■ロミオ&ジュリエット’79 / 畑中葉子 (日本ビクター)
昭和の芸能界には波乱万丈のスタアが数多登場しておりますが、畑中葉子は、中でも特に強い印象を残したアイドルだったと思いますねぇ~~!?
それは皆様ご存じのとおり、最初にブレイクしたのは平尾昌晃とのデュエットソング「カナダからの手紙」のメガヒットであり、それが昭和53(1978)年の事だったんですが、流石は平尾昌晃が見出しただけあって、歌の上手さとイナタイ清純派の佇まいは、華やかな芸能界にあっても、それが逆に鮮烈な魅力になっていたんじゃ~ないでしょうか?
実際、彼女のファン層は中年おやじ~青少年にまで幅広く、平尾昌晃とのデュエット曲が次々にレコード発売されると同時に高まったのが、畑中葉子のソロデビューだった事は自然の成り行きでありました。
ところがスタア街道一直線の彼女は何故か、その最中に突如として結婚~離婚という、ある意味じゃ~お定まりのコースを辿ってしまい、これまた当然の如く芸能界へ復帰したのは、これまた皆様ご存じのとおり、日活ロマンポルノ「愛の白昼夢(小原宏裕監督)」への出演でした (^^♪
もちろん、これは爆発的にヒットし、以降はセクシー女優であり、本格的なフェロモン歌謡を聴かせてくれるボーカリストとして活躍していくわけですが、さて、その間に忘れられてしまいそうなのが、前述したソロシンガーとしてのデビュー期における活動でしょう。
本日掲載したのは、その時期の畑中葉子を確認出来る証拠物件と申しましょうか、昭和54(1979)年1月に発売された、これが自己名義としては最初のシングル盤で、特に作詞:松本隆&作曲:平尾昌晃、そして編曲:佐藤準が制作陣に名を連ねたA面曲「ロミオ&ジュリエット’79」は、当時流行のフュージョンディスコ系のサウンドにニューミュージックっぽいメロディライン、おまけに悲恋&セクシーな雰囲気をたっぷりとミックスさせたアップテンポの歌謡曲 (^^♪
もちろん、畑中葉子も、これまでの清純派路線から新しい出発に相応しい、フェロモン歌謡の微妙な入口みたいな歌いっぷりを聴かせてくれるんですよ。
アイドルからニューミュージックに移行した雰囲気のジャケ写も、イイ感じ (^^♪
そして面白いのは、テンポチェンジしたサビで展開されるメロディが、如何にも平尾昌晃ならではの演歌調になっているところでしょうか、畑中葉子も、そこんとこを上手く飲み込んでの節回しは、流石と思うばかりです。
しかし!?
前述したとおり、このシングル盤が世に出た直後に、彼女は突如として結婚し、引退という道に……。
これは当時、かなり世間を驚かせたんですが、一番に無常観を覚えたのは平尾昌晃以下の制作スタッフだったんじゃ~ないでしょうか?
まあ、結果的に彼女は目が覚めたのかどうかは知る由もありませんが、離婚から芸能界へ復帰し、あの「前から後ろから」を大ヒットさせ、女優としても決して素晴らしいとは言い難い演技を逆手に活かしたかの様な存在感をアピールし、昔っからのファンばかりか、新しいファン層も掴んでしまったんですから、やはり芸能的なセンスは抜群だったと思います。
ちなみに、彼女のソロレコーディングとしては、この「ロミオ&ジュリエット’79」が最初ではなく、平尾昌晃とデュエットしていた時代にアルバム用に吹き込まれた音源が数トラックは残っており、なかなかにこれが良かったりするんですよ (^^♪
機会があれば、皆様にも、ぜひっ!
ということで、昔っから悲恋と云えば「ロミオとジュリエット」、あるいは「おかる勘平」が代表的なところでしょうが、現代の日本における「小室と内親王」は、内親王がその気になっているだけの悲恋の様に思えますねぇ……。
まさか、この「ロミオ&ジュリエット’79」を鑑賞されているはずも無いんですが、いやはやなんとも……、一般人に成下がった時からの本当に「えげつない」誹謗中傷に耐えていくためには、案外と役立つかもしれませんよ、この歌は (^^;
まあ……、あってはならない事なんですけどねぇ……。