今、生涯でいちばん手洗い、うがいをしているのではと思いながらの日常生活。
毎朝、体温計で検温、発熱があれば出勤しないこと。
50歳の時、医療介護の業界に転職しましたが、振り返ると有意義な日々を頂戴しています。
花粉症の季節でもあります。
梅祭りの如月二月も明日まで。
明後日から弥生三月の桃の節句。
桃のアレルギーがあれば、梅のアレルギーがあるのかもしれません。
日本には、桜のアレルギーというのはあるのかな?
桜を見る会かな?
福井からも、自民党代議士の稲田朋美さん絡みで、桜を見に行ったとか聞きます。
行くと、いい事、あるのかな?
アレルギー(過剰反応免疫)反応は、ウィルス感染同様、その問題は難題。
今年のアカデミー作品賞の韓国映画パラサイト、あの半地下家族の絆には、大騒ぎしながらも新型コロナウィルスにも免疫力が備わっているかもしれません。
「我(わが)家は貧の極みなり。資産なく、余財なし。よく清貧に安んじ、足ることを知らば、我家の幸福これに過ぎざるべし」(ある政治家の言葉)
新型コロナウィルスの感染対策、お国柄がよく見えます。
例えば、時間にルーズなイタリア人、それでも今回の感染拡大には、素早い対策を次々と実施。
時間厳守を大事にする日本、決断力が突発的で遅い。
今日は、かつて吉田茂首相が、バカヤロー解散をした日だとか❗
新型コロナウィルスに対して、バカヤローの声は高まるばかり。
今の安倍政権は、粛清と粛正を勘違いしているのでは?
粛清とは、邪魔者すべてを根絶やしにすること。
粛正とは、綱紀粛正、正しいこと、公平なるものを道しるべとする。
一昨日の地元新聞のコラムに感心。
下記に抜粋。
【越山若水】二・二六事件からきょう、84年目を迎えた。福井県人としては初の総理大臣岡田啓介。その名の記憶を毎年刻み直す日だ。そんな折に岡田と誤認され殺された松尾伝蔵大佐の手紙が岡田直筆の色紙とともに坂井市の民家に残されていることが分かった。貴重な史料が掘り起こされ喜ばしい▼岡田の足跡を知ることができる出版物に1956年の「岡田啓介」がある。遺族の意向もあって生涯を逐年ごとに叙述する偉人伝とはせずに、政治家岡田に比重を置いている。それでも当時の内閣担当記者で執筆を担った有竹修二は序文で人間岡田に迫っている▼執筆前、福井を訪れ市立郷土歴史館に郁(いく)夫人に宛てた岡田の訓誡(くんかい)の書が保管されていたことを知った。岡田は海軍将校時代、留守が多かったため、後を託す夫人にしたためたもので有竹は精読し「母を、家を、児を思う誠心歴々として、夫人の心奥にある琴線に触れたことと察せられる」と記している▼訓誡の書「道しるべ」の一節。「我(わが)家は貧の極みなり。資産なく、余財なし。よく清貧に安んじ、足ることを知らば、我家の幸福これに過ぎざるべし」。有竹は「智情意三徳兼備の人」として岡田を改めて見直すに足る資料と結んでいる▼「桜を見る会」を巡り、野党議員の挑発の言葉に腹を立てやじり、結果としては謝罪する宰相。岡田にはどのように映っていることだろう。
毎朝、体温計で検温、発熱があれば出勤しないこと。
50歳の時、医療介護の業界に転職しましたが、振り返ると有意義な日々を頂戴しています。
花粉症の季節でもあります。
梅祭りの如月二月も明日まで。
明後日から弥生三月の桃の節句。
桃のアレルギーがあれば、梅のアレルギーがあるのかもしれません。
日本には、桜のアレルギーというのはあるのかな?
桜を見る会かな?
福井からも、自民党代議士の稲田朋美さん絡みで、桜を見に行ったとか聞きます。
行くと、いい事、あるのかな?
アレルギー(過剰反応免疫)反応は、ウィルス感染同様、その問題は難題。
今年のアカデミー作品賞の韓国映画パラサイト、あの半地下家族の絆には、大騒ぎしながらも新型コロナウィルスにも免疫力が備わっているかもしれません。
「我(わが)家は貧の極みなり。資産なく、余財なし。よく清貧に安んじ、足ることを知らば、我家の幸福これに過ぎざるべし」(ある政治家の言葉)
新型コロナウィルスの感染対策、お国柄がよく見えます。
例えば、時間にルーズなイタリア人、それでも今回の感染拡大には、素早い対策を次々と実施。
時間厳守を大事にする日本、決断力が突発的で遅い。
今日は、かつて吉田茂首相が、バカヤロー解散をした日だとか❗
新型コロナウィルスに対して、バカヤローの声は高まるばかり。
今の安倍政権は、粛清と粛正を勘違いしているのでは?
粛清とは、邪魔者すべてを根絶やしにすること。
粛正とは、綱紀粛正、正しいこと、公平なるものを道しるべとする。
一昨日の地元新聞のコラムに感心。
下記に抜粋。
【越山若水】二・二六事件からきょう、84年目を迎えた。福井県人としては初の総理大臣岡田啓介。その名の記憶を毎年刻み直す日だ。そんな折に岡田と誤認され殺された松尾伝蔵大佐の手紙が岡田直筆の色紙とともに坂井市の民家に残されていることが分かった。貴重な史料が掘り起こされ喜ばしい▼岡田の足跡を知ることができる出版物に1956年の「岡田啓介」がある。遺族の意向もあって生涯を逐年ごとに叙述する偉人伝とはせずに、政治家岡田に比重を置いている。それでも当時の内閣担当記者で執筆を担った有竹修二は序文で人間岡田に迫っている▼執筆前、福井を訪れ市立郷土歴史館に郁(いく)夫人に宛てた岡田の訓誡(くんかい)の書が保管されていたことを知った。岡田は海軍将校時代、留守が多かったため、後を託す夫人にしたためたもので有竹は精読し「母を、家を、児を思う誠心歴々として、夫人の心奥にある琴線に触れたことと察せられる」と記している▼訓誡の書「道しるべ」の一節。「我(わが)家は貧の極みなり。資産なく、余財なし。よく清貧に安んじ、足ることを知らば、我家の幸福これに過ぎざるべし」。有竹は「智情意三徳兼備の人」として岡田を改めて見直すに足る資料と結んでいる▼「桜を見る会」を巡り、野党議員の挑発の言葉に腹を立てやじり、結果としては謝罪する宰相。岡田にはどのように映っていることだろう。