OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

惣領ポップスはお洒落な歌謡曲

2013-01-10 14:03:39 | 歌謡曲

終りのない歌 / 惣領智子 (RCA)

昨日書いたシング・アウトの中心メンバーだった惣領泰則は、ニッポンの歌謡ポップスを導いた天才のひとりと思いますが、その実績は現在、どの程度広く認知されているのか? ちょいと疑問を抱いてしまうほどです。

まあ、決して目立つようなミュージシャンではない事も確かでしょう。しかし昭和40年代後半からの活動は、残された楽曲や音源に接すれば、その何時までも古くならない洒落たセンスは最高の極みと知れるでしょう。

例えば本日ご紹介の名曲「終りのない歌」は、昭和53(1978)年に放送された大原麗子主演のテレビドラマ「愛がわたしを(TBS)」の主題歌として、爆発的に大ヒットしましたから、誰しも一度は耳にしたことがあろうかと思います。

そしてもちろん、作編曲は惣領泰則であり、歌っているのが当時の妻だった惣領智子ですから、及川恒平の書いた思わせぶりな歌詞を表現していくコラボはバッチリ♪♪~♪

既に当時はニューミュージックという言葉で括られた新しい歌謡曲が注目されていたと記憶していますが、その中でも殊更印象的な仕上がりだった事は、その完成度の高さと比例するものでしょう。

また、歌っている惣領智子の上手さ、その実力は言うまでもありません。

実は彼女と惣領泰則は昭和46(1971)年春頃に結成されたブラウン・ライスというバンドのメンバー同士であり、そこまでの経緯は勉強不足のサイケおやじには全容が掴めていないのですが、どうやらNHKの「ステージ101」を退いたシング・アウトの発展的解散(?)から、惣領泰則が新たに結成したグループというのが、ブラウン・ライスだと推察しております。

で、そこでの惣領智子は未だ結婚前でしたから、旧姓・吉原智子としてボーカルとキーボードを担当していました。

そして当時としては驚愕の事実として、惣領泰則とブラウン・ライスは米国MGMレコードのオーディションに合格し、その流れから渡米してのレコーディングとレコード発売はもちろん、現地での評判も良かったところから、ライプ巡業や自分達のスタジオ設立等々、1975年夏頃まで堂々の活躍を展開!?

中でもポール・マッカートニーが書いた隠れ人気曲「Country Dreamer」に阿久悠の作詞をつけた日本語バージョンは我国でも注目されましたから、このあたりでご存じの皆様も大勢いらっしゃるでしょう。

ちなみにブラウン・ライスのメンバー構成については諸説あり、実質的な活動期の顔ぶれも何度か変わっていますので、その点については後日、あらためて取り上げます。

それと惣領智子が何時頃、結婚したのかは不明ながら、とにかくブラウン・ライス解散後にソロシンガーとしての活動に入ったのは、明らかに惣領泰則との相互影響力が良い方向へと作用していたように思います。

このシングル曲「終りのない歌」にしても、昭和51(1976)年から本格的に発売されていた彼女のレコードの中では、最も売れた代表作ではありますが、他にも素晴らしい歌がどっさりの宝庫の中では、所謂氷山の一角にすぎません。

ということで、本日は後々への布石(?)として、簡単に書きましたが、どうか皆様には、このあたりをきっかけとして、惣領智子の歌、そして惣領泰則のプロデュース&ソングライティングの天才性をお楽しみいただきとうございます。

しかし、ちょいと調べたら、惣領一派の音源のほとんどが未CD化なんですねぇ……。

願わくば体系的な復刻を決死的に望んでおります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする