■花の手拍子 / 英亜里 (CBSソニー)
民謡から歌謡曲に転じて成功したスタアの多くは、一般的な意味での歌唱力に加えて、個性的なセンスを持っていた事を鑑みれば、英亜里(はなぶさあり)も忘れられません。
特に本日掲載のシングル盤A面曲「花の手拍子」は、発売された昭和43(1968)年の我国音楽状況の中にあっても、なかなかお洒落なサウンドと彼女持ち前の民謡調のコブシが絶妙の按排で楽しめる傑作として忘れられません。
とにかくライトタッチのラテンフィールにジャズっぽいギター、意図的に薄くしたが如くストリングの存在もさることながら、フックの効いたメロディ展開のイヤミの無さは流石、浜口庫之助の作詞作曲と納得して感服ですよ♪♪~♪
もちろん森岡賢一郎のアレンジが冴えている事は言わずもがな、あくまでも英亜理のボーカルがメインから外れない仕掛がニクイわけです。
う~ん、これぞ昭和歌謡曲の底力!
もう、何も言えず、書けませんですよ。
つまり皆様には、ぜひともお楽しみいただきたいと切に願うばかりであります。
ということで、最後になりましたが、妙な病を患って、指の動きがぎごちないサイケおやじは、そのリハビリという大義名分を得て、キーボード、もちろん楽器のですが、それを買おうと画策しています。
フェンダーローズが欲しいんですが、流石にそれ無理ですから、あれこれネットで探索しては、ニヤニヤするのも楽しいのでした。
内容は「木村好夫」が演奏する歌謡演歌のインストバージョンです。
A面①フランシーヌの場合②ミヨちゃん③人生劇場
④ソーラン渡り鳥⑤今日からあなたと⑥山羊にひかれて
B面①悲しい酒②惚れちゃったんだよ③さすらい人の子守唄
④恋のフーガ⑤出世街道⑥花の手拍子
全12曲、まさか「花の手拍子」のインストが聴けるなんて思いもしませんでしたが、早速針を落としました。
木村好夫のエレキギターが淡々とメロディーを奏でソフトタッチのストリングスとトランペットで脇をかためオリジナルに近い演奏が楽しめました。
“英 亜里”さんのライブで聴く「花の手拍子」はテンポが早く観客の手拍子と一体となって大盛りやがりです。
以前この項で”ジョエン現代”の事に一寸触れましたが、この歌手の素性が判明しましたので記します。
”ジョエン現代”さんは“英 亜里”さんと同じ(作曲家)渡久地 政信さんの門下生だったんですね。
<推薦の言葉>
昭和44年7月の事、遥々ロサンゼルスから可愛らしい女の子が、日本の唄を勉強したいと私を訪ねて来たのです。
一瞬奇異な感じはしたが、彼女の話を聞いている内に、不思議な感激を覚えたのです。
ジャズ音楽も好きだけれど、「私は日本の艶歌調の唄を聞くと、スゴク胸を締めつけられる思いがする」と云うのです。
何でもない様な話ではあるけれど、過日私が渡米した際、在米同胞が如何に愛国心、郷土愛に燃えているかを知った時の事をふと想い出したのです。
爾来、彼女は拙宅に身を寄せ、その心の燃えるが儘に私の教えを受けてくれました。
本名は「芝 恵子、和歌山系米人」で、アメリカでの呼名をジョエン。どういう意味かを正したら、フランスの女傑「ジャンヌダーク」の事をアメリカではジョエンと愛誦する由、彼女の唄心こそ、開拓日本人の郷土愛であり、唄を通じて叫ぶ彼女の魂こそ真に愛国の情であると私には受け取れるのです。
女性の鏡、現代のジャンヌダークであります様に、デビュー名も“ジョエン現代”と命名しました。
在米の両親に頬笑みを彼女の唄を通じて届けたいと祈る次第です。
1951年2月23日生まれ(20歳)
1971(昭和46年)現在
尊敬する歌手=美空ひばり、三沢あけみ
出身校=Dorsey(ドルシー)ハイスクール
住所=渋谷区渡久地 方
身長=150cm
家族=両親、弟
デビュー曲=『島の港』c/w『こまらせないで』昭和46年5月25日発売
他に「ヨロンの珊瑚祭」「エラブ百合の花」「与論島ブルース」
このデビュー曲を“英 亜里”ショーの舞台で熱唱したんですね~♪
’69年の2ndアルバム「花の手拍子」からの一曲“島の港”を同門の好で先生が提供したんですね!
あぁ~よかった!
西田 功/作詩 西条直樹/補作
渡久地 政信/作曲 寺岡 真三/編曲
“英 亜里”さんのシングル盤は今でも流通が多くあるんですね~♫
歌声、歌唱力、日本調、知る人ぞ知る名歌手なんですね。
所属事務所とCBSソニーの期待度が半端でないことがわかります、 彼女は始め芝居もやっていたことは始めて知りました、その後は芝居に力を入れなかった彼女の心は良くわかります、
唄に自信が無い歌手は芝居で活路を見出すケースは沢山有りますが、英亜里さんは歌にすべてを賭けたということなんですね、あれほどの歌唱力をもっていたなら当然の判断でしょう、
しかし浪曲や落語が大好きというのもやはり生み育った環境が大きく影響したのでしょう
彼女のかもし出す 生粋の日本の香りは 江戸深川生まれと聞いて納得です
最近のテレビ番組などの日本文化見直しの風潮を観れば 今この時代に彼女がデビューしていれば これぞ日本の真髄を秘めた麗しい歌手として大フィーバーすることを確信します 当時は洋風崇拝の空気があったので チョット残念な気がします
歌謡ショーでは彼女のようにハワイアンから浪曲までこなす歌手はざらにいません
他の実演でいろんなジャンルの歌を唄う歌手は沢山いますが、それは同じ声質で曲目が違うというだけです、
英亜里さんのように発声法から節回しや表現までほぼ別人の様に唄の世界に入りこめる歌手は他に美空ひばりしかいないと思っています
ああ 私も一回でいいから 彼女のショーを観たかったです。ランタランカ様がうらやましいです
ビクターレコードSV-2169の番号でシングルが発売されていました。(プレス枚数が非常に少ないため希少価値が高い)
1971年(昭和46年)浅草国際劇場(6月10日~15日)で開催された“英 亜里”ショーのゲスト出演でジョエン現代さんが「島の港」を披露していました。
この時一緒に出演されていた歌手の方を紹介します。
唄…“藤井明美”♪新宿メルヘン ☆藤井明美さんは、麻丘めぐみさんの実姉です。
唄…“七尾理恵”♪男と女のブルース ☆青江三奈ふうハスキーボイス!
