調布市深大寺。
上京して予備校通いの浪人生の頃、下宿していた新宿区牛込原町から、一番よく訪ねた場所。
当時、深大寺ヘは、中央線吉祥寺駅丸井ビル前からバス、あるいは京王線つつじヶ丘駅前からバスで通う不便な場所にあり、兄が暮らしていた下宿先が深大寺だったのです。
不思議な下宿屋でした。
通常は各部屋の仕切りはドアだけですが、そこの仕切りはドアだけでなく廊下側にも窓があり、それが開けた窓の役割をしている雰囲気がありました。
下宿人は、兄を含めて5人ぐらいだったかな?中央線、京王線界隈の大学生。
代々、先輩方からマージャンを教える風潮があり、雀荘のような下宿屋でした。
何故か知らないけど、「赤い鳥」の後藤さんというフォークシンガーの方も、時々、マージャンをする為に遊びに来るとの事。
紙ふうせん、翼をください・・連想します。
下宿していた大学生の先輩方、皆さん兄と同じ歳で、浪人生だった僕をよく可愛がってくれました。
亜細亜大学の軟式野球同好会に所属していた身体がゴツい先輩。
「うちの大学は楽しいぞ。短大も併設、キャンパスには女子学生がいっぱい。周辺の大学生がよく学食に遊びに来ているぐらいだ。勉強出来なくても単位も取りやすい、うちへ来い。うちの大学は楽しいぞ❗」
私立男子制の工業高校を卒業したばかりの僕としては、心が大きく頷きました。
翌年、武蔵野にある亜細亜大学ヘGo と相成りました。
さらに、武蔵野吉祥寺にある成蹊大学アーチェリー部に所属していた先輩。
とても優しい方でした。
小学校からの一貫校成蹊大学ヘ来いとは薦めなかったです。
ご本人もお坊ちゃん育ちなのでしょうが、そんな素振りは一切なくて、成蹊大学はそれなりにお上品だと言っていました。特にアーチェリー部には、お金持ちの坊ちゃんばかり、国会議員の息子もいるとの事。(後の安倍元総理大臣です)
あの先輩、今どんな想いでアーチェリーとの青春を振り返っているのかな?
ファイトです❗
さらに、いつもサンダル履きだった法政大学工学部の先輩。
自称湘南ボーイの楽しい人でした。法政大学工学部は男ばかり、亜細亜大学が羨ましいとの事。
「ルージュの伝言」がヒットしていた頃、この歌手は必ず大物になると予言していました。まさかとは思いましたが、予言通り荒井由美さんは大当たり。
旅好きだった先輩、学生時代、百島の我が家まで遊びに来たり、その後、英国で一度ロンドンを案内した際には、そっと謝礼を僕のバッグの中に置いて帰国、しなくてもいいのに、その心遣いに感謝。
いつまでも、元気であってほしい先輩です。
振り返れば、あの深大寺。
兄を含めた先輩方、最寄り駅までバスで通わなければならない不便な、あの深大寺にある下宿屋を何故選んだのだろう?
雰囲気かな?
進学後、僕は、それが嫌で、最寄り駅に歩いて行ける下宿先を選びました。
それでも、深大寺ヘすぐに行けるように中央線沿いの荻窪を選びました。
でも、僕の下宿生活は、あの深大寺のような深く大きな結び付き、絆はなかったです。
各部屋はドアで仕切られていて、卒業すれば、そのままお別れでした。
深大寺の青春。
社会人になっても、深大寺での青春群像は忘れられずにいました。
暮らしたアパートは、京王線沿いの国領、深大寺と同じ調布市内を選びました。
もう何十年も行っていない深大寺。
縁結びと蕎麦で有名な深大寺。
深大寺は、気持ちの中で遠くにありても近い青春の杜です。