ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

不二山、勇気という頂き。

2024年09月23日 | 百伝。

福島県の岩佐トメさん(98歳)が今年夏、5年連続の富士山登山最高年齢者を達成されたとの事。

おめでとうございます❗

テレビ番組でも富士山登山中の映像、トメさんの人生観が放映されていました。

88歳の時、生死を彷徨う病のあと、若い頃に登った日本一の富士山を再度登りたくなったとか、その後息子さんが毎年同伴登山、素晴らしい快挙です。

登山中には意識を確認する為、百人一首の上の句を息子さんが詠むと、間髪入れずにトメさんが下の句を詠みます。

今では富士山関係者の中では、トメさんは生き神様、スーパーヒロインのような存在となりました。

どうか人生の目標とする百寿者としての富士山登山達成を完遂して欲しいものです。

思い起こせば、富士山界隈での思い出は盛り沢山あります。

富士山登山となると、より貴重な体験、よりユニークな方々との忘れ得ない一期一会の出会い、思い出すだけで楽しくて勇気が湧いてきます。

初めての富士山登山は弾丸登山。

八合目で見た眼下の花火大会が線香花火に見えました。

九合目で、見ず知らずの方と満天の星を眺めながら交わす言葉と沁みる温かい会話。

下山中、雷が真横を走って稲光、急な豪雨、当時は携帯電話が出回った頃で水浸しになって水没状態になりました。

それでも、楽しかった富士山登山でした。

真夜中の誰もいない山頂で凍えながら彷徨っていたら、バプアニューギニアで医師をしているというドイツ人が突然現れて、帰省途中に日本に立ち寄って富士山に登ってきたという、今から富士山の火口の中へ降りて行くと言って背中か消えた思い出。

テキサスに帰る前に登って来たというアメリカ空軍横田基地で整備士をしているという感傷的な呟き。

伊勢から来た婦人が話してくれた伊勢講とか富士講とか、何やら面白く説明していた可笑しい会話。

次にトライしたのは、息子と登った富士山は、キツかったなぁ。

富士山は単独登山が好いです。

その後、6年前は、友人と富士宮口の途中で別れて、御殿場から真夜中に出発、聾唖者の子供たちの登山グループと出会い、その後を必死で付いて登りました。

宝永山火口から大砂走から下山。

まだまだ語り尽くせない富士山登山での思い出話。

まだ無名だった頃のトメさん親子と富士山で出会っています。

お話をして一緒に写真も撮っていました。

あと二年、百寿者の富士山登頂は、歴史的な快挙達成となります。

僕は「死ぬまで働く」と言う台詞は、トメさん親子の富士山登山への覚悟の影響かも知れません。

勇気という頂きは、不二山のように人生も不二という事。

死ぬまで生きます。



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