唄…“小西まち子”♪涙の理由 ☆谷岡ヤスジ(漫画家)の妻
唄…“高原ひとみ”♪七つのしあわせ ☆プロフィール不詳
唄…「西条史郎」♪夜の銀狐
唄…「ジュークボックス♪君にいかれて
特別ゲストとして黒木憲さんが6日間ぶっ通うしで出ていました。(同事務所の好)
それでは肝心の“英 亜里”さんの✿歌謡を紹介します。
このショーは第1景から第8景の8部構成で行われたビッグイベントでした。
✿第一景 花の手拍子✿
演奏……豊岡 豊とスイング・フェイス
司会……宮尾 たか志
唄………英 亜里♪「①花の手拍子②古都の雨③花は知りたい」
✿第五景 花の七変化✿
演奏……深田浩一とゴールデンゲート
司会……宮尾 たか志
日舞……花柳紫朗隆社中
“英 亜里”が早変りの七変化で日舞、ポピュラー、浪曲、ナツメロ、
声帯模写、民謡、ハワイアンを踊り唄いまくります。
唄……”英 亜里”♪①夏祭り②サマータイム③デライラ(西条史朗とデュエット)
浪曲……“英 亜里”♪灰神楽三太郎(相模太郎の十八番)
ナンセンストリオも出演
唄……“英 亜里”♪①旅の夜風②旅姿三人男③月がとっても青いから④困っちゃうな
⑤からたち日記⑥ちゃつきり節⑦どんぱん節⑧南国の夜
唄……“英 亜里” 黒木 憲♪ハワイアン・ウエディング・ソング
✿第八景 花のステージ✿
演奏……豊岡 豊とスイング・フェイス
唄……“英 亜里”♪①花を咲かせて②幼かったふたり③りんどう小唄④東京にひとり
⑤娘の季節⑥あの時あなたは美しく
フィナーレ曲“花の手拍子”(出演者全員登場)
社会人である私は休みを取ってなにがなんでも見に行きました。(当時も今も“英 亜里”命)
このショーの模様は録音してません(今考えると残念至極)
“英 亜里”さんは、元来 落語、浪曲が大好きでテレビ出演で「灰神楽三太郎」を演じてました。
これが好評で舞台でも再演したんですね~♪
渡久地正信氏は、努力家で目先のことにウロチョロしない胆の大きさと 包容力のことを一番に挙げています、
神津善行氏は、日本の心をあの若さでこれだけ表現できるのは他にいないと断言していました、
なかにし礼氏は 彼女の歌唱力には驚かされる、
こんな人とは長く仕事をしていきたい、述べていました。
山路進一氏は彼女の歌にぞっこんで、彼女のために作曲したものは彼女の歌唱以外には考えられない、と手放しで評価しています、
素人の私が英亜里の歌を聴いたときに思ったことはプロの先生方も同じことを感じていたのですね、すごく嬉しい気持ちです、
古来から伝わる尊ぶべき日本の感情「もののあはれ」を表現できる歌手「英亜里」は今後もそれを解る人々によって末永く心にとどまることでしょう
交渉はスムーズに進み、12月には合弁会社設立の調印が交わされ、ただちにCBS、ソニーの折半出資による新会社設立の申請を行った。そして、翌68年2月、政府の認可がおり、3月11日、ここに現在のソニーミュージックグループの母体となる「CBS・ソニーレコード株式会社」(以下CBS・ソニー)が誕生した。
ところで、前年の67年7月、日本の経済力の拡大に連れて強まる諸外国からの要請に対して、政府は資本自由化に踏み切った。レコード製造業も、外資の比率を50%まで認める業種に含まれており、CBS・ソニーはこの自由化第1号となった。
会社設立直後の3月17日、CBS・ソニーは朝日新聞の全国版に全7段の型破りな人材募集広告を掲載した(写真)。
「CBS・ソニーを築く人を求めます」——応募資格は国籍、年令、性別、学歴、身体障がいの有無を問わないという、まったくの無制限。履歴書と経歴書に写真を添え、「私はCBS・ソニーで何をするか」という400字詰原稿用紙4枚以内の作文を出すだけである。この異例の人材募集に14歳から70歳までの男女7,000人が全国から応募した。採用人員80人に対してである。
かくして7月、全国に7営業所を開設し、いよいよ本格的な営業活動を開始、8月21日には記念すべき第1回目の新譜を発売した。CBS・ソニーは、単なるレコード盤のプレス、販売という、それまでのレコードメーカーのビジネススタイルを打ち破っていった。すなわち、プロダクション部門を確立し、アーティストの発掘、マネジメントを自社で行い、当初からあった著作権部門とともに、すべての権利をCBS・ソニーおよびグループ内に留保するビジネスモデルをつくりあげていった。そして、営業開始10年後の1978年には早くも売り上げ日本一のレコード会社に急成長する。
ふたりが再会したのは、去る8月23日、ホテルオークラでひらかれたCBSソニーの発足記念パーティーの席であった。
江木(フォーリーブス)のほうは「どこかで見たような人だな」と直感したが、いつ、どこで会ったのか思いだせなかった。
だが“英”は、「あっ、江木くんだ」と胸がおどり「ここでいっしょになるなんてー」と、初恋の人と再会したような気持ちだった。
「実は私、十年ほど前に、本名(遠藤貴子)で子役をしていたころ、CMの写真で江木くんと兄妹役をやったことがあるんです。
スポンサーは野村証券で、私たち、何回も一緒にお仕事をしたのよ。当時の江木くんは、日活の渡り鳥シリーズなんかで活躍中の売れっ子タレントだったでしょう。
私は子供心にも、スターと共演できるのが、うれしくてたまらなかったんです。」・・・
このあと二人は、更に想い出話に花を咲かせたようです。(“英”さん当時8歳位だったんでしょう)
後…“英 亜里”さんは歌一本で勝負されたんですね~♪
最近の若手歌手の中で、彼女ほど、“日本の心”を深くとどめ、それをうたうことのできる人が、ほかにいるでしょうか。
特に、LP「英亜里・若い民謡」は、私が自信をもって推奨したい作品です。
英君とは、TBSテレビの「家族そろって歌合戦」で、時折いっしょに仕事をしましたが、ひかえめで、礼儀正しい人だという印象を受けました。後援会の発足、ほんとうにおめでとう!
神津善行(作曲家)
おめでとう!
LP“春琴抄”、“花物語”と一緒に仕事をしましたが、あの若さでその歌唱力には本当に驚かされました。これからも彼女とのコンビを続けてゆきたいものです。
歌手は、その時代によって、いろいろな人が誕生し、スターの座を占め、そして消えてゆく人もいます。
亜里ちゃんはその時代の流れにも変わることなくいつまでも歌い続け、活躍していくことを信じています。
なかにし礼(作詩家)
英君は、長い間私に師事してくれていましたので、彼女の歌手としての資質や人柄については、よく知っているつもりです。
たくさんいる生徒の中で、彼女ほどねばり強く、こつこつと勉強した人はいませんでした。
一日も休まずに、レッスンに顔を見せました。同僚の新人歌手がはなやかにデビューしていってもそれをうらやんだり、ねたんだりしたことも、一度だってありませんでした。
それが、花開いて、今日の彼女をもたらしたのだと思います。
渡久地政信(作曲家)
私の作曲した英君の曲「古都の雨」は、彼女以外の歌手がうたったら、ヒットしなかったと思います。
あの独自の、哀愁に満ちたフィーリングは、「花の手拍子」とちがった意味で、私たちに“ふるさと”を感じさせてくれました。
またLP『春琴抄』 『花物語』の中に私が作曲したものもありますが、これも歌い手は、彼女以外には考えられませんでした。
英君は、これからも、ずっといっしょに仕事をしていきたい人です。
山路進一(作曲家)
“英 亜里”さん、デビュー3年にして高い評価を各先生よりいただいたことにファンとして讃美の思いです。
この時期(’71春)私は社会人となったため、フジテレビの「お昼のゴールデンショー」今週の歌を5日間(4月19日~4月23日)毎日(ビデオホール公開放送)聴くことができなくなったことに残念無念の思いでした。
ステージで歌われる曲は『あの時あなたは美しく』(3月1日発売)です。あぁ~“英 亜里”さんの生のお声を聴きたかったです~。(しかしこの時のポスターは事務所で戴きました)
“花の手拍子”を初めて聴いたとき、ここまで歌える人は居ないだろうぐらい聴き惚れてしまったものです。
紅谷洋子の時代にもアイドル歌手として聴かせるモノをもっていましたが、途中ブランクを経て’80年代初頭から“真咲よう子”と改名、玉置宏とのデュエット曲(東京ラスト・ナイト)を皮切りに多くのデュエット・ソングが生まれています。
今現在も彼女はバリバリの歌手活動をされてますので、ステージで“花の手拍子”を是非聴いてみたいものです。
カバー曲はこれ以外にも“瀬戸の花嫁”“下町育ち”など唱ってますのでこれからも期待すると共に“花の手拍子”をカバーした歌手として贔屓にしたいですね~♪
最後に“英 亜里”さん「花物語」の中の一曲✺竹の花✺を何方にカバーしていただければもう最高です。この曲はワルツ調で心を揺るがす平和ソングのようです。
これを見つけたときは思わず’おぉ~あぁ~!でした。
期待感溢れる心情で早速スタートボタンをオン!~♪
聞こえてきた音は正真正銘“花の手拍子“なんです。またわゎ~です。
オリジナルと変わりない個性ある美事な歌いぷっりに(サラっと歌い流す)は感銘さえ覚えました。そしてバッキングの気持ち良さ、オリジナルに勝るとも劣らず、軽快なアンサンブル、ライトタッチのエレキギターが奏でる間奏メロはなんとも言えない心地良さ~♪
16曲(70分)通うしで聴きましたが、やはり同曲が一際煌めいていました。…ハマクラさんですもの!~♪
思うに!全曲集とは歌い手さんのオリジナル楽曲を収録していると思いがちですが、「花の手拍子」は“英 亜里”さんの大切な楽曲なんです。ここだけは忘れないでください。
ちなみにYouTubeではアマチュアの2~3の方が“花の手拍子”をカラオケでお歌いになってます。
出来れば当時ヒットした歌を多数カバーしてほしかったと思います、 彼女なりの表現で また違う歌に聞こえたことでしょう、西田佐知子 青山和子 伊藤ゆかり 園まり など個性あふれる歌手のうたを 聞いてみたかったですね、
「花の手拍子」は、浜口庫之助作詞・作曲の昭和43年の歌である。歌い手は、昭和25年生まれの英 亜里。
自宅、昼飯時、アナウンサーとセットで記憶している。
農作業の手伝いが終わって、家に入って昼食時に、アナウンサーの紹介でこの歌が始まるという感じである。
英 亜里の眉の形が記憶にあるので、テレビで見たのかもしれない。あの頃、家にテレビがあったのかどうか。
あったとしたら、初めて買った白黒の中古テレビだ。
歌は、ほんの断片しか覚えていないが、汗と土埃の畑仕事から、ぱっと花畑に入ったような印象がある。
最近、YouTubeでこの歌に出会った。YouTubeがなければ、一生聴くことはなかったであろう。
響きのよい木管楽器を思わせるような声、歌い方にも引きつけられる。こんないい歌だったんだという感じである。
YouTubeのコメントを見ると、数は多くなさそうだが、根強いファンがいる。
この人の歌を何曲か聴いてみたが、もう一度ヒット曲集を出したほしい気がする。
「雨のまわり道」、「こころの港」、「春灯り」等、何度も聞いてみたい歌がたくさんある。
皆さんよく言われてますが“英 亜里”さん、だからこそ聴ける歌で他の人が唄っていたら……
もともとは歌手だったところを作曲家に転向しました。
そんな渡久地政信さんを一躍有名にしたのは、1951年の爆発的ヒット曲『上海帰りのリル』です!
作曲家に転じて放った第1作目が見事にヒットし、そのデビューに花を添えたのです。
歌った津村謙さんは「ビロードの声」と讃えられスターの座に昇りつめました。
古い曲ですが、ある程度年齢のいった人なら本土の人でも、この曲のメロディーにピンと来るって方、多いと思いますよ!
この曲を聴くと、渡久地政信さんは自身が歌い手の目線に立っていた経験があるせいか、歌詞が立っている感じがします。
世間にはたまに歌詞が合わない曲とかもありますが、これは日本語をのせるのに適したメロディーだな~って感じました!
流れるような滑らかな旋律が、耳に心地良い曲です!
日本の敗戦後、大陸や南方各地からは大勢の日本人が引き揚げてきましたが、その混乱の中で多くの生き別れや死に別れがありました。
『上海帰りのリル』はそういう歌詞なので暗い歌ですが、曲のみで聴いても、どこか哀愁漂う印象を受けました。
サビの部分は繰り返し耳に訴えてくるような感じで、なにげなく聴いているうちに頭に入ってきます。
ふと気付くとついつい口ずさんでたり……。
これ以降、渡久地政信さんは昭和30~40年代にかけて人気を集めた作曲家の仲間入りを果たしました!
同時代に人気を博していた作曲家さん達の音に関しては、中山晋平メロディーが日本民謡、古賀政男メロディーが朝鮮民謡、服部良一メロディーがジャズを基調としているという評価を受けていました。
そんな中、渡久地メロディーは生まれ育った沖縄・奄美民謡をベースにしていると言われました!!
渡久地政信さんは沖縄県恩納村で生まれ、その後奄美大島に引っ越したそうです。
それぞれの持ち味があって、音楽界を支えていたんですね!
その他、渡久地政信さんの代表曲には『お富さん』『踊子』『東京アンナ』『夜霧に消えたチャコ』『長崎ブルース』『島のブルース』など、多数の作品を挙げることができます。
彼は個性的な曲調で全国にファンを作る、ヒットメーカーでしたっ!
中でも『お富さん』は沖縄民謡に影響を受けていて、お座敷ソングのつもりで作曲したそうです。
独特なリズムのイントロには、沖縄の伝統的な音楽の一つ、カチャーシーが取り入れられています。
カチャーシーは両手を頭上に掲げて左右に振り、足も踏み鳴らしながら踊る、沖縄の踊りです!
カチャーシーとは方言で「かき回す」を意味します。
みんなで踊るととっても楽しいですよ!!
沖縄旅行の時など機会があれば是非チャレンジしてみて下さいっ!
さてその陽気なイントロとは裏腹に、歌詞の題材としている歌舞伎は暗いお話です。
しかし曲調が明るく、歌手の声も重々しくないので、とっつきやすい作品に仕上がっています。
全体的にはブギウギを取り入れ、伝統と流行、県内外の文化を混ぜている感じです。
歌舞伎だけどベタベタな日本っぽさがないというのが新しい点ですね!
沖縄の文化はいろいろなものが混ざったチャンプルー文化と言われ、それは音楽の面でも同じことが言えます。
そんな沖縄の音楽の影響を持つ渡久地政信さん自身、魅力的なリズムや響きを融合することには長けていたのだと思います!
“英 亜里”さんのビクターレコード4枚目のシングル「君待つ夜のブルースc/wネオンの灯り」(’78年発売)の作曲者は“渡久地政信”さんで 作詞は吉川静夫 編曲は寺岡真三です。
この頃…?“英 亜里さんは個人事務所を設立してたようです。(戸越銀座のすぐそば)
“英 亜里”さん エノケンさんが亡くなるおよそ半年前’新宿区市ヶ谷加賀町にあるエノケンさんのご自宅に訪問して孫といってもおかしくない年の差の「遠藤貴子さん」と縁側に二人仲良く腰をおろして昔話に花を咲かせていました。(良き時代であればこそ)
1969年の夏の出来事! エノケンさん’70.1.7没
「りんどう小唄」では“今度生まれてくるときは あのりんどうの花のよに”という繰返しのところに、小桜さんの死の予感みたいなものがあらわれている。
「ひとりぼっち」のなかでは、“そっとひとりにしておいて”という文句が、加山の頭に残っていて、それがある日ある時の小桜さんのうしろ姿と重なる。
おふくろが居間でテレビをみているようなとき、オレがうしろを通ると、いつもなら必ず“おにいちゃん?”と声をかけるおふくろが、その日に限って振り返りもしない。もう病気がかなり進んでいたのか、肩のあたりがとても小さくみえて、なんともいえず寂しそうで’オレも思わずゾーっとした。
特に詩を書きため始めたのも、その頃からだった、ガンということは、もちろんまわりの者もひたかくしにしていたんだけど、やっぱり本人には予感が、あったんじゃないかな。その寂しさを「りんどう小唄」のような恋の寂しさに託したのか、それとも現実に恋の寂しさみたいなものがあったのか……」
♪♪“ひとりぼっち”
作詞:小桜葉子/作曲:加山雄三/編曲:森岡賢一郎
♪そっとひとりにしておいて
私はそれでいいのよ
二度とは逢えないこの世では
忘れようとして飲む酒も
冷たいグラスが一つきり
あなたは私を忘れてねぇ
だからひとりにしておいて♪
♪そっとひとりにしておいて
私はそれでいいのよ
胸にだかれた遠い日が
二度とはふたりに来なくても
ほんとの心はただひとつ
あなたは私を忘れてねぇ
だからひとりにしておいて♪
♪そっとひとりにしておいて
私はそれでいいのよ
愛して愛され結ばれて
星といっしょに消えたひと
何であきらめられましょう
あなたは私を忘れてねぇ
だからひとりにしておいて♪
♪♪”島の港”
作詞:西條直樹・西田功/作曲:渡久地政信/編曲:森岡賢一郎
♪大和になじめぬ’ソレ’私故
奄美に帰ると言ったひと
訪ねて遠く来たけれど
名瀬の港は霧の中 霧の中
♪ハイビスカスの’ソレ’花びらが
南の風に散った夜
小島の宿できいたのは
悲しい恋の蛇味のうた 蛇味のうた
♪港に雨の’ソレ’煙るころ
離れ小島の灯もゆれて
むなしくよせるさざ波も
岩にくだけて散るばかり 散るばかり
1969年9月5日発売の“英 亜里”さん通算2枚目のアルバム「花の手拍子」の12曲中6曲が新曲となっています。
A面:4、5、6(島の港/ひとりぼっち/りんどう小唄)
B面:2、4、6(三つの涙/初恋そよ風/あなたと咲きたい)
当時、喜び勇んでこのLPを「コタニレコード店」(新宿三丁目)に買いに行ったことを想い起こさせます。寝る前に必ず“セパレートステレオ”で毎日聴くのが、至福のひと時でした。
特に“島の港”は一種独特の琉球サウンドの臭いがする素晴らしい旋律に酔いしれてました。(悲しい恋のうたです~やるせないです。)
このLPはCD化(CD選書)もされてますが、やはりアナログで聴くのが一番です。とにもかくにも
“英 亜里”さんの抜群な歌唱力には・・・もう涙です。(本日もLP聴いて涙…)
“島の港”は高級オーディオ試聴室で大音響で聴いて見たいものです。(“英”サウンドここにあり!~♪)
あなた様の情報量に驚いています
英亜里さんの情報が掲載されていれば 真っ先に読ませていただいております、
彼女の歌を聴いているときは、運転しているときですが、編集して何曲もとおして聴いていると、 この歌をもう一度リピートして聞きたい、と思う歌が有ります 最近は「雨のまわり道」と「島の港」です、
「雨のまわり道」は密かな逢瀬に嬉しくも切ない女心を
見事に表現しており、男の私でも この女性の心情が
があふれるほどに伝わってきます
全盲の作曲者「竜鉄也」作品ですから そこには人生の深さが滲み出ているのでしょう、 すばらしい名曲です
「島の港」は奄美出身「渡久地正信」作曲の本格的奄美節で、これぞホロホロと「英亜里」に最適な歌でして、奄美の複雑な節回しを完璧に歌いこなしており、
その技量の高さを味わっています 多い日は繰り返し5~6回聴いてしまいますが 全く飽きるどころかますます惹きこまれる名曲だと思います、
こんな地味で玄人好みの歌は残念ですが なかなか売れないのですね・・・
「愛してはいけない」(英亜里)
作詞:石郷岡豪、作曲:三保敬太郎、編曲:馬飼野康二
[1973.9.25発売; オリコン最高位100位; 売り上げ枚数0.6万枚]
[歌手メジャー度★★; 作品メジャー度★★; オススメ度★★★★]
♪曲を歌っているのは、1968年、当時新進レコード会社だったCBSソニーの記念すべき第一号新人歌手英亜里です。民謡から歌の世界に飛び込んで、着物姿でビート歌謡から演歌までを歌いこなす逸材だったんですよね~…と書いてもきっとご存じの方は少ないでしょうし、そもそもどんな風に名前を読んだらいいのかすら分からない()かも…(正解は“はなぶさ あり”です)。
彼女がデビューした1968年といえば、いわゆるGS(グループサウンズ)が全盛の頃に当たります。その一方で、伊東ゆかり、奥村チヨ、黛ジュン、小川知子などの有力女性歌手が活躍する時代だったこともあって、“英(はなぶさ)”という凝った名字は、“黛ジュン”の芸名にあやかってつけられたとのこと(ちなみに命名したのは、作詞家である川内“憂国の士”康範センセの奥さん)。「“ひで あさと”さんですか」と訊かれるのはまだマシな方で、「日本の方ですか」なーんていう質問もあったらしいです。彼女、確かに目鼻立ちがはっきりしてますもんね~。個人的にかなり好みのタイプだったりします(←実にどーでもいい情報でスイマセン)。
英亜里のリリースしたシングルは、私の知る限りでも23枚(非売品除く。もう少しあるかも…ってなことで現在調査中です)。このうち、オリコン100位以内にランクインした曲が7作品あって、一番売れたのはハマクラ(浜口庫之助)先生作詞作曲の2作目「花の手拍子」(1968.12.10発売、オリコン最高位30位、売り上げ枚数12.4万枚)ということになってます。 シングルの作風はなかなかバラエティに富んでいて、平尾昌晃センセによるビート歌謡のデビュー曲「花を咲かせて」(1968.9.5発売、47位、6.3万枚)、いしだあゆみの世界を髣髴させるグルーヴ感が嬉しい筒美京平センセによる「娘の季節」(1970.6.21発売、-位、-万枚)、オトナの女性の世界をさらりと巧みに歌い上げたすぎやまこういち作品「札幌のあの人」(1972.1.21発売、-位、-万枚)などなど、佳曲が目白押し。もっとも個人的には、なかにし礼&ハマクラコンビによる分かりやすい“エ□歌謡”の「花は知りたい」(1970.2.21発売、66位、3.1万枚)あたりも捨てがたいなぁ…なーんて思ったりするワケですが。作品ごとにかなり意識的に歌い方を変えている点も目を引きますね。
…さて、彼女の全般的な紹介はこの辺でおしまいにして、さっそく「愛してはいけない」の話に移りましょう。この曲、実は英亜里のオリジナル作品ではなく、1964年11月に和田弘とマヒナ・スターズがリリースしたシングルA面のカバーです。マヒナの方は、放送当時の昼メロ最高視聴率を叩き出したTBS系ドラマ「女の斜塔」の主題歌で、“不倫”を思わせる歌詞内容が“いかにも昼メロ向きだよなぁ”といった印象です(ちなみに歌詞はこんな感じ)。
♪ 愛しては 愛してはいけない人なんだ
私を泣かせないで 心を悲しませないで
誰にも言えずに グラスに語る
嘘じゃないの 本当なのよ
死ぬほど 死ぬほど好きな あなたなの
♪ 愛しては 愛してはいけない人なのか
私を苦しめないで 心をそそのかさないで
涙で見つめた 憂いの丘を
いついつまでも 忘られないの
死ぬほど 死ぬほど好きな あなたなの
♪ 愛しては 愛してはいけない人じゃない
私をじらさないで 心を惑わせないで
すべてを賭けた 切ない胸なの
嘘じゃないの 本当なのよ
死ぬほど 死ぬほど好きな あなたなの
曲の主人公が女性だということを考えると、マヒナよりも女性歌手が歌った方が似つかわしいことは間違いないのですが、これを英亜里がカバーすることになった事が、私にはちょっとした“奇跡”に思えるんですよね…。とにかく“癒(いや)し度数”が抜群とでも言えばいいのか…切ない女の恋ごころを、彼女が実にいい雰囲気で歌っているのです。
“愛してはいけない人なんだ”→“愛してはいけない人なのか”→“愛してはいけない人じゃない”…と、歌詞が進むにつれて“好き”な気持ちがどんどん高じて、倫(みち)ならぬ恋に女性がずぶずぶと填ってゆく展開は、男性にとってはたまらないものがあります。このとき、曲を聴いてる男性の脳内では、「そうだろ?やっぱ俺って魅力的だろぉ?」という妄想(というか勘違い)と征服欲が満たされた満足感とで、ドーパミンが出まくっているワケですね~。
ちなみにコンポーザーの三保敬太郎は、(元祖)ジャニーズやフォーリーブスのシングルやアニメ関係(おんぶおばけ)でクレジットを見かけるジャズピアニストですが、やはり世間的には、あの「11PM」のテーマ音楽(♪シャバダバ シャバダバ~ っていうアレ)が一番有名でしょう。
最後になりますが、彼女はCBSソニーから東宝、ビクター、テイチク、トリオ、コロムビアと、レコード会社を転々としながらシングルをリリースした関係で、数年前にオーダーメイドファクトリーがソニー時代のシングルベストを作ったのみで、アーティストとして”一気通貫”のベストアルバムが未だに発売されていません。従って、ビクター時代にリリースされた「愛してはいけない」も未CD化のまま…。何とか私が生きているうちにCD化してもらえないもんですかねぇ。ではまたのお楽しみ~
私は当時このレコードを2枚購入し直接“英 亜里”さんにジャケット2枚にサインを戴きました。シンプルで実に解り易い字画に惚れ惚れです。
一枚目はセカンドシングル/デビューシングルのA面B面4曲収録!♪
二枚目は「LP若い民謡」集(ファーストアルバム)からの4曲を収録!♪
EP 「花の手拍子」(SONJ-83002)1969/4/21発売
A-1. 花の手拍子(3:50)
A-2. 恋の熱帯魚(2:28)
B-1. 花を咲かせて(2:55)
B-2. 夕霧の町(3:18)
EP 「花笠踊り」(SONJ-83005)1969/7/21発売
A-1. 花笠踊り(2:45)
A-2. 最上川舟歌(2:57)
B-1. よさこい節(2:45)
B-2. のんのこ節(2:48)
どうして出てこないのかな、これじゃ ジャケ・デザインも分からずじまい…欲しいですね~絶対入手を願望に!(ヒョットしたら御蔵入り)゜(゜´Д`゜)゜
「東京にひとり」のB面 【ささげつくして捨てられて】
♪あなたの 指は つめたくて
私の肌は 燃えていた
それが悲しい 思い出ね
あなたと 別れた そのあとで
どんな涙を 流せばいいの
ささげつくして
ささげつくして 捨てられて
♪背中をすべる あなたの手
おぼえていたい いつまでも
せめて最後は 踊ってね
あなたと 別れた そのあとで
どんな女で 生きたらいいの
ささげつくして
ささげつくして 捨てられて
どんな明日に すがればいいの
ささげつくして
ささげつくして 捨てられて
ベース音と同時に低音の打楽器(太鼓)音のイントロからはじまり高音のレキントギターがそれに吊ずく
そして“英 亜里”さんの真(心)に迫ったボーカルが心をゆるがします。~♪(ある意味!凄い曲です)
この曲を聴いたあとは何も言えません!
