ダメだ……。
帰れません……、本日も。
出張中のため、本日の1枚は例によって休載をご了承下さい。
仕事も縺れて、しばらくは休みや自分の時間が作れそうもないですが……。
この憂さをどうやって晴らすか、それを考えるのも、また楽しいかもしれませんね。
負け惜しみ、失礼しました。
■あいつの好きそなブルース / 梶芽衣子 (テイチク)
隣国へ出張中のため、とりあえず本日の1枚はお休みさせていただきますが、一応の旅のお供にしているのが、梶芽衣子の久々のアルバム♪♪~♪
なんでも31年ぶりだとかで、プロデュースは宇崎竜童とくれば、あの名作映画「曽根崎心中」以来のコラポレーションなんですよねぇ~~♪
01 あやまち
02 一番星ブルース
03 あいつの好きそなブルース
04 袋小路三番町
05 朝顔・夕顔
06 あゝブルース
07 しなやかにしたたかに
で、もちろん中身は期待どおりの歌謡ブルースがたっぷり♪♪~♪
梶芽衣子ならではの細くて芯の強いボーカルと切迫した節回しは、何時聴いても独得の世界があって、サイケおやじの世代には抜けだせない魅力があるんじゃないでしょうか。
宇崎竜童のプロデュースも、そのあたりを大切にした慎重なものだと思います。
ということで、これは帰ったら、もう一度、取り上げたいと思いますので、本日はここらで失礼致します。
■Good Lovin' / Young Rascals (Atlantic / 日本ビクター)
反体制がひとつのウリだったロックと言えども、しかし1960年代は、それなりの衣装がライプの現場では必須とされていました。特にバンドスタイルのグループでは、まさに揃いのユニフォームが絶対条件!?
例えば本日掲載したヤング・ラスカルズのシングル盤ジャケ写に登場するメンバーは、丸く大きなカラーのシャツにネクタイを着用するという、今となっては何ともキッチュな佇まいが失笑物かもしれませんが、これはこれで必要な過去というか、味わい深いんじゃないでしょうか。
ちなみにヤング・ラスカルズとは、巷間広く知られているラスカルズのデビュー当時のバンド名であって、この「Good Lovin'」は1966年春に全米チャートのトップに輝いた代表曲♪♪~♪ 当然ながら、持ち前のブルー・アイド・ソウルな風味が全開の名唱名演に仕上がっていますよ。とにかく聴いていただく他はありません。
で、最初の話に戻りますが、このバンドの揃いの衣装という「制約」は殊更アメリカで強く、それは所謂ハコバンであっても、クラブやキャバレー等々の飲食を伴う店での仕事や地方巡業では、ジャケットとネクタイが義務づけられていたのが、芸能界の掟だったのです。
それを知ってしまえば、有名なジャズメンのライプ写真のほとんどがスーツやタキシード姿であったり、あるいは黒人R&Bの一座では、そのバックバンドまでが揃いのお仕着せという仕来たりも納得出来るところでしょう。
しかしロックというイメージ的に自由度の高い音楽においては、普通のスーツ姿というのは明らかに違和感が強いという事でしょうか、例えばビートルズの襟無しスーツやスモール・フェイセスの個人主義的なファッションスタイルが目新しくあれば、他のバンドも追従しなければなりません。
ですから、キッチュであることがすなわち、カッコ良すぎる存在証明!?
まあ、このあたりは同年に花開いた西海岸でのサイケデリックロックブームによって、尚更に自由なファッションや当時としては破天荒な着こなしが若い世代によって認められ、妙に時代遅れの象徴にもなるんですが、今となっては懐かしくも素晴らしいものだと思います。
そして、こういう感慨深さがあるからこそ、ピクチャースリーブ付きのシングル盤や大きいジャケットが眺められるLPというレコードの世界は不滅なんでしょうねぇ~♪
■友を待つ / The Rolling Stones (Rolling Stones / 東芝)
ますます脱力させられる永田町のゴタゴタも、元はと言えばお互いの信頼関係が失われたことにあるのは明白でしょう。
もちろん結党から政権を担当するまでの経緯には、寄り合い所帯という「お家の事情」がありますから、外側からは口出し出来無い葛藤やジレンマが、ありきたりの人間関係となって表出しているのかもしれません。
そして、そんなあれこれは、苦楽を共にしてきた盟友であればこそ、複雑な愛憎が尚更に入り混じる結果として、周囲を呆れさせる混迷に……。
これを誰が笑うことが出来ましょうか?
