ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

ボルネオ編 11 ~初年兵~

2010年08月13日 | 人生航海
まもなく入隊日も決まり、愈々バリックパパンを出発する際には、会社関係者、船長、船員の皆に見送られて、軍人として、永の別れを告げて、前線に向かったのである。

日本軍人としての誇りを持って、国の為とか陛下の為とか云って、皆が表向きは、喜び勇んで出征して行ったのである。

それまでは、民間人として自由に過ごしていたが、それからの先の軍隊の厳しさは、誰もが知る処でもある。

覚悟は出来ている積もりでも、本心は、不安だった。

現地入隊者は、バリックパパン地域の方面から約30名ぐらいいたと思う。

客船で、ボルネオ島西部の赤道直下のポンチャナに一旦上陸して、そこでまた多くの現地入隊者が集まった。

そこで改めて、配属先と部隊名も決まった。

私たち初年兵が配属された班部隊は18名だったが、内17名が、大学卒や中卒又は専門学校卒であって、私のみが、小学校卒であった。

その為か、教官は、その班を幹部候補生班として訓練と教育を行うとした。

教官は、「君一人資格は無いが、決して差別しないから。皆と一緒に頑張れ」と私に言ってくれた。

初年兵への訓練と教育は、想像もつかぬ程に厳しかった。

そんな厳しい日々を辛抱して、まもなく当時の昭南島(シンガポール)に渡ったのである。

そうして、ジョホール駅から汽車に乗り換えて、マレーシアの現在の首都クアランプール駅に着いた。

愈々本隊の部隊があるポートセッテンハムにある本隊の第二中隊に配属されることになった。

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