RKK熊本放送ラジオ(1197kHz)にて放送中「てなもんやサウンド笠」「我等音楽マサイ族」
のオンエア履歴や、管理人の日々の出来事(ほとんど猫ネタ)、これらを綴っていきます。
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2014年2月15日
【てなもんやサウンド笠 2014年2月15日放送分】
『英 亜里 ゴールデン・ベスト リミテッド』/英 亜里
(ソニー DYCL-239)
オンエア曲:
「花の手拍子」
「娘の季節」
※解説
1968(昭和43)年に設立されたCBSソニーの第1号新人歌手
として、フォーリーブスとともに華々しくデビューを飾ったのが
演歌路線の女性シンガーである英 亜里(はなぶさ あり)。
折しも黛ジュンが大ヒットを放っていた時期であったため、
「黛」のように漢字1文字で音が4つ、という苗字を芸名に
してはどうかという方針によって、いくつか挙げられた候補の
中から「英」で「はなぶさ」と読ませることに決まったという。
2枚目のシングルとして発表した浜口庫之助作品「花の手拍子」
(1968年)がスマッシュヒットとなり、これが彼女の代表作となった。
こうしてCBSソニーに5年間在籍したのち、東宝、ビクター、テイチク、
トリオ、コロムビアと移籍し、1980(昭和55)年まで活動を続けた。
大ヒットの実績がないため決して派手な印象を残していないが、
若手ながらたぐい稀なる歌唱力を持ち、常に和服を身にまとった
清楚、可憐かつお茶目なイメージから根強い人気を誇っていた。
そしてついに今年、デビューから46年を経て彼女の楽曲のCD化が
大きく進んだ。CBSソニー在籍時の作品を24曲収録という充実ぶり。
その中からまずは代表曲、ハマクラ作品の「花の手拍子」(1968)、
続いては筒美京平作曲による演歌ポップス「娘の季節」(1970)を。
『英 亜里 ゴールデン・ベスト リミテッド
むかしお世話になった熊本で地元のラジオ局が“英 亜里”さんをオンエアーしていただくなんて有難いことです。
⑥ リクエスト曲『花の手拍子』 歌:英 亜里
・元明大生さんからのリクエスト。曲の終わり方がきれい・かわいいとまりやさん。そこから英さんも声や顔が可愛いという話題に。
’1969年1月は同じCBSソニーの江夏圭介さん(コロムビアから移籍)と“英 亜里”さんが、金沢の城下町で新人同士ということで座ってのツーショット!まだ18歳娘盛り
可哀そうすぎます。・・・なんだかな~
椿まみ(つばきまみ 本名:橋口倫子 1945年10月14日生)
[歌手]
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鹿児島県出身。高校を卒業して上京、万城目正歌謡音楽院で学び、1964年にテイチクから歌手デビュー。翌年に出来たばかりのローヤルレコードに移籍し、1969年には『月の世界でランデブー』が東京12チャンネル(現テレビ東京)のテレビスポットCMで流され、レコードはあまり売れなかったが、人々の記憶に残る曲となった。
1972年1月13日、世田谷の自宅階段で首吊り自殺した。椿は1971年11月、二重瞼と歯の矯正手術を行った直後から姿を見せなくなり、整形手術が失敗したことで悩んでいた。しかし、検視の捜査官によればそこまでひどい失敗とは思えなかったという。
1972年1月13日死去(享年26)
恋の館山砂丘
2枚目紹介のA面のこのタイトルは シーサイド・ブルームーンです。(元々でしたので修正)
しかし連日の様に天災が続いています。少なからず阪神大震災の被害を身近に感じた身としては、テレビ放映される被害状況に胸が痛みます。お見舞い申し上げます。
さて話は変わりますが、ごくごく一部で熱心な愛好家がいるローヤルレコードってご存知ですか? 1960年代後半から70年代まで結構なぺースで歌謡曲のシングル盤を出し続けていたマイナー・レーベルです。親会社は不動産とか観光業とか聞いたことがありますが、あまり詳しいことは知りません。もっとも昭和歌謡には、もっと深い井戸があちこちに掘られていたので、そういう本当の(?)インディーズに比較したら、ローヤルレコードはメジャーのようなものでしょうが。
気にはなっていたのですよ。シングル盤漁りをしていれば、嫌でも目に入ってきます。入っては来ますが手を伸ばすには結構勇気が必要な種類のオーラを発しているのですね、それがまた。調べれば連番コンプリートで集めているようなマニアが存在する種類のレーベルなのですね。そう言う話を聞いて引いてしまうか、それでは一丁となるか。ここがコレクターの分かれ道であります。
さてさて、意識しながら見て行くと、ローヤルレコードで必ず出てくる女性歌手がいます。それが椿まみさんでした(デビュー当時は『麻美』、のちに『まみ』)。これが何とも目を引くのですよ、曲名も、ジャケット写真も、そして肝心のお姿も。もちろんリアルタイムでは知ろうはずもありません。活躍時期は1960年代後半から70年代初頭で、世間ではもう天地真理だの南沙織だのが活躍していた時期と重なります。そんなわけで、ここにきてムクムクと関心がわいてきたわけです。
それでは2009年度・お盆企画第1弾。これっきりになるかもしれませんが、とりあえず見て頂きましょう。椿まみさんの3連発です。
RQ-713 ローヤルレコード 370円 /1969年10月
A面 黙っているほうが 作詞:安田英二 作編曲:柳ヶ瀬太郎
B面 パラダイスの湖 作詞:安田英二 作編曲:島村こう
黙っているほうが
黙っているほうが わたしは好き
あなたがわらえばわたしも笑う
始めて逢った あの時も
何も云わず 見つめてた
あなたの虜に なってしまったの
このレコードはジャケットも普通、曲調もため息まじりのお色気・ムード歌謡という感じですが、この人の声質ゆえかあまりお色気は感じられません。この人の声を聴いたことがない人が多いと思いますので、主観ではありますがちょっと説明させて頂きますと、ちょっとあっさりした英亜里さんという感じでしょうか。癖はありますがそれほど強く感じないのは、高域の伸びが今ひとつ足りないからではないかと勝手に思っています。今日紹介する3枚/6曲のうちでは一番印象に残りませんでした。
パラダイスの湖
燃える瞳の きらめきは
情熱の 愛の証よ
くちづけの 甘さに酔えば
湖の霧は流れて
静かに浮かぶ 鴨の群れ
ああすてきな パラダイスの湖
この曲のインパクトは、なんといっても最後のフレーズ♪パラダイスの湖〜 です。なんなんだそれ?(笑) 頭の中でこのフレーズがぐるぐる回ります。このあたりにローヤルレコードの真骨頂が見え隠れします。
RA-1132 ローヤルレコード 400円 /1970年6月
A面 シーサイド・ブルームーン 作詞:藤島信人 作曲:五十嵐茂美
B面 恋の館山砂丘 作詞/作曲:五十嵐茂美
恋の館山砂丘
星がこぼれる ブルームーン
波がささやく
椰子の葉そよぐ ブルームーン
夢のように 浮かぶ小舟に
君の瞳も 青くぬれている
シーサイド・ブルームーン
まずこれが1970年制作というところに目が行きます。曲調はメジャーですが、リズムは西田佐知子のコーヒー・ルンバ、アレンジそのものはドンカマ(リズムボックス)のリズムに乗ったハワイアン(?)という感じでしょうか。といってもよく分かりませんよね。けっしてゲテものではないですが、もう時代はルンバでもハワイアンでもありますまい。でも実はこのジャケットはピンナップジャケットなのですよ。これは別の意味でうれしいものでした。
恋の館山砂丘
澄みきった 空の青さに
私はそっと あなたの膝に砂をかける
今もあの時の 手のひらに
