今日8月6日、アメリカのトランプ大統領が、中国を「為替操作国」と批判していました。
米中の関係は、これから一体どうなるのかな?
加えて、日韓関係も、どうなることやら?
正直、アメリカ人は、アジア人に対して、優越感を持っているのは、事実です。
その一方で、正直に言えば、日本人が、アメリカ人よりも劣っているとは考えていないはずです。
他国の民族も同様なのです。
インド人、ロシア人然り、中国人も韓国人も、他国の民族が、自分の民族よりも優れていると考えているはずがありません。
だから、人間関係同様に、プライドを傷つけられると、衝突になります。
和解への道筋を探るのが国際外交、政治家の仕事なのに、言い争ってどうなるのか?
・・・言い争っても勝負無し。
和解よりも、喧嘩となり・・・衝突、戦争へとエスカレートするのが人類史の方式。
歴史が証明しています。
今からちょうど50年前の1969年の夏、アメリカが、月に向けて、アポロ11号を打ち上げました。
人間が地球を飛び出して月に到着、そして、月の上(面)を歩いて、人類の足跡を残したのです。
思い起こせば、ぼくは、中学1年生の夏でした。
百島から眺めていた「月の輝き」が、よい意味で忘れられません。
真夏のクラブ活動の練習で水を飲むなという時代・・・月を眺めながら「人間」や「宇宙」ということを考える始まりの一歩でした。
しかし、50年後の今、人間は、月よりも遠くへ、未だに旅立っていないのです。
人類は、この50年間、地球上で延々と「自国第一の豊かな人間生活」を目標に勤めています。
単純なことを言うと、人間がスムーズに生きていくのに最大の財産となるのが、「健康」と「人がらのよさ」、その次が「お金」です。
それでも、時には、巨大な自然天災、悲惨な戦争犯罪、テロ、人災に巻き込まれるのが、人類の運命です。
これまでの人類の歴史において、戦争が終結するたびに繰り返して「平和の尊さ」を問いかけたのが、人間のはずです。
せめて、人災を根絶するぐらいの「人智の進歩」は、ないものか?
今日8月6日は、ヒロシマ原爆忌74年周年。
36度の熱風の暑さにも、悲鳴を上げる日本列島。
今朝は、日が昇る前、お墓掃除に参りました。
お墓掃除からの帰り道、福井市市街地を振り返りました。
もし、核兵器が落ちれば、一発でこの街は壊滅・・・そうなってはダメなのです。
一瞬に溶けてしまう6000度の熱風、爆風、放射線の地獄を有り様を知りながら、核軍縮どころか、核拡散する人類世界は、この先、どうなるのか?
帰宅後、今日の地元福井新聞のコラム(若水越山)を読んでいると、とても考えさせられる文面でした。
詩人、谷川俊太郎さんの作品「大小」の一遍を紹介していました。
「小さな戦争やむをえぬ 大きな戦争防ぐため」
「小さな不自由やむをえぬ 大きな自由守るため」
「一人死ぬのはやむをえぬ 千人死ぬのを防ぐため」
「千人死ぬのもやむをえぬ ひとつの国を守るため」
「大は小をかねるとさ 量は質をかねるとさ」
人間の・・・大義とは、何だろう?