OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

坂口良子は憎めないなぁ~~♪

2013-01-21 15:24:06 | 歌謡曲

あこがれ / 坂口良子 (日本コロムビア)

今では、ちょっと世間知らずっぽい愛娘といっしょにテレビ出演している姿ばかりですが、坂口良子はティーンアイドルのトップだったデビュー期、そして本格的な女優としてキュートで親しみ易い人気を得ていた結婚前のイヤミの無い華やかさは、決して忘れられるものではありません。

なにしろ芸能界へ入る決定的なチャンスが、昭和46(1971)年度の「ミス・セブンティーン」コンテストのグランプリだった実績も大きく、何よりも愛くるしい面立ちは男好きのするタイプでありました♪♪~♪

また性格も大らかだったようで、サイケおやじは業界関係者から聞いた話として、ミス・セブンティーンに選ばれ、海外撮影に行った現場で、カメラマンから「逆立ちして」と言われた冗談を真に受け、街の真ん中で本当に逆立ちしたという、全く信じられないエピソードがあるらしいですよ!?

う~ん、すると母娘は天然(?)なんですかねぇ~~~。

という疑惑はさておき、当時の事ですから、芸能界の人気者は歌手業も必須として、本日掲載したのは坂口良子のデビューシングル盤です。

発売されたのは昭和47(1972)年春、なによりも初々しい中に、幾分媚びたような目線のアンバランス感が憎めないジャケ写のポートレイトが良い感じでしょう♪♪~♪

全く好き嫌いが露骨に表れるに違いないカットを選んで、それでも使ってしまった制作側の狙いが、なんとなく理解されるところと思います。

そして肝心の楽曲は作詞:有馬三恵子&作曲:森田公一という、まさに当時の王道アイドル路線に沿った正統派の仕上がりで、時代を鑑みれば、ちょっぴり古いムードもあったんですが、サイケおやじはなかなか気に入っていました。

もちろん結果的にヒットしなかったのは皆様がご存じのとおりで、むしろそれゆえにドラマや映画に出演しての女優業でブレイクしたのは、強い必然性なのでしょう。

ということで、本来は同年代の女性アイドルや女優さんには、それほど夢中になれなかったサイケおやじが、例外的に好きになっていたのが坂口良子であり、もうひとりが「生贄夫人」で鮮烈にデビューした東てる美だったと言えば、その本音が露呈したと思います。

良く知られているように、坂口良子は最初の結婚から手を染めていた夫の事業の失敗により、離婚……。そして莫大な負債を抱えながら、それでもしっかりと女優業で稼ぎまくり、借金を返済して後に再婚に至った顛末を最近になって明かしています。

う~ん、本質的に明るいキャラクターが救いになっていたんでしょうかねぇ~。

そんなヘヴィな部分をファンに感じさせずに活動していた坂口良子が、サイケおやじはやっぱり好きです♪♪~♪


素直に好きになれた五十嵐夕紀

2013-01-20 15:55:46 | 歌謡曲

私が選んだあなたです c/w 今日も私は泣き笑い / 五十嵐夕紀 (東芝)

我国歌謡界でアイドル路線が主流になった昭和50年代は、ヒット曲の無い女性アイドルシンガーが大勢活躍するという、これまた妙な流行がありました。

つまり彼女達は歌手を本業としてデビューしながら、その実態はバラエティタレントであり、またグラビアアイドルでもあり、さらには女優として人気を確立出来たという、それはなかなか幸せな時代を過ごせたわけで、例えば片平なぎさは最も成功したひとりでしょう。

そして本日ご紹介の五十嵐夕紀も、またそうした流れの中で活躍し、昭和52(1977)年に、確か16歳でレコードデビューした時から頻繁にテレビに登場し、楽曲にも恵まれていながら、何故か歌手としてはブレイクせず……。

これは今も不思議に思えるほどなんですが、歌唱力も悪くはありませんでしたから、結局は同時代の他のアイドル歌手に勝てなかった、何かの要因があったのでしょう。

もちろん彼女の魅力としては、愛くるしいルックスも含めた、正統派としての佇まいが保守本流過ぎた!?

そんなヒネクレタ解釈も可能かもしれません。

結局、何をやっても売れなかった歌手としの実績以外で、彼女が記憶されているのは、それゆえの事と思う他はありません。

なにしろ昭和59(1984)年には日活ロマンポルノ「双子座の女」に出演するという、荒業(?)も披露したのですから……。

しかし歌手としての五十嵐夕紀は、本当に素敵なレコードをいっぱい出しているんですよ!

掲載したシングル盤は昭和52(1977)年秋に発売された、おそらくは2作目のレコードだと推定しておりますが、特にA面収録の「私が選んだあなたです」は当時流行の歌謡フォークをAOR風に味付け直した、これが作曲:筒美京平&編曲:萩田光雄のちょいと不思議なムードも滲む、良い仕事♪♪~♪

しかも微妙に演歌チックな作詞が橋本淳なんですから、これが売れなかった事は結果として何らかの間違い!?

そう簡単には決めつけられないものを感じるほどです。

そしてもう一方、B面収録の「今日も私は泣き笑い」が、これまたハードエッジ(?)なアイドル歌謡曲の極みつきとでも申しましょうか、作詞:橋本淳&作曲:筒美京平の黄金コンビに編曲が船山基紀とくれば、痛快で胸キュンなツボはしっかり押さえられているんですから、たまりません♪♪~♪

もちろん五十嵐夕紀の歌いっぷりが、A面以上の「ふっきれフィーリング」なんですよっ!

う~ん、これだから昭和歌謡曲って、素晴らしいはずなんですねぇ~♪

ということで、五十嵐夕紀は今、どこでどうしているのでせう……。

この素敵なジャケ写のボートレイトを眺めつつ、レコードに針を落せる幸せをありがとう♪♪~♪

そんな気持を伝えたくて、本日は拙い文章を綴っているのでした。


何故か好奇心のインディアン娘

2013-01-19 15:20:53 | 歌謡曲

好奇心 / 黒木真由美 (キングレコード)

ヘンテコな流行が多々あった昭和芸能界の中でも、殊更サイケおやじを妙な気分にさせていたのが、所謂インディアン娘のキャラで売っていたアイドルです。

なにしろ香港からの出稼ぎ組だったリンリン・ランランが、何故っ!?

また、アパッチなぁ~んていう、そのものズバリの三人組も登場しましたし、特に本日ご紹介の黒木真由美に至っては、ほとんどそのイメージしか残っていないほどです。

う~ん、本当に不思議なんですが、リンリン・ランランにしろ、黒木真由美にしろ、歌を含めた芸能の実力は相当に高かったんですから、何がそこまでさせたのか、今も真相を知りたいわけですが……。

まあ、それはそれとして、黒木真由美には、もうひとつ、失礼ながら南沙織の二番煎じ的な魅力、さらには岩崎宏美のライバル的な位置付けもあったんですよねぇ~~♪

確か昭和49(1974)年の「スター誕生」では、岩崎宏美よりも評価が高かったというのがデビュー時の業界内でのウリであり、また今日では伝説(?)として、テレビバラエティの「懐かしの芸能人」特集でも、それが頻繁に語り継がれている事は、皆様もご存じのとおりです。

そして南沙織の路線継承企画としては、黒木真由美のルックスにも顕著なエキゾチックな雰囲気の良さにも、共通点が強く滲むところでしょう。

ですから、昭和50(1975)年春の歌手デビューレコードである掲載のシングル盤A面曲「好奇心」が、必然的に南沙織が放っていたヒット作と同じ味わいがあるのは、当然!

いゃ~、アップテンポの歌謡ポップスは、こうでなくっちゃ~~♪

と、思わず浮かれてしまう気分を落ち着かせるのが難しくなるほど、これは丸っきり南沙織が歌っていても違和感はゼロ!

もしかしたら、南沙織バージョンが残されているんじゃ~なかろうか???

なぁ~んて事まで、想起させられる作詞は阿久悠、作編曲は都倉俊一の完全なるプロの仕業ですよっ!

あぁ~~、何度聴いてもウキウキ気分は盛り上がるばかり♪♪~♪

個人的に「歌謡ポップスベスト100」のランキングを作成すれば、この「好奇心」は絶対に外せないと決めています。

ということで、こういう理屈抜きに素敵な歌謡ポップスが普通に作られていたんですから、冒頭に述べたような「インディアン娘」のイメージ戦略(?)が、ますます理解出来なくなるんですが、さりとて黒木真由美には、それがなかなか似合っていたんですから、結果オーライなんでしょう。

もう一度、その姿で歌う黒木真由美が見たい!


