この頃、毎朝観てしまうNHK 朝ドラマ「らんまん」。
先週は、東京帝国大学植物教室で万太郎と同じく「雇い」の画工として働いていた野宮が、世界初イチョウの精子を大発見したという偉業シーンがありました。
これは、ダーウィンの進化論発見と同じぐらいの大発見と言われています。
だって、植物イチョウの動く精子を発見したという事は、いつかは植物(動物)が動物(植物)に進化する可能性もあるかもしれないのです。
この野宮朔太郎の実在モデルは、福井出身の平瀬作五郎。
公式な学歴が無い画工から植物学者に変身したものの、その後の人生は不遇だったのかどうか? 何とも言えません。
福井の偉人、平瀬作五郎は自分が出来ると思い、未来に自分を映し出したのでしょう。
福井市内日の出に生まれた平瀬作五郎、その12年後、ほぼ同じ地域に地震学の父となる大森房吉と岡田啓介(2,26事件時の首相)が生まれました。
彼らは、幼なじみなのです。
百年昔の9月1日は、関東大震災発生日。
当時の東京帝国大学地震学教室には、二人の地震学者がいました。
日本地震学の父と言われる大森房吉教授(福井出身)。
もう一人は、大森よりも二歳年下の日本地震学の神と言われる今村明恒助教授(鹿児島出身)。
詳細を省きますが、当時の二人の論争対立、人間関係が非常に興味深いのです。
「天災は忘れた頃に来る」と言ったのは寺田寅彦。
「くれぐれも災害予防の事、一日も猶予すべきにあらず」と言ったのは今村明恒。
福井の偉人、大森房吉は大震災の予知していたにも関わらず、それを浮説として否定。
未来に自分の想いを映し出す事が出来なかった大森房吉は、関東大震災発生後、国民に謝罪、その1ヶ月後に亡くなりました。
関東大震災から百年目の今年、天体観測、天気予報に較べても、未だに地球上の地震予知予測は困難。
らんまん百年とは、言い難い人類の叡知です。
天災と人災の波瀾万丈の百年です。