ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

介護放棄の人間社会

2007年02月04日 | 千伝。
人間、誰もが老齢になり、あの世へ旅立ちます。

最近、家庭内での介護に疲れて不幸な悲しい事件が増えているようです。
広島や埼玉でも逮捕者が出たようです。

団塊の世代が、定年後を第二の人生だと浮き足だっていますが、次なる最終の人生が待ち受けています。

老齢になると足腰が弱くなると一人で外出できなくなります。
そうなると、家にずっと居ることが安全な生活条件となります。
そして、寝ったきりの状態になります。

人間の基本生活は、食事と排泄と清拭(風呂)と清潔です。
これを毎日、繰り返して生きていかなければなりません。

だから、年老いた親が、食事もトイレにも行けなくなると、家族の誰かが世話をしなければなりません。

これが、来る日も来る日も、毎日三回の食事、毎日数回の排泄処理を世話をしなければなりません。
二、三日に一度は、風呂に入れたりしなければなりません。

さらに、認知症の発症です。
さっき食事したばかりなのに、「飯を食わせろ」と言います。
暴れます。怒鳴ります。泣きます。喚きます。
完全に、幼児の知能レベルまで戻ります。

そして、寝たきりになると2時間毎の体交(寝ている体の向きを変える)の必要性です。
そうしないと、床ずれが直ちに発生します。
そして、硬縮(生まれたばかりの赤子のような姿勢)にも、すぐになってしまいます。そうなるとオムツの交換が非常に難しいです。

シーツも布団も服も寝間着も、糞や小便だらけで、その格闘になります。

家庭内介護では、これが、だんだんとストレスやフラストレーションを呼び起こします。家庭での介護は、地獄にもなる可能性もあります。

あらゆる病気にも対峙する覚悟が必要です。

ここまでくると、一般家庭での介護されているそういった老人は、施設に入る手立てしかなくなります。

今の医学では、80歳で要介護になっても100歳近くまで生き延びることもできます。
最後に、その長い年月をベッドのうえで暮らし、そして一生の終焉となります。

これからの30年間、日本の介護が必要となる老人は増加の一方です。
例えば、今年の干支である猪年の12歳の人口よりも、同じく猪年の72歳の人口の方が多いのです。

介護の世界そのものが、多勢の人間の一生としての締め括りになるのでしょう。

介護放棄は、人間の生命尊厳の何か、人生の何かを試されているような気もします。