素直にハイサイおじさん

2013-01-18 15:48:39 | 歌謡曲

ハイサイおじさん / 喜納昌吉&チャンプルーズ (フィリップス)

既に運気がガタ落ちのサイケおやじには、浮かれた気分の歌が必要ということで、本日は、これです。

ご存じ、沖縄の新民謡「ハイサイおじさん」は、アップテンポで演じられる沖縄音階の心地良さ、こっちの日本人には全然理解出来ない歌詞、さらには歌と演奏と合の手コーラスのジャストミート感♪♪~♪

もう、何を歌っているかは分からなくとも、純粋にサイコ~~~♪

と思ってしまうんですから、サイケおやじは幸せなんでしょう。

今では知られているかもしれませんが、どうやら歌詞の中身や歌が作られた背景には、かなり陰惨な真相があるらしいんですが、ど~なんでしょうねぇ……。

でも、沖縄料理屋とかに出ている芸人グループが、この「ハイサイおじさん」を演じると、その場は必ず盛り上がるんですから、少なくともサイケおやじは素直に歌と曲の印象を楽しんでいます。

そして何よりも、掲載シングル盤ジャケットのストレートなノーテンキさは、赤塚不二夫ならではの表現であり、例えなんであろうとも、楽しさ優先モードを否定はしていないでしょう。

ちなみにサイケおやじが初めて「ハイサイおじさん」を聴いたのは、久保田麻琴のバージョンだったんですが、それはゆったりレイドバックした長閑さが第一義でしたから、喜納昌吉のオリジナルバージョンに顕著な狂熱にはショックを受けましたですねぇ~~~。

ということで、本日はとにかく矢鱈に浮かれたい気分切望から、これを出したわけですが、夜の宴会では、ひとつウケない芸でやってみようかなぁ~~。

そんな決意もしているのでした。


カーター&ルイスの緻密な心地良さ

2013-01-17 15:51:51 | Pops

花咲くサンフランシスコ / Flowerpot Men (Deram / キングレコード)

最近はどうにも諸事、煮詰まっているサイケおやじという事で、本日は何も考えずに、ただただ聴いて、気持の良いレコードを出してみました。

それが掲載したシングル盤「花咲くサンフランシスコ / Let's Go To Sun Francisco」です。

演じているフラワー・ポットメンは、拙サイトでも度々書いてきました、所謂「実態のないグループ」のひとつで、その正体はイギリスのポップス界では、1960年代から侮れない実績を残してきたジョン・カーター&ケン・ルイスのソングライターコンビなんですが、これが大ヒットした1967年当時にはトニー・バロウズ、ロビン・ショウ、ピート・ネルソン、ニール・ランドンが表向き顔として紹介されています。

そしてここで最も注目されるのが、後にホワイト・プレインズエジソン・ライトハウス等々に参加して幾つものバブルガムヒットを出したトニー・バロウズでしょう。

またロビン・ショウも、そのホワイト・プレインズの中心メンバーになるのですから、このあたりの人脈は狭い世界の複雑な繋がりが当たり前になっていた業界の縮図というところです。

それはジョン・カーター&ケン・ルイスのコンビにも言えることで、彼等は曲作りだけなく、時にはレコーディングセッションでのコーラスの仕事や新人歌手のライプ巡業でのバックバンドに参加する等々、縁の下の力持ちとして、なかなかの仕事を積み上げていたようで、中でもザ・フーの「I Can't Explain」におけるコーラスは、いろんな意味で重要!

なにしろ、この時のセッションワークで知りあったペリー・フォードとトリオを組み、1965年にアイヴィー・リーグ名義で今も傑作とされる名曲名演を世に送り出したんですからねぇ~~♪

そのあたりの業績については、後にもう少し詳しく取り上げるということで、今はここまでに致しますが、とにかくジョン・カーター&ケン・ルイスは、ここでイギリスの音楽業界では確固たる地位を得たのです。

ところがジョン・カーターは、やはり裏方が自分本来の立ち位置と思っていたのでしょうか、人気者になっていたアイヴィー・リーグから翌年には脱退!?

