仕事に追われ、責められて、ど~にもなりません。
本日は、これで失礼させていただきます(__)
■Honky Cat / Elton John (DJM / 東芝)
久々に会った旧知の人物が、昔の印象と違っていた、つまりは変容していた場合、その切っ掛けは?
なぁ~んていう疑問は皆様にも抑えられなかった時があろうかと推察する次第ですが、例えば昔はネクラだった友人が、そんな事は無かったかの様に明るく、前向きになっていたりすれば、ど~しても余計なお世話をあれこれと勘繰りたくなるんじゃ~ありませんか?
もちろん、そんな事例は世の中にどっさりあって、所謂「ある日突然」の一言で片付いてしまうわけですが、そこで思い出したのがエルトン・ジョンという存在です。
何しろ皆様もご存じのとおり、1969年のデビュー時からナイーブな感性を前面に打ち出したシンガーソングライターというイメージでブレイクを果たし、「僕の歌は君の歌 / Your Song」等々のシングルヒット、そして矢継ぎ早に発売するLPに収録された秀逸な楽曲のほとんどが、確かに当時はそんな言葉はありませんでしたが、現代で云うところの「ネクラ」という魅力(?)に溢れていましたから、そ~ゆ~人が1970年代中頃にはド派手なファッションで大袈裟なステージライブを披露したり、過剰な意図に基づいて作ったとしか思えない華やかなヒットアルバムを連発した経緯には、リアルタイムの驚きがありましたですねぇ~~!?!
で、その頃にもサイケおやじはエルトン・ジョン豹変の切っ掛けをあれやこれやと考察しておりまして、そのひとつの表れが本日掲載のシングル盤A面曲「Honky Cat」だったように思いますが、いかがなものでしょう。
この楽曲が世に出たのは1972年、大傑作アルバム「ホンキー・シャトー」のA面ド頭に収録されての事だったんですが、実は同LPからの先行シングルとして既に「Rocket Man」というヒットが放たれてはいたものの、それは従来の路線を踏襲した印象が強かっただけに、いきなり中華メロディ風の飛び跳ねピアノで歌われる「Honky Cat」の浮かれた調子の良さには正直、呆気にとられて、次の瞬間には夢中にさせられました♪♪~♪
もちろんアルバム全体にも明るいトーンと華やかに雰囲気が横溢し、ですからそれまでの内省路線に沿った新曲が尚更に輝くという素晴らしい効果が見事に成功し、以降のバァ~っとした世界が開けたように思います。
確か件のアルバムは初めてアメリカでもチャートのトップに輝いたという報道もありましたですよ♪♪~♪
ということで、自らが望むのか、あるいは望まずとも、自然にそ~なったのかは知る由が無くとも、結果としての変異変容(?)が良い方向へと作用すれば、それこそ結果オーライって事なんでしょうか。
あくまでも生き様は自らが決めてこそ、それなりの意味を持つのだとしたら、流される前に流れていくのも悪くはないなぁ~、と思っています。
■F・L・Y / ミーチャン GOING TO THE HOIKUEN / スペクトラム (日本ビクター)
EW&Fの影響力の大きさについては昨日も述べたとおり、世界各国で人気を集めた結果としての後追いグループの登場も華々しかったわけで、それが我が国においてはスペクトラムが決定版でありましょう。
もちろんメンバー全員が凄腕のミュージシャンであった事に加え、オフィシャルな衣装も掲載したシングル盤のジャケ写から一目瞭然、スペーススーツと中世欧州趣味を勝手に混ぜ合わせたような雰囲気は、まさに芸能界がど真ん中としか言えません。
実際、このスタイルでライブステージやテレビ番組に登場していたスペクトラムは、それだけで周囲を圧倒(?)していた印象が今も強く、しかも演奏そのものが驚異的に上手かったんですから、あながちキワモノとばかりも決めつけられず、しかしこれはやっぱりコミックバンドか色物系のグループにちがいないっ!?
等々の論争さえもあったそうですが、個人的には世間を呆れさせ、ある意味では顰蹙があってこそ売れるというのが芸能界の方程式だと思っていますし、何よりもスペクトラムは徹底したプロ集団ですからねぇ~~。そんなこんなの外野からの声だって自らの人気の証明だと認識していたフシがあったとしても、決して不思議ではなかったと思います。
また、それが絶対的に高度な演奏力を誇っていたグループの存在意義と相互作用していたとすれば、今のサイケおやじが書いている戯言なんかは無用の長物!
