■縦縞のシャツを着て / タンポポ (ワーナーパイオニア)
我国の歌謡フォークでは女性デュオの需要が相当にあって、ジャネッツ、ピンクピクルス、シモンズ等々が人気を集めましたが、昭和50年代前半に活躍したタンポポもサイケおやじは忘れられません。
なにしろ昭和52(1977)年には、イーグルスの代表曲「Hotel California」の日本語カパーを出してしまったという暴挙(?)がありますからねぇ~~~。
しかしタンポポは決してキワモノではなく、宮村保志子と宮村三代の姉妹による素晴らしいハーモニーと歌声がウリだった実力派であり、最初は関西ベースのインディーズだった「京都レコード」に所属しながら、全国配給は「ワーナーバイオニア」だったんですから、今となってはマニアックな領域でも、リアルタイム以上の人気があると言われています。
実はサイケおやじは当時、前述した日本語バージョンの「Hotel California」を某居酒屋の有線で聞き、その刹那の訳詞というか、替え歌っぽい作詞というのが正解なのかもしれませんが、とにかくあまりにも際立ったカパーの遣り口に圧倒され、しかもそれを演じていた綺麗なコーラスワークに耳を奪われたのが、タンポポとの出会いでありました。
いや、正確に述べれば、その時は誰が歌っているのかさえ不明でしたから、例によって納得するまでの探索癖で、その姉妹フォークデュオの存在を知ったという事です。
さて、そこで掲載したシングル盤は昭和51(1976)年秋に発売されたらしい、おそらくは公式4枚目のレコードなんですが、特にA面収録の「縦縞のシャツを着て」は素晴らしいですねぇ~♪
なにしろ作詞作曲:小椋桂、編曲:萩田光雄という制作スタッフの匠の技以上に鮮烈なのが、宮村姉妹による美しすぎる歌声とハーモニーの魔法ですから、これには今でも聴く度にグッと惹きつけられてしまいますよ♪♪~♪
もしもCD化されているのなら、ひとりでも多くの皆様に聴いていただきたいと願うばかりです。
ということで、最後になりましたが、きっかけとなった件の「Hotel California」の歌詞を書いたのは、なかにし礼!?
その事実に突き当った時の驚愕感も、これまた鮮烈でありました。もちろん所謂「良い仕事」とは言えないかもしれませんが、それがなかったら結果として、サイケおやじはタンポポという素敵な姉妹デュオに興味を抱く事も無かったわけですから、不遜にも全てを良しとするべきでしょうねぇ。
なかにし礼先生、ありがとうございます。