しかも、その後釜に入ったのが、トニー・バロウズなんですから、この世の仕組みは、どこまでも繋がりが大切という事でしょう。

ただし結果的にアイヴィー・リーグは契約を履行した段階で消滅の道を辿り、紆余曲折を経て、再びジョン・カーター&ケン・ルイスのコンビが復活したことで作られたのが、この「花咲くサンフランシスコ / Let's Go To Sun Francisco」でした。

あぁ~、これは実に当時のフラワームーブメントと称されるサイケデリックな流行を真正面から取り入れた、最高に素敵なバブルガムポップス♪♪~♪

素敵な曲メロと素晴らしいコーラスワークが織りなす世界は、まさに夢見心地の決定版であり、そこにはビートルズやビーチボーイズがリアルタイムでやっていた最先端ロック&ポップスのエッセンスが濃縮されていますよ。

特にシングル盤では「part-2」とされた部分で堪能出来る、疑似「サージェント・ペパーズ」の趣は、要注意でしょう。

ちなみにここでリードを歌っているのは、おそらくケン・ルイスだと思われますが、残された映像を見ると、口パクながら、それを演じているのがトニー・バロウズですから、ライプの現場での音源があれば、ぜひとも聴いてみたいと切望されるほどです。

ということで、「花咲くサンフランシスコ / Let's Go To Sun Francisco」が最も凄いと思わせられるのは、聴くほどに緻密な作りが圧倒的な真実と同時に、何も考えないで聞いていられる心地良さの両立です。

まさに、プロが作った完璧なポップスレコードのひとつと断言して、後悔致しません。

もちろん、こういう最高の歌と演奏に出会える事が、音楽好きの本望なのでした。


大島渚追悼・「愛のコリーダ」の私的考察

2013-01-16 15:28:18 | Movie

愛のコリーダ

映画監督の大島渚が天国へ召されました。

もう、長く闘病生活を送っていましたから、正直に言えば、それほどの悲痛の念はなく、故人の業績をあれこれ振り返る事も、辛い作業ではありません。

ただし、マスコミの報道では、常に強く紹介される「愛のコリーダ」は、決してそれだけではない大島渚監督が、やはりそれ抜きでは語れない存在として、屹立する作品と思うばかりです。

ご存じのとおり、昭和51(1976)年に公開された「愛のコリーダ」は、劇場用作品としては、我国初の本格的ハードコア、つまり「本番」映画だったわけですが、現在のAVでは、所謂「ハメ撮り」とか「真性本番」なぁ~んてものが普通に作られている事を鑑みても、何がどうして……、という騒動に対し、特にお若い皆様であれば、不思議な気持かと推察する次第です。

ちなみに「本番」という性交場面の実演は刑法175条に触れますから、世間一般の映画館で上映される作品での男女間の性交場面は「擬似」ということになっておりました。しかし、それをあえて乗り越えSEXを実際に行ってそれを撮影し、本篇に使ってしまうのが「本番映画」です。

もちろん日本のことですから、欧米作品のように結合場面や性器のモロアップ等は無く、そこにはボカシが存在していたにもかかわらず、それを「そうだ」と宣伝されれば、観客は何かを期待して観に行ってしまうという現実がありました。

そのあたりを踏まえて、「愛のコリーダ」は――

まず、物語は戦前の猟奇事件として有名な「阿部定事件」を扱ったものです。

昭和11年5月に起こった、この男根切除殺人事件は今日まで度々、いろいろなところで取り上げられており、映画でも日活ロマンポルノとして「実録阿部定(昭和50年・田中登監督)」という大傑作が作られております。

その所為かどうか、大島渚監督は最初から「ハードコアで撮る」という製作方針を貫いており、刑法や映倫審査から逃れるために、日本で撮影したフィルムをフランスで現像するという策をとっておりました。

そして完成した作品は最初、昭和51(1976)年5月のカンヌ映画祭に出品され、絶賛を浴びますが、ベルリンやニューヨークでは「猥褻かつ暴力的」ということで上映禁止、また、公開中のフィルムを警察に押収させた国も!?