砂の熱さが 忘れられない
ああ 館山砂丘
これまた最後のフレーズ♪ああ 館山砂丘〜 が意識を混濁させてくれます。これってご当地ソングなのかなあ。何なんだろうなあ。そんなことを考えていると意識が…。
RA-1136 ローヤルレコード 400円 /1970年6月
A面 なぐられてもいいわ B面 だけどどうして
作詞:白鳥朝詠 作編曲:阿部純
なぐられてもいいわ
なぐられてもいいわ
けとばされてもいいわ
あなたが好きなの どうにもならないの
泣かされても 嫌われても かまわないわ
あたしはそれでも そばにいたい
椿まみさんの歌の中でもこの歌詞は最右翼ともいうべきものでしょう。でも曲調は明るいですよ、凄く明るい。アップテンポで歌詞を良く聞き取らなければ、フンフンフンと鼻歌が出てくるようなメロディですが、♪泣かされても 嫌われても かまわないわ〜 というところは結構コブシ効かせて泣かせのメロディです。歌詞の強烈さを不思議な明るさでくるんでいるので、文字で読むよりインパクトが少なくなってしまっているのは、残念と見るべきか、はたまた「やれやれ」と考えるべきか。
だけどどうして
だけど どうして
恋をしたの わたし
だけど どうして
愛したの あなた
とても不思議なのよ
逢ったこともまるで
なんかの偶然なのにね
それがどうして恋になったの わたし
それがどうして愛になったの あなた
この3枚/6曲の中では、もっとも真っ当で彼女の声質に合った典型的昭和歌謡です。これ、好きです。A面のアンサーソングとしてのB面の曲と考えると、それはそれでなかなかよく考えられていると思いますが、ジャケットの写真とは合いませんねえ。
そうそう、このレコードたちのジャケットの紙質はエンボスになっていて立派です。上の写真でも分かる通り、レーベルもスリーブ(紙袋)のデザインもなかなかゴージャスです。
あんまりよく分からない説明でしたね。やっぱり聴かないと分からないですよね。それにしても彼女もまた表情がコロコロと変わりますね。他にもまだレコードはたくさん出されていて、とても全部をフォローは出来ませんが、知る限りで同じイメージの写真は少ないです。それがまた魅力かもしれません。
ところで肝心の音質ですが、これが結構良いのですが、それはおそらく当時の一発録り的による鮮度の高さ故だと思われます。それに昨今のような過剰なエコー・リバーブ関係はあまり多用されていないので、非常に自然というかリアルな音がします。
そうそう、ジャケットの裏側にこのようなことが表記されていました。
「ローヤル技術陣が開発したDyna(力学的広大な音を)Pick-Up(そのまま取り上げる)Sound(音の)System(方式)で、貴方が指揮者の位置で聞くと同じ音の距離と強さ、大きさをレコードの上で再現するシステムです。完全なHigh-Fi Stereoが楽しめます」
略してDPS方式と言うのだそうですが、あくまでも私の主観での判断ですが、もの凄く左右に音場を広げた音作りがなされていました。といっても自然なワンポイント録音で広がりがあるのではなく、マルチ・モノでパンポットで左右にソロ楽器を定位させて意図的に広がりを出したという感じです。
あー、つかれた。そんなわけで夏バテに負けない体力が残っていれば、また続編をご報告いたします。
主観 確かに声質(中音部)は似てますが、高音の延びがイマヒトツ・・・シングル盤3枚資料的確保
“英”は乙女椿40本を寄贈して開園を祝った。その夜は市の児童図書館建設のチャリティーショーを開き新曲「花を咲かせて」を披露~♪
基地の米兵に“ピース!”と声をかけられなごやかな会話をかわす、そして“ひめゆり”の塔に祈る。沖縄で彼女の人気は絶大!
大山コザ市長に小山環境庁長官のメッセージを伝えた“英”は彼女の沖縄を思う愛の心に感激する市長と固い握手。沖縄は’1972年5月15日、日本に返還された記念日!
1972年4月の記事
そして、今度2年ぶりに小桜さんの念願のシングル盤が出る。“英 亜里”はこの機会に東京の多摩墓地にある小桜さんの墓にお参りしてきた。
先生(小桜さん)にはとてもかわいがっていただいたのに、こちらは新人の遠慮もあって、あまりお話できなかったし、亡くなったときも、一周忌のときも、ちょうど旅に出ていて、おうかがいできず、とても気になっていたんです。
でも今度、先生の念願だった、シングル盤を出すことができて、ホッとすると同時に、すごく責任を感じます。お墓の前で手を合わせながら、パシフィックホテルでいっしょに歌っていただいたときの若々しい、無邪気な先生を思い出して、泣いてしまいました。
あの歌は、内容が素朴であるだけに、プロの方がつくった詞よりもかえってむずかしいんですけど今度はなんとなく亡くなる前の先生の気持ちをそのまま歌にこめて唱えそうな気がするんです。いつでも先生とデュエットしているつもりで歌っていきたいと思います。
昭和44年の秋LP(“花の手拍子”【69’9.5】)が発売されて間もなく、小桜さんの体操教室関係のパーティが茅ヶ崎のパシフィックホテルで開かれ“英 亜里”も呼ばれていって、“りんどう小唄”を披露した。
小桜さんは「これ私の歌なんです、どうぞよろしく」といって、おおいにてれ、かつ、はしゃいでいたが、そのうち小桜さんもステージに上がって“英 亜里”と「りんどう小唄」をデュエットした。その時に近くにいた人たちは小桜さんの大きな目から見る見るうちに涙があふれ頬をつたって流れるのを観て、異様なショックを受けている。
「加山雄三」さんの御母上「小桜葉子」さん♪
1918年3月4日生誕~1970年5月12日永眠(満52歳)
ご冥福をお祈りいたします。合掌
英亜里という歌手は、 全身全霊で心から歌う人なんだなあと、改めて聴き入ってしまいました。
大衆の目にとどまること無くこのアルバムが埋もれてしまったことは、すごくもったいないことです、私はこの他もう一枚の「花物語」というアルバムを生涯聴いていくでしょう、
それほどに深い味わいを感じるのです、場面は明治 大正 昭和初期の頃の日本の色彩が如実に描かれていて、それは私の脳裏にある懐かしさでは無く 日本人の根源に根ざすなつかしさのようなものを感じています、その核になる心は、いまの日本人に無いもの、 人の悲しみに対して我が事の様に悲しむ純な日本人の心を彼女の表現する歌に感じることができるのです、
サイケおやじ様によるこの空間と ラウタランカ様の多くの情報によって、私に英亜里の世界を提供していただきましたことに、深く感謝しています。
これからは 流行歌の世界には無い、深く人間の奥底を描くこれらのアルバムで心に栄養を蓄えていきたいと思っています
「とっても可愛いくて、歌がうまい。それだけの理由で」と加山は強調し「それだけの理由で彼女に曲をプレゼントしたんだ」という
贈られたのは、弾厚作 作曲「りんどう小唄」ところで、この作詞は、なんと加山の母・小桜さんによるもの母の詩に加山が曲をつけるのも全く初めてのことである。
詩を一読した加山は「できた!」とヒザをたたいたそうだ、たちまち曲も完成、彼はギター片手にヨット光進丸の仲間のもとへ走り、勢い込んで弾き語りを聞かせたのである「仲間もこりゃ’酒飲みながら歌うのにいいやといったね」そういう加山は、さっそく映画「フレッシュマン若大将」にとりいれている。
小桜さんはいう「私としては手拍子でもとりながら歌うことを念頭に作りました」典型的な日本調の歌です。その意味で“英”さんが唄って下さるなら申し分ないけど、恥しいから私もペンネームを考えなくちゃと思って易者さんに相談したら、「凰月」がいいというのちょうど女盛りにさしかかるというのに、これじゃあまりにも おばぁ~ちゃんみたいじゃない!