似たような状況は、自分の身にも確かに覚えがありますし、これからだって明日は我が身という思いを禁じ得ません。
しかし、だからといって、相手をペテン師と周囲に言い放ったり、あるいは裏取引の暴露から厚顔無恥の居直りまで演じてしまったら、誰も同情はしないし、バカ扱いは必至というのが、この世の理なのも、また事実!
そこで本日も、思わず口ずさんだのが、この「友を待つ / Waiting On A Friend」でした。ご存じ、ストーンズが1981年9月に出した畢生の傑作アルバム「刺青の男」に収録され、後にシングルとしても大ヒットした素敵な歌謡パラード♪♪~♪
ギターやパーカッションが不思議なラテンの香りを心地良く演出し、また美しいピアノやファルセットのコーラス、さらにはソニー・ロリンズによるテナーサックのアドリブは名演といって過言ではない存在感を聞かせてくれますが、やはりミックとキースの人間関係が滲み出た歌詞も深いところでしょう。
実は当時のグループ内は、既に良く知られているように決して良好ではなく、ミックとキースの確執や自分勝手なビルにマイペースなチャーリーという傍らには、ロニーがオロオロするばかりだったとか!?
まあ、このあたりは数え切れない修羅場を経験してきたストーンズのオリジナルメンバーであればこそ、本当は「分かっている」状況なんでしょうが、外様のロニーには入って行けない部分があったのでしょう。
ただし、そこにはイアン・スチュアートというストーンズ生え抜きのサブメンバーが絶妙のクッション役を果たしていたようですし、土壇場ではきっちり仕事をやってしまうのが、ストーンズという世界一のR&Rバンドです。
この「友を待つ」にしても、実際には1972年末頃にレコーディングされていたマテリアルを引っ張り出して再加工するという、ストーンズの得意技で完成されたと言われていますし、特筆すべきは英文法的に、あえて「Waiting On」とした言葉の使い方に意図的な絆の強調が表れているというのは、今や定説になっています。
ちなみにサイケおやじが、既に前述のLPを持っていながら、何故に掲載のシングルをゲットしたかと言えば、それはご推察のとおり、この日本盤に収録されているのはイントロを一部カットし、フェードアウトも相当に早いという編集バージョンですからねぇ~~♪ 全く油断出来ませんよ、ストーンズのやる事はっ!
おそらく未だ、公式CD化も無いと思われますので要注意ですよ。
ということで、なんだかんだと思惑ばかりが優先している現状の中、このジャケ写も妙に意味深ではありますが、ここまで来てしまうと、なるようにしかならないでしょうねぇ……。
もう、これ以上の虚脱感は勘弁して欲しい気分で、この歌を口ずさんでいるのでした。
■チョット・マッテ・クダサイ / ゴールデン・ハーフ (東芝)
ここ数日の永田町のゴタゴタ笑止劇は、ついに暴露合戦!?
なんとっ!? 現職総理が仲間からペテン師扱いされるという、もはや収拾不能の家庭内離婚の様なテイタラク……。
さらに仲間外れにされた実力派リーダーが不貞腐れ……。
分かってはいたつもりですが、それにしても、これが国難に直面した指導者達の我欲の姿か……。そんな呆れと情けなさを、あらためて思い知らされたのはサイケおやじだけではないでしょう。
だいたい、ペテン師と言われる方も自業自得かもしれませんが、言う方もどうかしていますよ。
おいおい、それはちょっと……。
そんな気分の中で、思わず口ずさんでしまったのが、本日のシングル曲でした。
歌っているゴールデン・ハーフは昭和を代表するセクシー系アイドルグループとして、まさに一世を風靡しましたが、それはお色気優先の「きわどい衣装」や「露出度の高い演技」等々と同じ比重で、所謂「オトボケ」や「トホホのギャグ」も満遍なくやれる「芸能」を持ち併せていたからでしょう。
また、さらに魅力的だったのが、自然体に歌って踊れるガールグループとしての存在感の強さです。
ちなみに全盛期のメンバーの中では、小林ユミ、高村ルナ、マリア・エリザベスの3人がフジテレビの人気番組だった「ビートポップス」のゴーゴーガール出身であり、グループの中では一番に芸達者だったエヴァ・マリーは、実はモデルが本業だったというキャリアが上手い方向へと作用したのかもしれません。
