百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

百始笑。

2021年03月10日 | 百伝。

1987年か、1988年の秋の小春日和だったかな?

ロンドンから郊外のカンタベリーまで、高速道路をフォルクスワーゲンのレンタル車で飛ばして走っていた時の出来事。

サイドミラーに赤い点が見えたと思ったら、あっという間に真横で少し並走して来た真っ赤なフェラーリ車。

相手の運転手を横目で見ると、相手もこちらを見ていました。

目力のある笑みを浮かべた男・・・な、なんと、セナだ❗

車の名前ではないよ❗

当時、F1の貴公子、今でも伝説のドライバーと呼ばれるブラジルの英雄アイルトン・セナ❗

あの瞬時の並走から、あっという間に遥か先へと消えて行ったスピード違反常習者、セナ❗

北陸道路下り杉津(すいづ)PAから、下に見える北陸道路上り杉津PAを眺めながら、ふと、そんな事を思い出していました。

週末、真夜中の高速道路は、軽自動車がたくさん走っています。

夜が明けるにつれて日曜日の早朝は、3ナンバーのラージバン、高級車、外車等々の車が現れて、どこに行くのやら続々と走り過ぎて行きます。

それに関連して、先週末の土曜日、尾道大橋を渡った向島側のパーキングエリアのトイレで出会った同年代の人を、思い出しました。

なぜ向島まで行ったかというと、山陽高速道路福山西ICで降りて、尾道バイパスから、しまなみ海道に入ると、尾道市街地に行く分岐点ボイントが分からないので、そのまま尾道大橋を渡り、Uターンするのです。

そこで、向島エリアのトイレに立ち寄っていると、あとからすぐに、広島ナンバーの真っ白なポルシェが続いて入って来ました。

福井ナンバーで初心者🔰マークを貼り付けた小さな車に乗る同年代のオッサンの僕に興味を示したのか、ちょっと立ち話。

ちょうど対向車線の尾道水道側に近く眺めのよいスペースがあるのに車が入れないようにしているのが残念だとコメント。

目の付け所が観光資源探しの視線です。

これから、瀬戸田にオープンするホテルに関わっているので行くとか・・・好印象を備えた人物でした。

別れ際、ちょっと先で白いポルシェが停車して道を譲ってくれて、スムーズに尾道大橋をUターン出来ました。

互いに手を挙げて、さようなら。感謝。

はて?

瀬戸田に行くのに、しまなみ海道の新尾道大橋ではなく、生活道路の尾道大橋を通っていたのは?

そう、明るい日中に目立つ場所を高級車は走るのです。

跳ね馬をエンブレムにするポルシェ、フェラーリ・・・真夜中の高速道路をトラックと競って走っても疲れるだけで、優越感満足感は味わえないのでしょう。

さて、杉津パーキングエリア、ここには何十回も立ち寄っているけど、いつになく敦賀半島の廃炉となった原発「ふげん」がはっきり見えました。

あの山の裏側には、廃炉となった増殖炉原発「もんじゅ」もあります。

余談ですが、ふげん、もんじゅの名称由来・・・「普賢、文殊の両菩薩は、知慧と慈悲を象徴して人間社会の幸福に役立つ菩薩で、獅子と象という車に乗って、ぼさっとした菩薩ではない」のです。

さらには、日本海のハワイと呼ばれる「水島」が敦賀湾に浮かんでいるのも、はっきりと見えました❗・・・ちょっと感動🎵

芭蕉は、此の地で「秋の月」を詠みましたが、「春の月」も仲々佳きものです。

丑年の今年初めての尾道への帰省は、母の入院先となる病院となりました。

獅子であろうが、象であろうが、駿馬であろうが、牛歩であろうが、力強く前に微速前進。

百歳まで走る春馬となれ。

されど、百歳まで元気で自立生活出来る基軸となるのは安全運転・・・東大に入るよりも難しいのです。