■裏切り / 夏木マリ (キング)
何んとなく予感はありましたが、やっぱり裏切られるのはツライもの……。
本日も仕事関係で長年の付き合いがオシャカになるような、 それこそ脱力の結末で、一緒にやってくれた若い者からは溜息まじりの愚痴もこぼれる出来事がありました。
ただし激怒よりも、失望落胆の気分が強いのは、まあ、救いというところでしょうかねぇ。
そりゃ~、ナメられたもんだなぁ……、とは思いますよ、当然正直な気持。
そこで急に聴きたくなったのが、タイトルもズパっとストレートな本日ご紹介のシングル曲!
歌っている夏木マリは現在でも個性派の女優として、また不思議な存在感の歌手としても活動しておりますが、サイケおやじと同世代の皆様にとっては、今でもフェロモン歌謡の女王としての彼女が一番印象深いはずと思います。
なにしろ昭和48(1973)年に出した「絹の靴下」は、夏木マリを新進女性歌手としてよりも、セクシー&グラマーな美女という評価に決定づけるほどの大ヒットになり、それはもちろん例の「フィンガーアクション」が文字通りのキメ手でありました♪♪~♪
今日、所謂「フェロモン歌謡」、あるいは「アクショングラマー歌謡」というジャンルが認定されているのも、夏木マリが肉感的な肢体をクネクネさせて歌い狂い、男を寄せ込むが如き振付アクションを披露していたからでしょう。
実際、当時の彼女は特に露出度の高い衣装を着用していたわけでは無く、しかしそれが逆に作用した、ある種の確信犯的にセクシーな演出表現は、それが堂々とテレビの歌謡番組で放送されるには何らの問題も無く、しかしお茶の間は気まずい雰囲気に満たされたのですから、たまりません。
あぁ、如何にも男好きのする面立ち♪♪~♪
巨乳にクビレ、ヒップから太腿のラインの美しさ♪♪~♪
思い出してもゾクゾクしてきますねぇ~~~♪
もちろん夏木マリという「歌手」の実力も相当なもので、それは高校在学時から既にザ・プリティーズというグループのメンバーとして舞台やテレビに出演し、同時にクラシックの勉強もしていたという履歴があったのですから、芸能界の即戦力として本名の中島淳子名義でデビュー曲「小さな恋」を発売したのが、昭和46(1971)年だったようです。
それが結局は成果を残せず、夏木マリとして再デビューとなったのは、時代の要請と彼女の資質がジャストミートしていたと言っては失礼かもしれませんが、リアルタイムの彼女の存在感は圧倒的で、なにか登場するだけで、その場が妖艶なムードに包まれたのですから、素敵です♪♪~♪
そして歌謡ヒットを飛ばしながら、水着姿やセクシーな振る舞いが雑誌グラビアやテレビのバラエティ番組を彩り続けたのは言わずもがな、舞台や映画でも本格的な芝居と演技を披露するという芸風の広がりは、全て本人が見せる、そして見られる事への自覚の強さだったように思います。
さて、その意味で昭和51(1976)年新春を飾るヒットになった「裏切り」は、夏木マリならではの「悩殺ためいき唱法」が全開の名曲名演で、ヘヴィなニューソウルのビートを活かした歌謡ポップスという曲調もさることながら、思わせぶりな歌詞をポルノチックに歌い回す至芸が堪能出来ますよ♪♪~♪
なによりも凄いのは、それが決して生臭く無いところでしょう!
ということで、聴けばイチコロのお色気歌謡は夏木マリが十八番の名人芸であり、残された素晴らしい音源はどっさりあるんですが、やはり映像があれば尚更に感動するという部分も否定出来ません。
しかし、それが未だに不可能という現実では、この「裏切り」が最も彼女の特質を聴覚的に楽しめる1曲だと思います。
最後になりましたが、冒頭に述べた「溜息」にしても、夏木マリの「ためいき」ならば、何時如何なる時でも、大歓迎というのが本音なのでした。
恐縮です。
この系統の文章で喜んでいただけるのは本望というか、まさに本懐というところですよ(笑)。
フェロモン系女性歌手は数多登場していますが、基本的に上手いボーカリストじゃないと表現出来ない世界があるように思います。
こちらからもTB送りました。
よろしくお願い致します。
コメントありがとうございます。
とにかく夏木マリのセクシーさは当時、ダントツでした。何も過激な露出をやらなくても、強烈なエッチっぽさは表現出来るという見本のような存在だったと思います。
もちろん彼女の素晴らしい肉体と美貌がそこにあればこそなんですけど(笑い)。
良い時代でした♪
お仕事が大変なようですね。
夏木マリの指のアクションはエロかったようで。
「裏切り」は聴いたことがなかったので、調べたらありました。
トラック・バックとして私のブログに載せました。
イヤー、エロイです。
奥村チヨとか青江三奈など、そっち方面の歌手は大好きなのですが、また一つ発見しました。
ありがとう。
やっぱ、サイケおやじさんは、スゴイわ!
その後TVでも観ましたが、やっぱりセクシーさは衝撃でした。
現在のようなセクシー=露出度ではないんですよね。
また過度なセクシーなアクションがあったわけでもなかったと思います。
でも十二分にセクシーでした。(後年お世話になったことも。。。。)
あさま山荘事件の1972年に山本リンダが再ブレイクして、同時期にプレスリーのハワイでのライブがTVで放映され、1973年は夏木マリがデビューして、その頃愛読していた漫画が「荒野の少年イサム」だった僕は、タミヤのプラモ(1/35MMシリーズ)に夢中の幼稚な子供でした。