“英”はクールじゃなくてホットさが持ち味です。加山さんのメロディーも、同じさびしさでも陰にこもらず、明るくあたたかい感じでしょ、これがうまく合ったんだなー彼女が歌うと実に生きるんですョ~と小おどりせんばかり
さいわい「花の手拍子」が3月まで10万突破と好調なのでこのあとタイミングをよくみて「りんどう小唄」をぶつけるという“英”の感激は想像以上だ。
加山と初対面のとき「可愛いな」を連発されて、すっかりポーとなった加山はギター弾きながら「りんどう小唄」とそのうえ「花の手拍子」まで唄ってくれた。
無性にオリジナル「りんどう小唄」が聴きたくなり「加山雄三・演歌流し唄」(CD)を購入しまして10曲目収録の同唄を聴きましたが流石!元歌!“英 亜里”さんが歌う曲調と殆ど同じで実に爽快でした。
映画バージョンのものは鼻唄感覚で唄ってますので小踊りしそうです。(若大将トラックスより)
ひとつは一世を風靡し、今もなおカラオケで歌いつがれている名曲。もう一種類は、ある時期に大ヒットしながらも、やがて人々の口にのぼらなくなる歌。しかし後者も、けして私たちの記憶からすっかり消えてしまっているわけではない。
あるきっかけで、ひとつの歌が様々な記憶を呼び戻すこともある。
私にとって「花の手拍子」はそんな歌だ。
本書を書くために、レコードのリストを眺めていた時“英 亜里”の名が、ひょいと眼に入った。
歌のメロディー、彼女の真っ赤な振袖姿、仔犬のように大きな瞳、そんな記憶が、いっぺんに甦った。年表を見ると奇しくも「花の手拍子」の発売日には東京府中で、三億円事件が起きている。
’68年、創業時のCBSソニーに、ディレクターはわずか四人しかいなかった。ソニー、レーベルのスターのために、自薦他薦の新人歌手へのオーディションが、繰り返しおこなわれた。
そんな時期、銀座のある楽器店の社長が、振袖姿の少女をオーディションに連れてきた、それが“英 亜里”だった。
歌はうまい!高音部、地声とファルセット(裏声)の間に境がなく音が自然に移行する、耳心地が実に良かった。
そして、着物を着ているのに、不思議と肉感的な印象があるー’下町にこういう子、いるだろうな・・・。そんな感想を持った。
少女は無口で、何を訊いても頷くのみ。うつむいたままで顔を上げようとしない。肉感的な外見と内面の羞じらい。ーそのコントラストに興味を持った。
その年の九月五日、フォーリーブスの「オリビアの調べ」と同じ日に“英 亜里”のデビュー盤「花を咲かせて」が発売された。
フォーリーブスのデビュー、シングルは21万枚リリースというヒット曲になったが“英 亜里”の「花を咲かせて」の売上はふるわなかった。しかし落胆することなく、三ヵ月後に第二弾のシングルを発表する。それが「花の手拍子」だった。作詞、作曲は浜口蔵之助である。
振袖姿で歌う“英 亜里”の印象は、ともすれば大仰になる。ディレクターは浜口の軽い酒脱な持ち味を調味料にし、衣装との対照の妙を出したいと思った。
「タン タ タン、タン タ タン・・・」と詩自体がリズムを刻む、軽快な歌ができあがった。
その前年、ラジオ各局が「オールナイト・ニッポン」や「パックイン・ミュージック」といった深夜放送を開始し、若者はこぞって深夜のラジオを聴いていた、深夜放送でもこの「花の手拍子」は洋楽やフォーク・ソングとともによく流れた。
CBSソニー、そしてソニー・ミュージックエンタテイメントの歴史を振り返ると、アイドル路線、ポップス路線のイメージが強い。そういう路線の中で活躍したスター・プロデューサーがいた。
しかしフォーリーブスと同時に振り袖姿の“英 亜里”がデビューし、その担当が同氏であったことを今になって知ると実に興味深い。
ソニーレコードは今、藤あや子、伍代夏子など美人演歌歌手のヒット演歌を世に送り出している。
その源流には“英 亜里”がいたのである。♪~♪
そして歌手“英 亜里”は、もうじき開花する蕾みのまま、私たちの記憶の底にいる。
’1995年のある著書より一部抜粋
因みに「花の手拍子」は12.4万枚売上(スマッシュヒット)
そして今日は“英 亜里”さんの誕生日です。
毎週木曜日午後9:30から1時間枠で放送されたドラマの
オープニングナレーションとメインタイトル曲
主演は「酒井和歌子」共演者に 芦田伸介、大和田伸也、千秋実、京唄子らが名を連ねている。
ドラマの内容よりも、このオープニングテーマの旋律の美しさに惹かれて録音した記憶がある
エンディング部分では「花の手拍子」というヒット曲を持つ“英 亜里”によって
オープニングテーマの旋律に歌詞をつけた主題歌「女がはたちになったとき」が
歌われていたが、東宝レコードから発売された、そのシングル盤によると
作曲は「森田公一」となっている。但しアレンジはオープニングとは大きく異なって純然たる
歌謡曲然とした仕上がりになっている。
(ネットのプログより一部引用)
ドラマ“らっきょうの花”は全く知りませんでしたが”英 亜里さん”がらこのレコードのサイン入りジャケットを
戴いたことには感無量を超える喜びでした。
“英 亜里さん”は1973年6月30日をもってにCBSソニーレコード会社を円満退社しました。
同社のラストシングル「どうする気なの/雨の宮参り」は’73 .3 .21発売でしたので、それ以降の時期にテレビ用として録音されたのでしょう?
そして同年8月10日付けでビクターレコードに移籍(入社)しました。“✿英 亜里さん”から戴いたお手紙は宝として大切に保管しています。
「来年は 国会で大活躍します」と口を揃えていえば
「まア まア~ 押えて 押えて」 となだめ役にまわった三平さん 記念写真でスイマセン!
90名いる東京出身(まだまだいます)の中から“英 亜里”さんが、選ばれたことは光栄に就きます。
(後方のほぼ真ん中で“英 亜里さん”写ってます。可愛い!~♪)’70 12月
スターにそっくりさんと言う週刊誌の企画で“英 亜里さん”のそっくりさんが登場してました。メーキャップでスターが二人!似るもんですね・・・!! ’70 11月
「オロナイン軟膏」愛用者のスター訪問 と言う企画で “英 亜里さん”を訪ねてと題してファン(男性2名)と一緒に皇居前広場を背景に CM撮影されてました。(残念!応募していれば・・・) ’70 5月
瀬戸の渦潮をひとまたぎ!やって来ました四国・高松 栗林公園で鯉にエサをやったり 日傘で散歩としゃれこんだり 美しい紫雲山に若い声がこだまするひととき
市内はちょうど夏祭り 祭りの行列に飛び入りした「じゅん&ネネ」 英 亜里のみなさん
ワッショイワッショイと大はしゃぎ♪一同が勢揃いした写真には 左から’石田ゆり ’ネネ ’じゅん ’西郷輝彦 ’五木ひろし
’中山恵美子 “英 亜里” ’野村真樹 ’玉置宏のみなさん(平凡アワーの旅≪高松≫高松まつりでひと踊り)
若き日の9名のタレントさんが一同に会した まぎれもない素晴らしい出来事でした。 ’71 11月
LP“春琴抄”の中の一曲で「小僧の神様」は微笑ましくもコミカル的ソングで その時代の人々の心のありがたさ 優しさを豊かに表現してるようです♪
CD なかにし礼 大全集のなかに“英 亜里さん”の楽曲が、4曲収録されてます。
①花は知りたい’②小僧の神様’③春琴抄’④放浪記
フォーエバー✿ari hanabusa❀
彼女に兄弟姉妹はいないということが分かり、彼女の
生い立ちなど朧気に見えてきます、
祖母と両親の愛情を一手に受けて育ったので あんなに温かく優しい歌が唄えるのですね、あの優しい美声で私の気持ちはどれほど和んだことか、
キャバレー回りでの彼女を観たそうですが、
貴方のおっしゃるとうりきっと苦痛だったと察します、
例えば「こまどり姉妹」など生活の根底から苦労して這い上がってきた歌手とは違い。彼女には這いつくばってでも、この道で食べていく覚悟の発生するストーリーが有りません、そこまでやってでも食べていく根拠が無いのです、望んでもいないのに散漫な酔客の前で歌うのは惨めさと苦痛だけが残る筈です、
こころに深い傷を負わないうちに若くして引退したのも賢い決断だと思います
若き思い出として 早々に引き出しにしまったことに
エールを送ります
私が一番気になっているのは、引退したあと今日まで平均してみて幸せな暮らしであったことを願わずにはいられないということです、
心根の優しい彼女のことだから、きっと周囲とうまくやってきたことでしょう、そればかりを願っています
メドレー曲、最後は“旅姿三人男”でした。
失礼いたします。
この空間は一種独特の雰囲気があり、多くの歌手やコメディアンは一度は通る登龍門的な場所(円卓ステージ)であったことには間違いないでしょう・・・?