つまり彼女達は芸能界が何であるか、ハーフである自分達が何を求められているかを認識していたと思います。
お叱りを覚悟で書かせていただければ、ゴールデン・ハーフが正式にデビューした昭和44(1969)年頃は、未だ我国では「混血」が侮蔑の対象でありながら、逆に土着の日本人から見ても、その独得のカッコ良さやセックスアピールの危険度は、絶対に叶わないものでした。
まあ、そういう嫉妬心が「侮蔑」することによって逆に強まっていたのは、確かです。
で、そんな時代に登場した彼女達は、あえてグループ名に「ハーフ」を使うことにより、とても上手く「混血」という生まれつきの環境を活かせたんじゃないでしょうか。
そして実際、「混血」よりは「ハーフ」という言葉が広く使われるようになったのも、彼女達が登場してからだと思います。
しかもゴールデン・ハーフの人気の秘密の一端として、彼女達はセクシーではありますが、テレビのバラエティ番組でのお茶の間への馴染み方にイヤミがありませんでした。
さて、そこでようやく本日の1枚ですが、おそらくは昭和46(1971)年末に発売された通算5枚のシングルとして、A面の「チョット・マッテ・クダサイ」が出色の仕上がり♪♪~♪
ご存じのようにゴールデン・ハーフの持ち歌は圧倒的に洋楽のカパーが多く、しかも特有の日本語詩が付けられた所謂和製ポップスだったんですが、この「チョット・マッテ・クダサイ」のオリジナルはサム・カプーという、あまり冴えない中年男性歌手が同年にアメリカでヒットさせたハワイアンポップスで、「chotto matte kudasai」という日本語を上手くキーポイントに使い、他にも「sayonara」とか「sakura」という外人も知っている言葉も聞かれるという、実にホンワカムードの大名曲ですから、彼女達のパージョンも幾分たどたどしい言葉使いを逆利用した確信犯!?
しかもオリジナルのメロディやアレンジをソフトロック的な味わいへと上手く導いた川口真の編曲が、これまた秀逸の極みですし、香取治の新作詞もジャストミートしていますよ。
また当然ながら、超ミニスカのパンツ見せジャケットにも大いなる魅力があって、現代のエロカッコイイなんていう戯言フェイクなんか、ちゃんちゃら可笑しい、それこそペテン師!
と、思わず熱くさせれしまうのが、ゴールデン・ハーフにシビれた世代の本音でしょう。
思えば彼女達が大活躍していた頃の日本は本当に元気があって、どんな苦しい出来事にも本気で頑張ろうという空気が確かにありました。それを今こそ、もう一度、取り戻す事が求められているんじゃないでしょうか。
う~ん、するとゴールデン・ハーフのような存在が必要!?
そういえば最近、韓国からルックスもセクシー中心主義のガールグループが幾つか、来日してくれますが、結局はそういう事なんでしょうかねぇ。
ということで、最後は文字通り、支離滅裂な本日の文章ですが、どうか大サービスのジャケ写に免じて、ご容赦下さいませ。
今日は日帰人間ドックで、朝から病院に来ています。
一応は体調不良の自覚症状が無いので、無駄な時間という気も致しますが、昨年秋の急病騒ぎがありますから、ここは自重が必要と言い聞かせています。
また最近は私用のPCが絶不調で、実は昨日もプログのアップに難儀しましたし、本サイト「サイケおやじ館」の更新が滞っているのも、その所為という言い訳も成立するほどです。
なにか中途半端にしか各種ソフトが作動しないんですよ……。
そこで現在、新しいマシンを入手しようか……、熟慮中でありますが、それにしても昨日の永田町は酷かったですねぇ。
保身とウソの上塗りが今日になっても収まるどころか、ますます酷い暴露の連続!?
結局、誰も責任を負いたくないし、国民よりは自分が大切という代議士先生方の本音を見せつけられただけで、後味が悪いです。
こんなガタガタな国がどうなるか、悪い結果だとしても、未来が知りたいのはサイケおやじだけではないでしょう。
ちょっと健康診断の結果を気にする事と似た気分ではありますが、いはやはなんとも……。
■恋のサンライト・ツイスト c/w 心のときめき / 小山ルミ (ユニオン)
昨日は所要で某お役所へ行って仰天!?
クールビスによる衣替えとはいえ、なんと! 職員の中にアロハシャツ姿が!?
