の中高年になっても、引きこもり生活者が数万人の単位で日本社会に存在しているとのこと。

生活の根本的な幸福感は・・人間関係の出会い、その善し悪しによって決まります。

政治家には、身を切る庶民生活感・・その辺の人生哲学を備えて欲しいものです。

振り返れば、百島での小学校、中学校時代・・多少の「イジメ」はあったかもしれません。

(でも、我々の同級生間には殆ど「イジメ」は皆無でした!)

高校時代は勿論、大学時代にも、社会人になっても・・「イジメ」は存在します。

でも・・恐れてはなりません。

怖れるほど・・人生は、つまらなくなります。

陰湿なイジメには、「暴力」という対抗手段が有効なのは事実です。

それよりも、こんな一言を。

「おまえの言葉、言動が間違っている。人を恐れさせている」

「おまえの家族の誰かがイジメられているのを想像してみぃや。悲しくなるぞ」

「自分がイジメられているのを家族に知られたら悲しいけど、イジメをする自分の本性が世間に知られると、もっと嘆き哀しいぞ」

「加害者より被害者の方が正しいのは事実」

今の日本社会は、生まれた時点で、既に貧富の格差が始まり、そのまま貧困が広がってしまいます。

日本総中流社会と呼ばれていた昭和の高度経済成長時代が懐かしいです。

若者には、何度でも失敗できる「学び抜く力」という教育を。

中高年には、何度でも挑戦できる「生き抜く力」という学習の場を。

高齢者には、「・・」。

感情で表情が変わる人生よりも、表情で感情が変わる人生の方が、賢い人生のような気もします。

明日を、私たちで決めよう。・・いいね!

昨日の一票が、明日への清き、賢い一票となりますように。