ですから日本では同年10月に一般公開されましたが、当然、その前に映倫と税関から厳しい規制が入り、映像で約30分のカットや修正、音声・台詞も修正多数という要求が突きつけられ、物語展開でどうにもならない部分、例えば男女交合のシーンは真中をカットして上下を繋ぎ合わせるという荒業、分割スクリーン方式で逃れるという有様でした。

もちろん性器やアンダーヘアの映像はありません。

しかし、それでも日本では大ヒット!

世界的にも無修正版が公開された国はもちろんのこと、それ以外の国でもヒットして、高い評価を受ける結果になりました。

これにはハードコアという真実、あるいは猟奇事件を扱っているという事が要因としてあるかもしれませんが、それよりも大島渚監督の情念の演出、それに応えた定役の松田英子の妖艶な演技、そして脇役陣の充実と製作者側の熱意によるものが大きいと思います。

ちなみに松田英子は、ここで一躍有名になったわけですが、その前の芸暦としては寺山修司の劇団天井桟敷で活動し、映画出演は日活の「野良猫ロック・マシンアニマル(昭和45年・長谷部安春監督)」があり、彼女の役はほんのちょい役ですが、ここで既に「愛のコリーダ」で「本番」をやってしまう藤竜也と顔を合わせているのには、巡り合わせの妙を感じてしまいます。

で、この後モデル等をしながらの下積みを経て、昭和50(1975)年秋に大島渚監督との出会いとなるのです。

さて、肝心の本番部分ですが、サイケおやじは後年、無修正・ノーカット版を見る機会があり、そこでは確かにちゃんとやっておりましたし、性器のアップや松田英子のその部分に卵を押し込む場面、肝心の男根切除シーンもちゃ~んと在りました。

しかし、だからといって興奮度が高いかといえば、それは一時的なものという感想になります。

もちろん物語展開や映画的構成美を楽しむという観点からいえば、やはりノーカットのほうが望ましいのは言わずもがなです。

そしてメジャーな会社が作った、ちょっと自分には手を届かないような美女や良い女の見たいところまで見ることが出来、しかもその女が実際にSEXをやっての悶えに接するわけですから、これで興奮しない男、あるいは女はおかしいと言わざるを得ないのですが、それでも、あんまり裏の部分を出してしまうのは面白くないような気が致します。

つまり、素敵な女優さんが「よがって」いて、それを見て素直に興奮する人もいれば、あれは演技だと思う人もいるわけですよ……。

例え、本当にSEXをしていたとしても、同様だと思うばかりです。

そしてまた、彼女の演技は凄いと感動したり、本気で感じているのに演技っぽくなる、あるいは演技だとしても本気を超えた迫力があるという場合もありますから、サイケおやじには、ここらへんがエロ映画から足を洗えない部分になっているのですねぇ~。

結論として、実際にやっていようが、いまいが、要はそれを見せてくれる女優さんが如何に自分にとって魅力的であるかということで、それにはその女優さんの資質の他に監督の力量が欠かせないでしょう。

その意味で、「愛のコリーダ」はとても優れており、松田英子の輝きはもちろん、大島渚監督の演出は特筆すべきものがあります。

また、この作品に関連した書籍「愛のコリーダ/大島渚・著(三一書房)」が、映画本篇のスチールを掲載しているという事で警視庁に摘発され、猥褻図画販売容疑で大島監督と三一書房の社長及び取締役の計3名が書類送検されましたが、昭和54(1979)年に無罪判決が下されました。

ということで、本日は大島渚監督追悼として、僅かではありますが、一番の問題作として有名な「愛のコリーダ」を取り上げました。

しかし当然ながら、まだまだ故人には優れた作品が多々あり、特に「愛のコリーダ」云々で語れるような天才ではなく、むしろもっと別角度で評価されるべきところも必要かと思います。

晩年というか、病に倒れる前には、テレビで激怒する姿ばかりが印象に残っている事も否めませんが、確固した作品世界を持った映画監督としての大島渚こそが、本当の存在感!

