■ひこうき雲 / 荒井由美 (東芝)
既にして我国の大衆芸能史にその名を刻んだユーミンが、まだ荒井由美と名乗っていた頃のデビューアルバムが、本日の1枚です。
A-1 ひこうき雲
A-2 曇り空
A-3 恋のスーパーパラシューター
A-4 空と海の輝きに向けて
A-5 きっと言える
B-1 ベルベット・イースター
B-2 紙ヒコーキ
B-3 雨の街を
B-4 返事はいらない
B-5 そのまま
発売されたのは昭和48(1973)年11月で、その歴史的、音楽的な意味合いは言うまでもありませんが、私が、このアルバムに出会ったのは、その翌月のことでした。
と言っても、自ら聴きたかったとか、自腹で買ったとかいうことではありません。
実はその時、私はちょうど封切りになっていた池玲子主演の東映映画「恐怖女子高校・アニマル同級生(志村正浩監督)」を観に行った劇場で、忘れ物になっていた、このLPレコードを見つけたのです。ちなみに同時上映は「実録安藤組・襲撃篇」というヤクザ映画で、実際には「アニマル同級生」は添え物のB面作品だったのですが、青春の血が滾っていた当時のサイケおやじは、どうしても池玲子や衣麻遼子、他の女優さん達が銀幕の中で繰り広げるエロスとピンキーなバイオレンスを求めていたというわけですが……。
まあ、それはそれとして、その2本立を観終わって、ふっと足元に気がつくと、そこには紙袋に入ったLPレコードが2枚、さらにその中には封筒がひとつ、入っていた忘れ物に気がつきました。
どうやら右横に座っていたお客さんのものだったと思います。
で、件の中味を確認してみると、どうも封筒の中にお金が入っているようなので、映画館を通して警察へ遺失物の届けを出したわけですが、同じくそのひとつとしてあったのが、ユーミンの「ひこうき雲」のLPだったのです。ちなみに、もう1枚はフランシス・レイのベスト盤でした。
また、気になるお金は万札が2枚と硬貨が数枚、その他に意味不明のメモ書きもありました。
で、結局、持ち主が名乗り出ず、それは半年後に私へ所有権が移りました。
しかし、その時になっても私は、「ひこうき雲」を聴いたわけではありません。
実は当時、私はある幸運から3ヵ月ほどアメリカへ行けることになり、その準備等々に忙殺され、肝心の遺失物を警察に受け取りに行くことが出来ず、後事を妹に託していたのです。
そして9月になって帰国した私は、その間の諸々を片付けている中で、その忘れ物になっていたレコードを思い出し、妹に尋ねたところ、「あの、荒井由美っていう人のレコード、最高♪♪~♪」とか、簡単に言われて、???の気分になりました。
なんと妹は、私が居ない間に、その「HIKO-KI GUMO」と題されたLPを毎日のように聴いていたそうで、おいおい、そんなに良いのなら!?!
こうして自分に所有権がありながら、現実には妹に頼んで聞かせてもらったのが、私と「ひこうき雲」、つまりユーミンとの本当の出会いになったのです。
そして聴いてみて、最初に思ったことは、荒井由美っていう人は、きっとムーディ・ブルースやプロコル・ハルムのような欧州系プレグレが好きなんだろうなぁ~、ということでした。つまり自らが書いたとされる曲メロからは、とてもヨーロッパ趣味が濃厚に感じられたのです。
例えばアルバムタイトル曲の「ひこうき雲」にしても、極言すれば、例の「青い影」症候群から生まれた素敵なメロディだと思います。またフランス風ボサノバ歌謡の「曇り空」とか、気持良く倦怠した「ベルベット・イースター」、転調ばっかりでもイヤミになっていない「きっと言える」等々、完全にそれまでの日本の歌謡フォークやアイドルポップスからは遊離したセンスが濃厚に滲み出ていました。
さらに凄いなぁ、と思ったのはバックの演奏で、これって、もしかしたらジェームス・テイラーがその頃にやっていた、ソウルジャズフォークの味わいと同じかもしれない!? ということです。
些か穿った独断と偏見ですが、欧州系ポップスとアメリカ色が強いソウルジャズの融合が、これほどの成果を生み出したのかもしれませんし、ユーミン独自の透明感を持った歌と詞が見事に記録されたのも、バックを務めた鈴木茂(g)、松任谷正隆(key)、細野晴臣(b)、林立夫(ds) という、キャラメルママの面々がスタジオに揃っていればこその歴史的な結論です。
もちろん、そんな人脈とか裏事情を当時は知る由もありませんでした。
ただ自分が好きなソウルジャズでポップなフォークが、日本でも生み出されていた事実には嬉しくなりましたですねぇ~~♪
実はそれまでにも、そうした流れの中では五輪真弓や吉田美奈子を既に聴き、好きになっていた私ではありますが、それは個人的に大好きだったキャロル・キングやローラ・ニーロの「和製」というイメージが基本にあったからに他なりません。
しかしユーミンには、彼女達と同様に自作自演でありながら、ちょいと異なるムードが確かにありました。
はっきり言えば、ユーミンは失礼ながら歌唱力がイマイチですから、ここに発表された楽曲は、なにもユーミンが歌わなくとも、他の歌手ならもっと上手く……、なんて思わざるをえないものがあり、それが逆に個性というか、新しい魅力だったのかもしれません。
ちなみに妹に言わせると、ユーミンは「詩」が良いんだそうで、まさに少女の気持とか、ナイーブでお洒落な女性の心を歌っていたんでしょうねぇ。ガサツな男である私には、その完全なるシンパシーを感じることが出来ず、残念……。
正直に告白すれば、私はユーミンのボーカルよりも、バックの演奏の気持良さに心を惹かれていたのです。
しかし確かに、それまで若者を中心に共感を集めていたフォークの、所謂「四畳半」という私小説的な貧乏臭さが、ユーミンの歌からは感じられませんでした。
ということで、ユーミンのデビューアルバムは、リアルタイムではそれほど売れなかったものの、ジワジワと人気を集めていったのが、昭和40年代末頃の事情でした。そしてご存じのとおり、昭和50(1975)年になって、あの歌謡ボサノバの大名曲「あの日にかえりたい」でウルトラブレイク! その後の活躍は言うまでもありませんが、個人的にはデビューから、そこまでの間のユーミン、つまり荒井由美の時代がとても好きです。
また後に知ったことですが、そこまでの経緯で表出してくる様々な人脈や裏話は、まさに今日に至る我国の大衆芸能界を象徴する美しき流れでしょう。
そのあたりについても追々、個人的な感慨と生意気な妄想で書いていきたいと思います。
最後になりましたが、そうした経緯から、このLPは実質的に妹の所有物となり、それが本当に私の手元にやって来たは、妹が結婚して家を出た後なのでした。