■何のために / ザ・フォーク・クルセダーズ (東芝)
昨日は心底、情けないなぁ……、と思いましたですねぇ。
何ですかぁ~、あの国連での中国と我国のバカ演説の応酬は!?
丸っきりヤクザ映画の縄張り争い、縄張荒らしの正当性を訴えるが如き、虚言と暴言の罵り合いは、双方国民の呆れさせ、世界中に恥を晒した事はまちがいありませんよ。
これが映画の世界であれば、誰かが義憤で独り殴り込み、戸板に乗せられて帰ってきたり、頼りになる助っ人が窮地に登場する展開が「お約束」なんですが、現実的には、バカやってる者は笑われて終りでしょう。
もちろん今の中国と日本で戦争なんか、絶対に出来るはずがありませんよ。
それはもしも、中国が武力で尖閣に手を出したら、自衛隊が応戦すると同時に在日華僑や中国資本が凍結、あるいは没収され、関係人はスパイ容疑で拘束、さらには面倒になると纏めて虐殺される可能性が大きいんですよ。
また国家政府がそれをやらなくても、日本国民が自主的に同じ事をやるかもしれません。
そんなことは為政者ならば、誰でも分かっているでしょう。
また、それが分からなかったら、自国民の統治は出来るはずもありませんよねぇ。
これは韓国、あるいは北朝鮮に対しても同じ状況で、それほど日本と中国、また日本と韓国や北朝鮮は民族間の深い繋がりが現在までに構築されている、その事実は大きいです。
では、なんで今頃、中国が尖閣問題でゴチャゴチャ言い始めたのか!?
あくまでも憶測にすぎませんが、おそらくは資本家の希望と政権弱体化の兼ね合いが、ひとつの要因でしょう。どうやら、そこの海底には、この地域の未来を左右する膨大な資源が眠っていると言われていますからねぇ~。これは両国、双方同じと思われますが……。
さて、そこで本日のご紹介はフォーク・クルセダーズが昭和43(1968)年晩秋にヒットさせた、せつなくも美しい歌謡フォークの「何のために」です。
この歌は最初、端田宣彦がひとりで書いたそうですが、フォークル名義でレコーディングするに際しては、新たに北山修が歌詞を作ったと言われているとおり、まさに時代の悲惨や虚しさに仮託した人の生き方を訴えている名曲だと思います。
しかもパロック調とでも申しましょうか、青木望によるストリングスアレンジが過剰ギリギリの彩りなんですから、これもまたひとつのサイケデリック文化だったのかもしれません。
ただし、例え何であろうとも、こういう歌が今の時代に流れることもなく、また同傾向の作品も登場しないのは、やっぱり少し悲しいですよ……。まあ、それをサイケおやじが知らないだけだったら、ごめんなさいです。
ということで、少なくとも日本は胆力をキメて、対応する必要があるんじゃ~ないでしょうか?
繰り返しますが、相手国の挑発に同じ気持で論争をやっていたら、それこそ世界中からバカにされますよ。既に結果は確固としている以上、それが妬悔しくて、あれこれ因縁を持ち出すなんて事は見苦しい限り!
そしてバタバタ悪足掻きする我国の与党内閣も、尚更に自己憐憫……。
もちろん、マスコミに踊らされるのは、尚更にいけませんが、こんな時こそ、なんのために我々は生きて、生活しているのか、生かされているのか、少しは考えてみる良い機会?
と、本日のサイケおやじは神妙に思っているのでした。
暴言、ご容赦下さいませ。
これ、おかしいでしょう。
竹島は韓国の大統領が上陸し建物まであります。
中国の尖閣と同等に扱わないのが、私には解せません。
この曲、LPに入っていて一番人気がありました。
フォークルは政治的な曲はあまりありませんが珍しい。
「はしだ節」とでも呼べる独特の歌い方です。
関係ありませんが、岡崎友紀さんは端田の曲を追う様にして歌ってます…風、花嫁など…
コメントありがとうございます。
フォークルは端田&加藤の天才的メロディメーカーが登場したというだけで、凄いと思います。
韓国や北朝鮮とのトラブルで日本の芸能界云々を処理していたら、ほとんど成り立たないでしょうねぇ。プロスポーツ界も同じですが……。
まずは奪い合うことの無益さを考えるべきでしょう。