そう言えばクインシー・ジョーンズが、あえて「愛のコリ~ダ~」と日本語で歌ったレコードを作ってしまった歴史も、殊更痛切に思い出されてきましたので、急にシングル盤を聴いたりもしました。

う~ん、良くも悪くも、凄い人でしたねぇ~。

合掌。

(注)本稿は拙サイト「サイケおやじ館」に掲載した「闇の中の妖精・本番女優の巻」を引用改稿したものです。松田英子については、そちらにも多少は詳しく書いてありますので、よろしくお願い申し上げます。


ぶっ飛びマギーのロケンロール

2013-01-15 15:37:44 | 歌謡曲

燃えるブンブン / マギー・ミネンコ (キングレコード)

今も昔も、芸能界で使い勝手の良いのが所謂「変なガイジン」キャラでしょう。

特に西洋系のジンガイは出稼ぎ、日本育ち、ハーフ等々を超越して、それがトンデモ系であればあるほど、テレビのバラエティ番組では引く手数多なんですからねぇ~~。

結局それは「場の雰囲気」に馴染まない言葉使いや立ち振る舞いが、日本人では無い外見ゆえに許されるというか、「変なガイジン」だから、しょ~がねぇ~~!?

と、笑い飛ばせる許容的心情に則した存在であり、例えば本日ご紹介のマギー・ミネンコは昭和48(1973)年頃からの一時期、そのジャンルで暴れまくったひとりとして、懐かしさよりも印象の強さで忘れられない皆様も大勢いらっしゃるんじゃ~ないでしょうか。

特に日本テレビ系列で放送されていた「うわさのチャンネル」では和田アキ子、デストロイヤー、せんだみつお、湯原昌幸、そして当時は局アナだった徳光和夫等々、個性的な面々の中にあっても一際アクの強いキャラとして、傍若無人!

なにしろ十八番のギャグは「乳、揉め~~っ!」ですからねぇ~!?!?

もちろん本人が失礼ながら、決してグラマータイプではなく、むしろボーイッシュな悪ガキがそのまんま成長したようなルックスだった事も幸い(?)したのでしょう、忽ちお茶の間の人気者に!?

まあ、なにせ、激しかったですよ、そのイメージは!

そしてお決まりというか、人気が出れば、それに比例して敷かれるのが歌手デビューへの道であり、掲載したシングル盤は、その最初の1枚として、昭和49(1974)年に小ヒットしたロケンロールな歌謡曲です。

いゃ~、イントロからバイクの排気音がSEで使われ、ブラスとストリングが分厚く配されているんですが、強いリズムとピートに彩られたニューオリンズ系R&B風のメロディ展開とバイカー風情の歌詞がエグ味の効いた彼女の歌声で披露される時、そこには妙にスカッとした時間が訪れるんですねぇ~~♪

全くこれを聴くと、その時代がサイケおやじの心身に蘇ってきますよっ!

言うまでもなく、現在のおやじバンドでは練習課題になっているわけですが、ボーカルパートの随所でナチュラルに出てくるガイジン発音が、意外なほどのキメ技なんですから、油断は禁物!

実際、なかなか上手くキメられないのが悔しいわけですよ。

う~ん、マギー・ミネンコは、やっぱりタダモノでは無かった証なんでしょうか、そのあたりを見抜いていたプロデュースも含めて、橋本淳の作詞と鈴木邦彦の作曲は流石と思うばかりです。

ということで、マギー・ミネンコは、その名前からしてロシア系アメリカ人と思われますが、日本語はそれなりに達者だった事からして、おそらくは日本育ちだったのでしょう。

実はもう1枚、「涙の河」という素晴らしすぎる正統派歌謡パラードの傑作曲を彼女は残していますから、侮れません。

しかも暴れるだけ暴れたんでしょうか、実質的に芸能活動をやっていたのは3年に満たなかった記憶ですから、尚更に印象深いのかもしれません。

歌のタイトルどおり、ブンブンに燃えて、サッと消えたマギー・ミネンコの潔さは最高でした。


今日なればこそ、佐井好子♪

2013-01-14 16:10:04 | Singer Song Writer

二十才になれば / 佐井好子 (クラウン)

