行水の 盥の中に 昭和かな
団塊が青春の昭和50年頃、某資産家の弁によると、「国は、戦争で負けたから、持っていた国債は、全てパーに。
だが、郵便局は、通帳と印鑑を持っていけば、出してくれたので、私は、国よりも郵便局を信用している」との事だった。
その郵政の信用も、この度のかんぽ生命の遵則違反の営業で大きく傾いた。
営業にはノルマはつきものだが、ノルマのせいだろうか?
日本の経済は、護送船団方式で、高度成長期を成した。
民営化による、同業他社との競争。その競争によるノルマ。
かつて、国鉄の民営化による、私鉄との競争。
その競争によって、時間割りのノルマが、信楽鉄道や尼崎列車事故で、多くの犠牲者を出してしまった。
郵政の民営化。
年賀状の過剰ノルマの記憶もまだ新しい。
真っ当な生業は、社会の役に立つ為に存在する。
その為には、役に立ち、喜んでもらえる商品を開発し、販売する。
ところが、ノルマ(数字)に支配された組織では、保険や証券すら、顧客から数字を手繰る為の金融商品にしかない。
「医は仁術」の病院でさえも、昨今、ノルマを問われたり、無報酬医師の存在が、問題になったりする。
愚直なまでも信用を一番にする模範を、巨大組織が失うようでは、わが日本の将来、その幸福度は危うい。