ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

京都鷹峯と百々散策。

2021年12月02日 | 日本の百々巡り。

京都、北区鷹峰を散策しました。



鷹峯と言えば、学校の教科書にも登場する本阿弥光悦、その人が暮らし、ここに眠る日蓮宗光悦寺。

そして、光悦寺から僅か百メートル程離れている曹洞宗「源光庵(げんこうあん)」

本堂の中にある「悟りの窓」と名付けられた丸窓と、「迷いの窓」と名付けられた四角窓が、つとに有名です。

悟りの窓の円型は「禅と円通」の心を表し、円は大宇宙を表示。

迷いの窓の角型は「人間の生涯」を表し、生老病死の四苦八苦、つまり生と死、または病気などの辛い感情を表示しているとの由。





残念ながら、源光庵は庫裏改修工事のため拝観を長期休止中、拝観再開は来春予定との事でした。



(写真提供:京都府観光連盟)

44年ぶりの鷹峯散策でした。

京都市北区鷹峯・・京都中心部からかなり外れに位置しますが、かつては丹波の国方面への始発地のような場所でした。

それが、丹波に続くこの古道長坂道の降り口です。

(余談ですが、丹波地方の方言は、百島の言葉と似ています。)





四季育む宿「然林房」の傍らに急坂の古道が、東海自然道として残っています。

この宿の朝食は、44年経っても変わる事なく美味です。



さて、光悦寺の表と裏の一対の参道出入口です。





本阿弥光悦のお墓です。



江戸時代初期、この鷹峯に移住して、今風に言えば、鷹峯を芸術村にしたという人物でもあります。





境内からの京都市街地の眺めも好いです。

船岡山も見えます。



鷹ヶ峯、鷲ヶ峰、天ヶ峰(桃山)の三山・・よく見えませんでした。





ところで、現在の茶道の祖となる千利休という名前。

利休とは、「名誉も利益も求めない(名利共に休す)」という禅語の意味合いとなるようです。

ある日、利休は、天の声?神様?仏様から「千の幸福を授けよう」と言われました。

利休は、「千の幸福など求めません。百の幸福で十分です」と言ったとか?言わなかったとか?

百利休ではなく、千利休となった謂れは分かりません。

応仁の乱の際、京都は荒廃して大徳寺の山門再建努力したのが一休和尚、二階部分を千利休が行ったとの事。

その事で千利休は切腹する運命となります。

余談ですが、日本の禅宗に大きな影響を与えたのが、中国の百丈懐海(ひゃくじょうえかい)禅師の言葉で「一日不作、一日不食」。

「一日(いちじつ)作(な)さざれば、一日食(くら)わず」と読みます。

働かざる者、食うべからず・・かな⁉️

うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ (良寛和尚)



今回の百々と鷹峯散策、とても楽しく懐かしく、ひと休み(一休)出来た時間となりました。