さて、今日は成人式なれど、サイケおやじのような者にとっては、その日付が毎年変わるようなシステムには、どうにも納得出来ないのが本音です。

やっぱり記念日ってのは、確固として定められてこそ、意味が強くなるんじゃ~ないでしょうかねぇ。

しかし、さりとて、サイケおやじがリアルタイムの1月15日の成人式に出たかと言えば、そんなこたぁ~、ありはしませんでした。

なにしろ成人ともなれば、ありがたい(?)選挙権がいただけるわけですが、その本質は国家体制に組み入れられる事に他ならず、おまけに式次第の挨拶という名目で説教たれる政治家の先生方にとっては、そこに居並ぶ新成人は「票」と「税金」の頭数、つまりは自分達のメシのタネにしか見えていないはずですから、高所から見下したその態度には必然性がイヤミなほどでしょう。

なにもそんな所へノコノコと出かけていく愚行よりは、堂々と缶ビールでも飲みながら、成人映画を観ていたほうがマシというのが、当時のサイケおやじの今も変わらぬ天の邪鬼でした。

まあ、そのあたりの事は、現代の新成人の皆様にも重々承知なんでしょう。

男も女も、ここぞとばかりに非日常的なスタイルに身を包み、久々に会う友人知人とワイワイ騒げる大儀名分を与えられる日なればこそ、それは祝祭!

むしろそうやって為政者や権力者をジコマンさせる意義は、しっかりと持っているにちがいありません。

そこで本日掲載のシングル盤A面曲「二十才になれば」は、まさに逆説的成人の意義を歌い、なんとかなりそうで、実は袋小路に迷い込むであろう大人の世界を怨嗟するが如き、これが如何にも発売された昭和50(1975)年の気分がどっぷりの哀愁フォーク歌謡なんですから、たまりません♪♪~♪

う~ん、このネクラなムードの良さは、今も享楽的に生きようとしているサイケおやじを本音で胸キュンさせるんですから、全く自分は昭和者!?

そして歌っている佐井好子は関西フォーク系のシンガーソングライターとして、同年にデビューし、その実質的な活動期間であった4~5年でオリジナルアルバム4枚と数枚のシングルを残してくれました。

この「二十才になれば」は、おそらくはデビュー曲でしょう。

実は告白すると、サイケおやじはリアルタイムでこの歌が気になっていたのですが、決して直ぐにゲットしたわけではありません。

ところが彼女のレコーディングに大野雄二が関係している事を知ってしまえば、そのブルージーなサウンドの作り方や時として十八番のジャズフュージョン味が滲み出たアレンジと演奏は、残されたアルバム諸作に顕著なんですから、後は一気呵成にレコードを集めたというわけです。

それらは追々ご紹介致しますが、気になる皆様はとりあえず1stアルバム「萬花鏡」と3rdアルバム「胎児の夢」をお楽しみ下さいませ。

しかし主役はあくまでも佐井好子が自作自演の歌であり、そのオドロでありながら清らかな世界観(?)が、独りの女性の心情から幻想と退廃に彩られて伝えられれば、後は自ずと聴き入ってしまうわけですよ。

もちろんサウンド面だけでなく、佐井好子本人のボーカルも最高!

極言すれば、ハードボイルドなフィーリングさえ、強いんです。

あっ、そういえば当時のロマンポルノには、密かに彼女の歌が映像のパックに流されていた事が多々あったんですよねぇ~♪

ということで、せっかくの成人の日に免じて、本日はベタな選曲になりましたが、これを機会に佐井好子の世界にもどっぷり浸り込む♪♪~♪

それもまた、素敵な祝日ですよ。

最後になりましたが、彼女の世界は浅川マキ、あるいは中島みゆき、そのあたりの歌手と比較される事も多いんですが、それはリスナーの十人十色の思い入れでしょう。

当然ながら、佐井好子は決して流されるようなミュージシャンではありません。

現在では未発表だった音源も含めて、復刻CDが出ていますので、ぜひっ!