う~ん、それはそれで現場の意向なんでしょうが、なんともリゾート気分のユルフンムードが、現在の国難に相応しくないと思うのは、サイケおやじだけでしょうか。
なにか額に汗することが馬鹿を見るという風潮を称揚するが如き……。
と、まあ、嘆き節ばかりじゃ、前に進みませんから、個人的には女性職員の水着着用とか、あるいは本日掲載した小山ルミのジャケ写の様なセクシー&ハッピーフィーリングを優先させることが、有意義な税金の使い道じゃなかろうかと思ったりしました。
そこで肝心のレコードについては、小山ルミが昭和48(1973)年7月に出したドメスティックなオールディズカパーの人気作♪♪~♪
まずA面の「恋のサンライト・ツイスト」の原曲は、イタリアのアイドル女優として絶大な人気があったカトリーヌ・スパークが1963年に主演の「太陽の下の18才」で使われた挿入歌というよりも、青山ミチのカパーによって我国の歌謡ポップスファンにはお馴染みじゃないでしょうか。
それを小山ルミは千家和也が新しく書き下ろした歌詞を得て、実にダイナミックに快唱してくれますから、気分はすっかり情熱の恋♪♪~♪ もちろん竜崎孝路の編曲はオールディズ風味を大切にしたリズムアレンジを基調としながらも、当時流行のブラスロックやニューソウルの味わいを巧みに取り入れた温故知新のスタイルですし、録音そのものが低音重視ながら、実は分離が良すぎるほどのステレオミックスとあって、なにか意図的に好き嫌いを狙ったところも感じられます。
しかし小山ルミの歌いっぷりは、絶妙に抑制されたお色気と艶っぽい声質の使い方が最高で、本当にたまりませんよ♪♪~♪
また、B面収録の「心のときめき」も、スイング・ウエストに在籍していた湯原昌幸の持ち歌として知られていますが、どうやら原曲はインドネシアの民謡!? それをA面同様に竜崎孝路の編曲と千家和也の新作詞でもって作りなおしたのが、小山ルミのバージョンというわけですが、これまた屈託の無い歌謡ポップス王道路線の仕上がりで、侮れません。
とにかくシンプルで明快なリズムアレンジと先が読める快感のストリングをバックに歌う小山ルミのお気軽なムードが結果オーライということでしょうか。
ということで、永田町の大馬鹿野郎どもの茶番劇や利己主義の政治姿勢に辟易されられる日々の中では、こういう素敵な分かり易さが一番必要なのかもしれませんねっ!
■Stop Action / The Ventures (Liberty / 東芝)
今年もアッという間に6月に突入ですねぇ。
未曾有の大災害も全く先が見えない状況の中、時の流れは容赦なく、気がつけば夏が近づいてるのですから、様々な苦難が続く中にも、とにかく前を向いていくしかないと思います。
そこで本日は夏といえばベンチャーズということで、景気づけの意味も込め、大好きな1曲を鳴らしてみました。
もちろんこれはエレキインストならではの痛快なアップテンポのR&Rで、流石はノーキー・エドワーズ(g)、ドン・ウィルソン(g)、ボブ・ボーグル(b)、メル・テイラー(ds) という全盛期の4人組による共作曲とあって、バンドの纏まりも最高! 強烈なロックのビート&グルーヴが、僅か2分ちょいの演奏の中で濃密に凝縮されています。
特にシンプルなR&Rのリフとコード進行に基づく、実にテンションの高いリズムアプローチは素晴らしく、中でもドン・ウィルソンのリズムギターがあっての物凄さ! また完全な共犯関係というメル・テイラーの明快なドラミングと基本に忠実なボブ・ボーグルの潔いベースも存在感が強く、華やかなノーキー・エドワーズのリードギターが、実は乗せられているだけという真相もあるんじゃないか……? そんな不遜なことまで思うほどです。
またセッションミュージシャンによるオルガンの活躍も同様でしょう。
そうしたベンチャーズの特異性(?)は、なにも「Stop Action」だけに限ったことではなく、エレキインストという固有のジャンルに拘らなくとも、ロックバンドとしての本質を鋭く表現したに過ぎないでしょう。
しかし、その当たり前のことが非常に難しいんですねぇ。
毎度お決まりの告白として、サイケおやじは数次、この曲をバンドでやったこともありますが、どうしても纏まったノリが合わせられず……。
ちなみに高校の同好会に入れてもらった時、サイケおやじは初めて「バンド」という集合形態での練習を体験したわけですが、その場でもグループとしての纏まりを決めるためにリードやボーカルのパートよりは、バンド全員でリズムとビートを合わせることからスタートしましたですね。
つまり、リズムトラックを先に完成させるというか、それがある程度の形になってきたところで、いよいよリードやリフ、そして歌やコーラスを合わせるという練習過程は、ちょいとしたカルチャーショックでもありました。
ということで、バンドはリズムとビートの纏まりが肝要というのが本日の結論でした。
そこで我国の永田町の現状を鑑みれば、あまりにもリズム音痴でノリが悪い与党のだらしなさ、バラバラになって責任とか纏まりを自ら放棄している姿勢は情けない……。それでいて権力だけには固執する姿が見苦しばかりですよ。
そんな未熟な馬鹿集団にこそ、本日の「Stop Action」を捧げたいと思うのでした。
これを聴いて、前を向こうぜっ!