■夢見るシェルター人形 / ジューシィ・フルーツ (BLOW UP / 日本コロムビア)
連日の混濁した世相の週末故に、思い出してしまったのが筒井康隆が1970年代に発表した短篇小説「ウィークエンド・シャッフル」、さらにそれを原作として、1982年に制作された同名映画でありました。
もちろん、内容は共々にスラップスティックでカオスに満ち満ちた世界が描かれているんですが、サイケおやじは筒井康隆の著作は学生時代にジャズ喫茶の「お供」として、それなりに読んでいた事もあり、その中でも映像化が相当に賛否両論になるであろうと思っていた作品が、なんとっ!
成人映画の名匠・中村幻児監督が自ら脚本にも関わって撮るというのですから、これには公開前から、なかなかワクワクさせられていましたですねぇ~~ (^^)
また、出演者の顔ぶれが秋吉久美子、伊武雅刀、泉谷しげる、美保純、池波志乃、風間舞子、秋川リサ等々、如何にもの面々だった事にも、不安と期待がミックスされまくり!?
そして案の定、公開された映画「ウィークエンド・シャッフル(ジョイパック)」は、一応は一般映画という扱いではありましたが、日常ありがちな土曜日の安寧が、子供の誘拐と強盗犯の出現から、強姦や発狂、虐待や狂乱、加えて諸々の不条理と捻じれた正義や真っ当な悪徳……、等々が次々に積み重なっていく映像演出の連続で、しかも撮影技法が客観的な長回し、あるいは被写界深度の浅いボカシ等々を用いながら、ある局面ではエグ味の強いアップの描写という、如何にもピンク映画の趣が濃厚!?
ちなみに配給会社の「ジョイパック」とは成人映画でお馴染みの「ミリオンフィルム」と同じルーツを持っているので、さもありなんでしょうか (^^♪
また、劇伴がフリージャズの人気者だった山下洋輔というのも、これしか無いという人選だったと思いましたですねぇ~~♪
しかし、映画そのものは全くの支離滅裂であり、その破天荒な流れは収拾不可!?
だからこそ、キャストの人格描写が秀逸に感じられるという結果オ~ライぶりは出色で、特に泉谷しげるの気持ちの悪さは絶品ですよっ!
サイケおやじは、それを観られただけで、ちょっぴりですが、納得して満足した気分になりました (^^;
そして圧巻だったと思うのは、散々ゴタゴタした最後の最後のラストテーマに流れ出す、本日掲載のシングル盤A面曲でして、それがジューシィ・フルーツの演じる「夢見るシェルター人形」という、ドシャメシャな反戦ロック!?!
あぁ……、その正体(?)はセルジュ・ゲンスブールが作詞作曲し、フランス・ギャルが歌って大ヒットした「夢見るシャンソン人形」の替え歌カバーであり、今回の日本語詞を担当したのは、ちあき哲也!
そしてポップでハードロックテクノなアレンジは戸田誠司とジューシィ・フルーツの共同作業とクレジットされいるあたりが、満願成就の仕上がりに繋がったと思うばかり (^^♪
いゃ~、これはカバーバージョンとしては、トゥインクルのモッズな仕様と双璧に好きですよ
ちなみにジューシィ・フルーツは近田春夫のバックバンドが独立する形で昭和55(1980)年頃にデビューした4人組で、メンバーは元ガールズのイリア=奥野敦子(vo,g)、柴矢俊彦(g,vo)、沖山優司(b,vo)、高木利夫(vo,ds) という面々がキッチュでテクノな歌謡ロックを演じ、幾つかのシングルヒットを飛ばした業績は説明不要でしょう。
それは、一座のスタアであったイリアのロリポップな歌いっぷりと軽薄さを意図的(?)に優先させたアレンジと演奏スタイルがあればこそ、相当に辛辣で意地悪な歌詞の世界でさえも、お茶の間に浸透させてしまった実力は高く評価されるべきであり、だからこそ、この残酷な「夢見るシェルター人形」をやらかしても、全く違和感はありませんし、つまりは吐き気がしそうな映像描写さえ連なっている映画「ウィークエンド・シャッフル」のラストにはジャストミートじゃ~あぁ~りませんかぁ~~~♪
ということで、件の「ウィークエンド・シャッフル」は現在、堂々とパッケージソフト化されていますので、気になる皆様は騙されたと思ってとは申しませんが、一度ぐらいは鑑賞しても、人生の汚点にはならないと思っております (^^;
う~ん、それにしても、ここまで欺瞞と混乱に満ちた現在でさえ、もうこんな映画は作れないだろうなぁ~~?
そんなこんなを思ってしまうのは、なんだか情けない気分であり、だからこそ、ジューシィ・フルーツの「夢見るシェルター人形」が愛おしいのでした (^^♪