■想い出のセレナーデ / 浜田朱里 (CBSソニー)
サイケおやじにとっての「秋の歌」と言えば、作詞:山上路夫&作曲:森田公一の「想い出のセレナーデ」が外せません。
ご存知のとおり、この楽曲は昭和49(1974)年に天地真理が歌ったシングルバージョンがオリジナルで、もちろん当時は大ヒットしたんですが、その悲しい曲調は、それまでの真理ちゃんのイメージと異なっていたわけで、つまりは明るく微笑んでいるのが一番のアイドルから大人の女性としての転換期を狙った企画だったという説も有力ながら、個人的にはそんな理屈なんかよりも、真理ちゃんのハートウォームな声質と節回しがあればこその名曲名唱として感じ入るところが大きかったような……。
今となっては真理ちゃんの最後の大ヒットという評価も確かにあるようですが、それはそれとして、素敵な歌は何時までも忘れられる事はなく、そこで本日ご紹介するのは昭和57(1982)年2月に発売された浜田朱里によるカバーバージョンで、当時は所謂「1980年代アイドル」の全盛期でしたから、生半可な存在はブレイクする事が非常に困難な中にあって、あえて暗いイメージの「思い出のセレナーデ」をシングル盤A面曲にしてしまう彼女の印象の強さは、なかなか侮れないと思いましたですねぇ~~。
実際、サイケおやじにとっての浜田朱里は、このジャケ写ポートレートにもある様に、何時も首を傾げている、ちょっと内省的な印象でして、明るさとか溌剌さとかの一般的なアイドルよりは、なんとなく山口百恵に一脈通じるみたいなイメージは、もしかしたら「ポスト百恵」を狙った戦略だったのでしょうか?
だとすれば、哀しみの名曲「想い出のセレナーデ」をチョイスしたのは大正解で、確かテレビでも歌っている場面が多かったと記憶しています。
ただし、当然ながら、サイケおやじは彼女の熱烈なファンではありませんし、歌手活動の他にグラビアアイドルとしての露出も多かったリアルタイムの芸能界での人気にしても、それほど思い入れは無く、しかしそれでも、このシングル盤だけは持っていたい気持ちにさせられたのは、ジャケ写と歌の雰囲気が見事に一致していたからというわけです。
ちなみに真理ちゃんのオリジナルバージョンのアレンジは竜崎孝路で、クラシック調の色合いがあったのですが、浜田朱里バージョンは若草恵のアレンジによって幾分ドライでリズムも強いところは、所謂時代性ってやつかもしれません。
ということで、「美人歌手の秋の歌」というジャンルがあるとすれば、サイケおやじは迷わず、浜田朱里の「思い出のセレナーデ」を選んでしまいそうですが、ひとつだけ、彼女は失礼ながら決して歌が上手いというほけではありませんので、仕上がりとしては真理ちゃんバージョンには及ぶべくもありません。
それでも愛おしいのは、結局これもジャケ買い趣味という事なのかもしれないと、自問自答しているのでした。