■愛したら最後 c/w 野良犬 / 豊川誕 (Trio)
ジャニーズ事務所から登場した数多のアイドルの中でも、特に鮮烈な印象を残しているのが豊川誕かもしれません。
と、聊か曖昧な書き出しになってしまったのは、豊川誕は売り出された最初っから「孤児」とか「施設育ち」等々、決して恵まれてはいなかった出自が強調され、しかし、それでいて不思議に自然体な明るさを見せてしまう振る舞い、そして説明不要という、如何にもジャニーズ仕様のルックスが、なんともサイケおやじには奇異な印象だったからです。
まあ、今となっては、それも芸能界のスタンダードな方法論のひとつであり、正にジャニーズ帝国の異端と正統を併せ持ったスタアの証だったと理解も出来るのですが、それにしてデビューした昭和50(1975)年春からの大ブレイクとその後の波乱万丈(?)は、今日までの日本芸能史の裏表を考察するは絶好!?
なにしろ豊川誕には、失礼ながらジャニーズらしからぬ歌唱力がありましたし、ルックスは皆様ご存知のとおり、甘さの中に翳りが滲むという、そのあたりが自らの履歴と完全にリンクしていたんですから、女の子を夢中にさせる魅力があった事はサイケおやじも認めるところです。
ところが、そんなパワーが強烈過ぎたのか、全盛時代だった昭和52(1977)年夏頃だったでしょうか、突如としてジャニーズ事務所から姿を消し、テレビのバラエティ番組等々でも、その行方を捜索する様な企画さえあったと記憶しているんですが、その原因の真相は様々にあろうとも、流石のジャニーズ事務所も焦りが見え隠れしていた事が確かに知れ渡るという事件でありました。
そして皆様ご存知のとおり、独立しての芸能活動を目論んでいた豊川誕に様々な圧力が及んだ事は言うまでもなく、一時的にジャニーズ事務所に復帰するも、再び飛び出した後は昔っからのスキャンダルが表沙汰になったり、悪いクスリ云々、暴走族とのあれやこれや等々が、これでもかとマスコミを騒がせたのは、いやはやなんとも……。
しかし、豊川誕は芸名の使用に制限を受けたものの、ロックバンドを結成したり、新たな方向性を模索し、ついに昭和55(1980)年に出したのが本日掲載のシングル盤でして、それがなんとっ!
収録両面共に歌謡ロックの演歌的展開だったんですから、吃驚仰天させられたのはサイケおやじだけでは無いと思いますねぇ~~。
それは、作詞:なかにし礼&作曲:長沢ローが提供のA面「愛したら最後」で大爆発!? ヘヴィな質感を打ち出している馬飼野俊一のアレンジがあればこそ、豊川誕の歌いっぷりのロック性感度の高さは素晴らしく、同時に演歌本来の泥臭さを滲ませた節回しは、所謂「コブシ」とは似て非なる味わいなんですねぇ~~。
また、B面に収録された「野良犬」は、実はこっちが本命とも言うべきファンクな色彩の歌謡ロックに仕上がっていて、正に我々が知らされていた豊川誕の出自を強く伝える阿里あさみの綴った歌詞も、さらに作曲:長沢ロー&編曲:馬飼野俊一の企図したサウンド作りも素晴らしいですよっ!
グッと「漢」を感じさせるジャケ写にも、女心が惹きつけられるのは必定だったでしょう。
ということで、結果的には大ヒットには結びつかず、豊川城の波乱万丈は続いていくのですが、個人的には本格的に歌謡ロック~ハードロック歌謡の路線を追求して欲しかったなぁ~~、と本気で思っております。
うむ、ロッカーには紆余曲折を良いベクトルに変換する資質が求められるんでしょうかねぇ~~。豊川誕には、それが確かにあったとすれば、本日掲載のシングル盤は傑作!