チャコヘルはアイドルロックの頂点

2013-01-13 15:04:45 | 日本のロック

愛してる愛してない c/w モーター・サイクル・ベイビー / チャコとヘルス・エンジェル (RCA)

ニッポンのロックは明らかにGSからの流れを無視出来ず、何をもって一線を画すのかは微妙なところでしょうが、しかしアイドル性を重視すれば、どんなに優れたバンドであっても軽くみられたのが「昭和」という時代です。

中でも本日ご紹介のチャコとヘルス・エンジェルは、昭和48(1973)年にデビューするや、忽ちにして人気バンドになったものの、そのあまりのアイドル指向の強さにロック魂を抜かれたグループとして、硬派な野郎どもからは相手にされなかったわけですが……。

当時の洋楽的な視点からすれば、チャコとヘルス・エンジェル=チャコヘルはイギリス発祥のグラムロック~ティーンポップ系バンドの路線を極めて歌謡アイドル風に焼き直して成功を得た点だけでも、実は密かに今も忘れられていないバンドのひとつだと思います。

メンバーはチャコ=田中まさゆき(vo)、天本健(vo)、浅野孝巳(g)、柴田功(key)、塩川銀次(b)、牧勉(ds) という6人組で、今となってはギターの浅野孝巳が後にゴダイゴに参加し、世界的にブレイクを果たした事から、チャコヘルが再注目された逸話も有名ではありますが、眼帯をトレードマークにしていた塩川銀次と実はリーダーだった牧勉はGSのサマーズでキャリアを積んでいましたし、柴田功は、これまた後にダニエル・ビダルと結婚した事でも有名でしょう。

しかし何んと言っても人気を集めたのは、リアルタイムで15歳だったと言われているチャコ=田中まさゆき、そして早世した天本健のアイドル丸出しのイメージでありました。

ところが、絶対に忘れてならないのが、バンドとしての確かに実力であって、物凄いミーハーノリのライプギグにおいても、その演奏における高度なテクニックは、例えば浅野孝巳の上手すぎるギターばかりではありません。

当時を知っている皆様であれば、テレビでは「ぎんざNOW!」とかに頻繁に出ていましたから、そのバカ騒ぎ(?)っぽい狂熱のステージをご存じかと思いますが、逆に言えば、あんな状況でも決してヨレを感じさせない演奏は流石と言うべきでしょう。

また当時、幸運にもサイケおやじは生ライプにも接していますが、やっぱり上手かったですよっ!

ちなみに、こうしたバンドの演奏力の安定度は、例えばスイートあたりにも共通するポイントとして、侮れません。

さて、そこで本日掲載のシングル盤はチャコヘルのデビュー曲「愛してる愛してない」をA面に収録したヒット作で、有馬三恵子の作詞に馬飼野康二の作編曲というだけで、如何にもアイドル路線がど真ん中♪♪~♪

おまけに曲のネタが、デイヴ・クラーク・ファイヴの「Because」モロパクリなんですから、たまりません♪♪~♪

ついでに言えばB面の「モーター・サイクル・ベイビー」にしても、早口言葉のような歌と演奏が、ほとんどキャロルの「ファンキー・モンキー・ベイビー」ですからねぇ~~。その全くノーテンキなノリは見事過ぎますっ!

もちろんバンド名からもご推察のとおり、バイカーイメージも狙っていたのでしょうねぇ、皮ジャン系の衣装で頑張っていたチャコヘルが忘れられないという皆様もいらっしゃるはずです。

また肝心のレコードはアルバムがLP3枚、シングルは5枚ほど出したはずですから、その人気の高さは女の子限定だったかもしれませんが、なかなかインパクトの強い存在でありました。

ということで、チャコヘルは昭和50(1975)年に解散してしまったんですが、前述したスイート同様、ニューロックやプログレの味わいも表現出来た事から、現在なればこその楽しい聞き方があろうかと思います。

今日では「ネオGS」なぁ~んていう言葉で括られるチャコヘルではありますが、ロックバンドがアイドル路線で何故、悪い!?

そんな天の邪鬼なサイケおやじの気分には、最もジャストミートしているのが、チャコヘルというわけです。

機会があれば、お楽しみ下さいませ。


サイケおやじは疫病神か?

2013-01-12 15:06:27 | Weblog

今年は早々にツキを無くしているというか……。

自分の行く先々でゴタゴタが続き、本日も!?!?

もはや周囲からの冷たい視線、疎まれつつある空気を感じるばかりです。

とりあえずトラブルの後始末に追われて、あ~、疲れが増幅するなぁ~~。

と愚痴になってしまい、申し訳ございません。

本日も休載お詫び、心苦しいばかりであります。

どうか、ご容赦下さいませ(__)