■A BOY / 大滝裕子 (Epicソニー)

とてつもない実力派ボーカリストであったにもかかわらず、デビュー時の年齢が16歳であった事から、世間的にはアイドル扱いされ、またそれゆえにブレイク出来なかったと云われる大滝裕子は、しかしそのアイドル路線からしたが如き以降の活躍は、例えば歌謡曲~ニューミュージックという垣根を越えて、多くのスタアのバックコーラスシンガー、あるいはスタジオセッションのボーカリスト、さらにはボイストレーナーとして現在までの長期間、我が国芸能界の縁の下の力持ちとして業界からは高い評価を得ている存在であり、だからこそ昭和54(1979)年に発売された本日掲載のシングル盤A面曲「A BOY」のハイブラウな仕上がりは当然が必然だったのでしょうか。
いゃ~~~、サイケおやじにとっては、これを初めて聴いた時の衝撃は今でも鮮烈な記憶となって脳裏に刻まれているほどで、まずは全体のサウンド作りが先鋭的なリズムとビート、殊更ビンビンにブッ飛んだエレキベースのチョッパー大会でリードされている印象が過激の極みというか、当時としては、とても十代の女の子が歌いこなすには難しすぎる曖昧なメロディラインも含めて、リスナーを突き放した凄さがモロ出しだったんですねぇ~~~!?▼?
ところが、それゆえに大滝裕子のボーカリストとしての実力が本物として認めざるをえない事も確かであり、加えてジャケ写からも一目瞭然、正統派アイドルで売り出すにはルックスがキツイ感じであり、ヘアスタイルからしても、その頃に売れていた中原理恵っていうイメージがっ!?!
実は直後に知ったんですが、大滝裕子は前年度の「ミス・セブンテイーン」に輝いたアイドルスタア候補生のトップだった逸材であり、それはやはり歌の実力が飛びぬけていた事とも無関係ではありえない思っています。
ちなみに今では有名な逸話ではありますが、件のコンテストの予選には松田聖子も出場しており、かなり本命視されていながら、履歴に関する例の瑕疵があったことから、本選大会は辞退という顛末も、きっちりスカウトされた後の松田聖子がアイドルとして大ブレイクし、所謂1980年代アイドルの大ブームが昭和歌謡曲の本流となった時代を鑑みれば、大滝裕子の登場は失礼ながら皮肉な露払いだったのかもしれません。
なにしろ彼女はシングル曲を出す度に普通のアイドルに接近しようと無理を重ねていた感があり、制作側にも迷いがあったとしか思えないレコードばかりが残されんじゃ~、まさに宝の持ち腐れ……。
と、完全に不遜な思いしか持ちえなかったのがリアルタイムでのサイケおやじの素直な心情吐露であります。
そして同時に、この作詞:三浦徳子&作編曲:後藤次利が仕掛けたデビュー作「A BOY」の永劫性をかみしめるばかりでございます。
うむ、書き遅れてしまいましたが、ここまで尖がったビートに拘った楽曲に仕上がったのも、やはりベース奏者としてリアルタイムで大活躍していた後藤次利の仕業であったと納得する他は無く、これ以降も多く手掛けたアイドルソングの数々には、同趣向の手口が散見されますが、やはり大滝裕子という稀代のボーカリストが登場したからこその成果は決して侮れないでしょう。
その意味で、前述したとおり、アイドル時代の彼女が残したレコードは、例え歌謡ポップスに安易な接近を狙ったものであろうとも、全てが必聴作であるという真実はひとつ!
ということで、大滝裕子はアイドルを辞めて以降はアマゾンズと名乗るコーラスグループに参加し、なかなか密度の高いアルバムを出していますので、追々にご紹介させていただく所存ですが、まずはデビュー曲「A BOY」に全てが収斂されるものと信じているのでした。
機会があれば、ぜひとも皆様に聴いていただきたく、お願い申しあげます。