■愛の奇跡 / ヒデとロザンナ (日本コロムビア)
今はそんな事は無いでしょうが、サイケおやじの世代の日本男子は実際の体験は無くとも、当然のように敗戦国意識を引きずっていた所為でしょうか、西洋系美女に弱いという性癖があったと思います。
それはパツキンコンプレックスとか、白人グラマーが登場する洋ピン映画がヒットするとか、洋楽の女性部門だって、言ってみれば、それに由縁するヒットが無きにしもあらず……?
極端な場合には中身なんかどうでも、ルックスが日本の青少年にアピールすれば、外人女優のポスターが人気を集めたり、美人モデルを使ったレコードジャケットが当然のように出回っていた時期が「昭和」という時代にはあったのです。
しかし、憧れてはいても、実際に西洋系美女とツーショットでキマる日本人は、なかなか難しいでしょう。そこで尚更にコンプレックスを抱いてしまう事の繰り返しなんだと思います。
ところが昭和43年にデビューしたヒデとロザンナという男女デュエットは、それを簡単に覆した粋なムードがありましたですねぇ。
そして本日ご紹介のデビュー曲「愛の奇跡」が大ヒットした事により、何か面映ゆいような新しい気分が、日本中に広がったように思っています。
何よりも当時をご存じない皆様でも、掲載したジャケ写をご覧になれば瞭然とされるんじゃないでしょうか、そのお洒落なムードの良さに。
もちろん、実際にこのふたりのスマートなファッションセンスは、ちょいと素人には真似出来ないところが大きいわけですが、殊更ヒデのカッコ良さは自分達には……、という諦めと羨ましさが我々凡庸な日本男子には拭いきれない気持だったのです。
ちなみにヒデは歌謡ボサノバを歌っていた「ユキとヒデ」のヒデであり、この頃からは出門ヒデと名乗っていたようです。
またロザンナは現在でもタレント活動を継続中ですから、日本語が普通に喋れるというイメージですが、どうやらデビュー前はイタリアで音楽の勉強をしていたと言われていますし、親族が日本に居住していたという説もあって、ヒデとロザンナで登場した時にも、それなりに言葉には不自由していなかったように記憶しています。
肝心の楽曲「愛の奇跡」は、ボサロック調の歌謡ポップスで、そのウキウキするビート感とメリハリの効いた解放感のあるメロディが、絶妙のボーカル&コーラスで歌われる時、とりあえずは明るい未来に満たされていた当時の日本の世相にはジャストミート♪♪~♪
しかもサビでのコーラスでは爽やかだった雰囲気が、間奏のパートになると一転、これがヒデとロザンナの真骨頂というか、情熱のスキャットを歌うヒデに対し、抑えきれない想いをぶっつけるが如きロザンナのイタリア語による「アモ~レ、アモ~レミオ」という情熱の呼びかけが、今日に至るも、たまりませんよねぇ~♪
ご存じのとおり、後には結婚するヒデとロザンナも、実はヒデの身辺整理に手間取って、それが先送りになる事が何度かあったと、以前にロザンナがテレビで語っていたように記憶していますが、さもありなん!?
既にデビューの頃から、そういう幾分の生臭さが感じられてはいても、実際に歌っている時のヒデとロザンナは、それを良い方向へと持って行ける雰囲気と実力があったのだと思います。
そして続けて幾つものヒットを飛ばしながら、ヒデの早世によって、この素敵なふたりは……。
繰り返しますが、そういう羨ましいところはリアルタイムでカラオケなんていう文明の利器が無かった事もあり、サイケおやじは今でも軽い気持で、この「愛の奇跡」やヒデとロザンナのヒット曲をデュエットするなんて事は出来ません。
つまりサイケおやじのような古いタイプの者には、例えば定番の「二人の銀座」だってお洒落過ぎますし、どうにか「新宿そだち」が似合う程度ですからねぇ。本当に額に汗が滲みます。
う~ん、今日も何か、自嘲の文章、失礼致しました。