また客層は様々でホロ酔客!、泥よ酔客!シモネタを連呼する客、いはや実に楽しめる楽天地そのものです。
このステージで“英 亜里”さんが歌われた曲を紹介します。
①古都の雨 ②メドレーで“旅の夜風”すみだ川”関東春雨傘”お吉物語”旅の夜風”以上5曲
③愛はひとすじ④雨の鎌倉(キャンペン曲)⑤アンコールで“花の手拍子”
私のボックス席には中年のホステスが2名ほど付いてましたが、視線の先は♪花歌謡“英 亜里”さんに釘ずけでした。(心境を察するところ苦痛では・・・?)勿論デンスケで録音~!♪
さて疑問点を幾つか述べたいと思います。
“英 亜里”さんは生れも、育ちも、東京深川ですが、一時 日本橋“蛎殻町”にも移り住んでいました。
“英 亜里”さんには兄弟はいません・・・・・・しかし!?
お父さんは公務員、お母さんは専業主婦です。
“英 亜里”さんは熱烈な 三田 明さんのファンでした。
乱筆ご容赦ください
点と点を結んで考えていくうちに、彼女の生い立ちや兄弟家族のことなど知りたくなりました。
最初のヒットからそれを凌ぐヒットが出ないことへの
いらだちなど、周りの期待にそぐえず、ずいぶん悩まれたことだろうと推察すれば 可愛そうな気持ちがわいて来ます
無口な彼女のことだから、だれにも打ち明けず深い孤独を味わい続けたに違いないと思うからです
歌手生活の後半の歌にそれが表現されています
私は若いときの希望いっぱいで色彩豊かな艶のある
歌声も 後半の人生を感じさせる歌も どちらも大好きです、
新しく入手した 民謡アルバム 花物語(LP)
をたっぷり聴いて新しい発見をしたいと思っています
今後ともうれしい情報よろしくお願いいたします。
オープニングの曲は勿論「花の手拍子」を歌われました。初めてのハワイ公演と言うことも有り少し緊張う気味ではありましたが、これぞプロの歌をオワフ島のお客様に聴いて頂く良いチャンスでしたのでしょう。!♪
ここで順番に歌われた曲目を紹介いたします。
①花の手拍子②鹿児島小原節③旅姿三人男
④ハワイアンウェディングソング(デニス大城とのデュエット)
⑤愛してはいけない⑥ここに幸あり⑦旅の夜風
全七曲を熱唱しましたが、圧巻はファルセットを有効に生かした「ハワイアンウェディングソング」で司会者からも素晴らしいと絶賛されてました。
私が思ったのは“英 亜里”さんの声の良さで何時間でも聴いていたいですね(司会者とのトークのお声最高!)
P.S 事務所の後輩“中山恵美子”さんも出演されました。そして最近亡くなられたスチールギター奏者の山口軍一さんも飛び入りでスチールギターを披露してました。
“英 亜里さん”の「うみねこ音頭」でした 1969、12月リリース「逢いみての」のB面でこの地をテーマにした正式な音頭歌謡です。
勿論のこと直ぐにターンテーブルに針を落とし聴きました。
♪ハアー
船は出て行くしぶきをあげて ハヨイショ
蕪の花咲く蕪島のうみねこさんも
勢揃い コリャ
白いつばさが 白いつばさが手を振る様に サテ
大漁祈って大漁祈ってソレ舞いあそぶ
♪ハアー
唄で知られた八戸みなと ハヨイショ
紅い夕日に照らされてうみねこさんも…省略
♪ハアー
年に一度蕪島まつり ハヨイショ
島の社は厳島…~省略
、
加山雄三 作曲、小桜葉子 作詞の「りんどう小唄」と共に好きな曲です。
CBSソニー唯一の艶歌歌手として今年は大いに気を吐きそう
無口なことでは人後に落ちない“おすまし屋”さんだが、内に秘めた根性は仲々のもの。
毒舌おじさん・前田武彦が“大仏さま”と命名しても、まるで反応示さず、大物の片鱗をうかがわせている。
’1969年4月1日「読切文庫」
深川木場の川岸(後方には橋が)に腰をおろして佇む“英 亜里さん”♪本当に絵になります。
(当時 純下町深川は木場の町として栄えてました、その地で生まれ育った“英 亜里さん”が羨ましいです)
5月11日から14日までの4日間「古都の雨」のキャンペーンのため彼女は、京都 大阪をおとずれた。
円山公園で舞妓さんに会い曲名の入った蛇の目傘をプレゼントしたり、観光客やバスガイドに歌唱指導をしたり、東映撮影所の「銭形平次」のセットに大川橋蔵を訪問したり、マイクロバスを使って立体的に新曲のPRを行なっていた。
東京生まれ、東京育ちの彼女だが、そのしっとりとした純日本的ムードが、古都の風情ととけあって見事な効果をあげていた。
’69.5の記事(’69.3月21日発売「古都の雨」)
CBSソニーレコードのロゴマークがはいった宣伝カーで巡業先を回っていたのでしょう。
このころから私が描いていた理想像人でした。
お元気でお過ごしでしょうか
このコーナーも活性化のために使わせて頂きます。
今は満々の水をたたえる樽床ダムも、湖底には樽床集落がその長い歴史とともに沈んでいます。
国土開発を説く広島県と中国電力K.Kの強い要請でやむなく立ち退きを容認したのが、昭和32年7月31日。
住み慣れた我家を棄て幼いころから親しんできた人々と別れ、朝夕に見てきた野山を後にして、370人が後髪をひかれながら、ちりじりに故郷を離れていったのです。
そして同日(昭和32.7.31)にダムが完成
田畑71、6ha(72,2町)、山林原野254,8ha(256,8町)、神社1棟、小・中学校々舎1棟、家屋73戶の集落ひとつが、すっぽりとダムの底となったのです。
十数年たった今も、故郷を失った悲しみは深く、故郷の念はつのるばかりです。
国の発展のために、涙をのんで犠牲となった樽床集落の人々の気持ちを、今一度この“樽床湖哀歌”により押しはかっていただければ幸いです。
作詞:高藤 整 作曲:越部 信義 歌:英 亜里
「花の手拍子」が陽であれば「樽床湖哀歌」は良い意味での陰ではないでしょうか?
それにしても“英 亜里”さんの歌唱力には脱帽です、そしてファルセットの心地良さ♪心をこめて歌い上げるその志誠に涙腺がとまりません、表には出ませんが“英 亜里”さんは本当に凄い歌手です!♪
コメント&フォロー、感謝です。
彼女がフォーリーブスと同期デビューとは知りませんでしたが、そういえばその頃はテレビに出まくっていた記憶が強くあります。
おそらくは今も彼女の人気が高く、というよりも、忘れられない魅力に虜なんでしょう。
CD復刻は、めでたいかぎり♪
ちなみに一昨年だったかと思いますが、Sony Music Shopのオーダーメイドファクトリーで「GOLDEN☆BEST limited 英 亜里」 の廃版CDの復刻企画があり、申し込んでいたら、突然この1月10日に「予定数に達したため、制作します。」との返事が来て先日手に入れました。全24曲 浜庫、平尾昌晃、三木たかし、千家和也、岩谷時子などそうそうたる先生方による楽曲でしたが、そこそこのヒットはやはり「花の手拍子」くらいでしょうか?ビクターに移籍後、マヒナスターズの「愛してはいけない」 をカバーしてますが、これはまた彼女にぴったりの良い曲です。