■17才 / 南沙織 (CBSソニー)
6月25日はシンシア記念日♪♪~♪
なんて勝手に決めているのはサイケおやじだけですが、私は遥か昭和46(1971)年の今日、この南沙織のデビューシングル盤を買ったのです。
ご存じのように彼女は沖縄で生まれ育った日本人ですが、当時の沖縄は日本に返還される前のアメリカでしたし、そのフィリピーナ系のルックスからハーフだと信じられていました。そして、このシングル盤裏ジャケットに記載のプロフィールには鹿児島県の出身とされ、本名は内間明美、ニックネームはシンシア! とされたあたりも絶妙でしたねぇ。
それは如何にも芸能界的な思わせぶりの手法でもありましたし、長い黒髪と自然体で爽やかな佇まいは、同時代のポップス系女性歌手のほとんどが厚化粧にドギツイ付け睫毛だったことを鑑みれば、さらに印象的だったのです。
そして何よりもお姉さん系の歌手が多かった芸能界で、彼女は若かったということです。この年6月にデビューした時は本当に17歳直前だったんですよ! 今でこそ女性アイドル歌手やタレントは、それ以下の年齢デビューが当然になっていますが、当時は画期的♪♪~♪
ですから十代の日本男児が忽ち夢中になったのは言わずもがな、普段は歌謡曲を聴かないような硬派な者までもが、気になる女の子だったと思います。
そしてサイケおやじにしても、久しく買ったことの無かった歌謡曲をゲットさせられたわけですが、その楽曲は完全に「Rose Grden / Lynn Anderson (Columbia)」のモロパクリ! あぁ、こんなん、許されるのか!? とリアルタイムで痛感させられるほどにインパクトが大きく……。
ここで作者の筒美京平が凄いのは、元ネタよりも良い曲を書いてしまったことです。
そして南沙織がそれを歌う時、全くそんな事に拘っていないオープンな姿勢というか、開き直りとは異なる潔さが強い印象を与えてくれます。もちろん後に知ったことですが、彼女はデビューが決まる前のリハーサルやオーデションでは、前述の「Rose Grden」を歌っていたそうですから、いやはやなんとも……。
しかし南沙織が本当に凄かったのは、その芸能界における自分の立場を貫いていたことかもしれません。
ご存じのように、当時の所謂「三人娘」は彼女と天地真理、そして小柳ルミ子でしたが、大手の渡辺プロに所属の後者2人が芸能界王道の路線でテレビのバラエティやドラマ、さらには映画にも出演していたのに対し、南沙織は女優活動すら、ほとんどやっていませんでした。
どうやら嫌なものには、「嫌」という自己主張が強かったと言われています。
それゆえにテレビへの露出も歌番組がメインでしたから、人気に反比例して些か地味というか、シンプルな雰囲気が滲んでいたのも結果オーライ!
しかし当時の慣例だった夏は水着で歌うとか、芸能雑誌の付録ポスターではキワドイ衣装とかは、ちゃ~んとやっていたんですから、今の女性アイドルへの甘やかしとは別格です。そのあたりの姿勢は同姓にも共感されていたと思いますよ。
肝心の歌手としての南沙織ですが、その明るく前向きな歌声と妙に日本語的ではない発音が、洋楽を尚更に意識して書かれた歌謡ポップスにジャストミートしています。私が彼女の歌に惹かれたのも、そういう新しい洋楽フィーリングというか、従来の歌謡曲から一歩前進したところでした。
そしてもうひとつ、南沙織の真骨頂というか、マイナー感覚の節回しが出ると、声質までもが絶妙に湿り気を帯びた雰囲気に転化することだと思います。それゆえに歌謡フォーク系のヒット曲を連発していた時期にも、独特の個性は失われませんでした。
このあたりはアメリカンスクールで学んでいたという、当時としては眩しいほどにアメリカっぽい部分が我が国青少年には羨ましいほどの憧れに繋がっていた事実を無視しては語れません。同じ楽曲を日本本土で生まれ育った同世代の女性歌手が歌った場合の結果は、今更申し立てるまでもないと思います。
ということで、南沙織が私は好きです。
ご存じように彼女は学業に専念するために芸能界を引退したわけですが、有名写真家との結婚にしても、またそれ以前のスキャンダルやゴタゴタにしても、常に自然体を貫いていたように周囲から思われていたのは、羨ましくも流石でした。
今では神格化された歌手のひとりではありますが、私はリアルタイムの昭和46年の今日を大切にしつつ、等身大のアイドルの歌を聴いているのでした。
貰ったばかりの小遣いを握りしめるようにしてレコード屋へ走った、あの日が懐かしい♪♪~♪