百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

深大寺 青春の杜。

2022年07月13日 | 福伝。

調布市深大寺。

上京して予備校通いの浪人生の頃、下宿していた新宿区牛込原町から、一番よく訪ねた場所。

当時、深大寺ヘは、中央線吉祥寺駅丸井ビル前からバス、あるいは京王線つつじヶ丘駅前からバスで通う不便な場所にあり、兄が暮らしていた下宿先が深大寺だったのです。

不思議な下宿屋でした。

通常は各部屋の仕切りはドアだけですが、そこの仕切りはドアだけでなく廊下側にも窓があり、それが開けた窓の役割をしている雰囲気がありました。

下宿人は、兄を含めて5人ぐらいだったかな?中央線、京王線界隈の大学生。

代々、先輩方からマージャンを教える風潮があり、雀荘のような下宿屋でした。

何故か知らないけど、「赤い鳥」の後藤さんというフォークシンガーの方も、時々、マージャンをする為に遊びに来るとの事。

紙ふうせん、翼をください・・連想します。

下宿していた大学生の先輩方、皆さん兄と同じ歳で、浪人生だった僕をよく可愛がってくれました。

亜細亜大学の軟式野球同好会に所属していた身体がゴツい先輩。

「うちの大学は楽しいぞ。短大も併設、キャンパスには女子学生がいっぱい。周辺の大学生がよく学食に遊びに来ているぐらいだ。勉強出来なくても単位も取りやすい、うちへ来い。うちの大学は楽しいぞ❗」

私立男子制の工業高校を卒業したばかりの僕としては、心が大きく頷きました。

翌年、武蔵野にある亜細亜大学ヘGo と相成りました。

さらに、武蔵野吉祥寺にある成蹊大学アーチェリー部に所属していた先輩。

とても優しい方でした。

小学校からの一貫校成蹊大学ヘ来いとは薦めなかったです。

ご本人もお坊ちゃん育ちなのでしょうが、そんな素振りは一切なくて、成蹊大学はそれなりにお上品だと言っていました。特にアーチェリー部には、お金持ちの坊ちゃんばかり、国会議員の息子もいるとの事。(後の安倍元総理大臣です)

あの先輩、今どんな想いでアーチェリーとの青春を振り返っているのかな?

ファイトです❗

さらに、いつもサンダル履きだった法政大学工学部の先輩。

自称湘南ボーイの楽しい人でした。法政大学工学部は男ばかり、亜細亜大学が羨ましいとの事。

「ルージュの伝言」がヒットしていた頃、この歌手は必ず大物になると予言していました。まさかとは思いましたが、予言通り荒井由美さんは大当たり。

旅好きだった先輩、学生時代、百島の我が家まで遊びに来たり、その後、英国で一度ロンドンを案内した際には、そっと謝礼を僕のバッグの中に置いて帰国、しなくてもいいのに、その心遣いに感謝。

いつまでも、元気であってほしい先輩です。

振り返れば、あの深大寺。

兄を含めた先輩方、最寄り駅までバスで通わなければならない不便な、あの深大寺にある下宿屋を何故選んだのだろう?

雰囲気かな?

進学後、僕は、それが嫌で、最寄り駅に歩いて行ける下宿先を選びました。

それでも、深大寺ヘすぐに行けるように中央線沿いの荻窪を選びました。

でも、僕の下宿生活は、あの深大寺のような深く大きな結び付き、絆はなかったです。

各部屋はドアで仕切られていて、卒業すれば、そのままお別れでした。

深大寺の青春。

社会人になっても、深大寺での青春群像は忘れられずにいました。

暮らしたアパートは、京王線沿いの国領、深大寺と同じ調布市内を選びました。

もう何十年も行っていない深大寺。

縁結びと蕎麦で有名な深大寺。

深大寺は、気持ちの中で遠くにありても近い青春の杜です。