残された音源や映像を素直に楽しむことに「後ろめたさ」を感じる事なんかは、愚の骨頂でしょう。
そこで作詞:Mabo & 作編曲:スペクトラムによる肝心の掲載盤A面曲「F・L・Y」は如何にも「アース」な歌謡曲であり、いきなりアップテンポで炸裂する痛快なホーンの合奏とビシバシのリズム&ビートがほとんどAORな曲メロにジャストミートしていますし、新田一郎が十八番の裏声歌唱が堂々の居直りと云っては贔屓の引き倒しになってしまいますよ。
だって、これを実際のライブでやっていたスペクトラムの凄さって、どうやっても侮れるものではありません。
ですからB面収録の「ミーチャン GOING TO THE HOIKUEN」が当時人気を集めていたチャック・マンジョーネ風のフュージョンインストになっている事にも説得力がありますし、この愛らしいテーマメロディと多分、兼崎順一であろう中間部のアドリブソロのソフトタッチな心地良さは、もう何度でも聴きたくなりますよ♪♪~♪
ちなみに「ミーチャン」とはスペクトラムの当時の所属事務所だったアミューズの大里社長の愛娘であり、曲中では新田一郎との楽しい会話で特別出演という仕掛けも楽しいところです。
ということで、もちろんスペクトラムも二番煎じの肖りヒットを狙った存在でありながら、これが日本で登場したという事実は、まさに様々な分野でテクノロジーに秀でていた我が国の特質のひとつだったように思います。
あぁ、確かに発売された昭和55(1980)年春の音がしていますねぇ~~♪
■Saturday Night / Earth, Wind & Fire (Columbia / CBSソニー)
アース・ウインド&ファイアー=EW&Fのリーダーにして創設者、そして素晴らしいプロデューサー&ソングライター、さらには豊富なセッション経験を積んだドラマーでもあったモーリス・ホワイトが天に召されました。
説明不要かとは思いますが、サイケおやじと同世代の皆様共々、EW&Fは1970年代中頃から大ブームになった大衆ファンク&フュージョンのトップグループという認識であり、それは実際、リアルタイムで発売されたレコードがアルバム・シングルの区別無く、何れも売れまくったヒット作だったという実績は言わずもがな、その与えた影響力の大きさは後追いバンドの出現、そしてホーンやリズム、さらにはファルセットコーラスの使い方等々、とにかく諸々が自然の成り行き以上に深く浸透して、今日に至っていると思うばかりです。
で、そうしたEW&Fの存在意義(?)の中でも殊更強烈なのが、常時10人以上の大編成バンドによる鉄壁の演奏力であり、スピード感満点のメカニックなホーンリフ、激しいグルーヴを噴出させるタイトなリズム隊のソウルジャズフィーリング、加えて前述したとおりのファルセットボイスも印象的なボーカル&コーラスハーモニーのポップな味わいは、普通に黒人っぽいサウンドであると同時に、実は極めて万人に受け入れられ易い方向性を示していたわけで、それこそがモーリス・ホワイトが狙って成功させたものでしょう。
なにしろEW&Fの本拠地はアメリカ西海岸のLA、つまりは往年のハリウッドポップスの伝統や同時進行していた所謂ウエストコーストロックの流行に連動していたが如きブレイクでしたからねぇ~~♪
そこでモーリス・ホワイトが果たした役割は何か?
と問われても、即答出来ないほどのクロスオーバーな感性は故人のミュージシャンとしての履歴、殊更シカゴのチェスレコードにおけるセッションドラマーとしての夥しいレコーディングやラムゼイ・ルイス・トリオのレギュラーメンバーでの活動があればこそ、何が売れるのかという秘訣を掴んでいた証明作業であったと思います。
で、本日掲載したシングル盤A面収録の「Saturday Night」は、まさにその方程式の実践表記とでも申しましょうか、黒人ファンクビートの分かり易い提示とポップなファルセットコーラスが見事に融合した1976年のヒット曲で、もちろん素敵なメロディラインは外していません。
ちなみに同曲はこの年に出した傑作LP「魂 / Spirt」からのカットなんですが、掲載した日本盤ジャケ写にも用いられているピラミッドイメージは、当時のEW&Fが打ち出していた神秘主義や宇宙的宗教観をあえて商業主義を優先させて表したと書けば、顰蹙でしょうか?
モーリス・ホワイト以下、グループの面々が、どの程度それを信心していたかは不明ですが、少なくとも実際のライブステージで繰り広げられていた祝祭的演出は、時にサーカスの如きアクロバットアクションさえも取り入れていたわけですし、そんな享楽こそが魂を高揚させていた素晴らしい結果は、EW&Fが黒人グループのトップに君臨していた時代の証でもありましたですねぇ~~♪
ということで、モーリス・ホワイトの追悼文をと意気込んでも、故人の偉業&遺徳は強大過ぎて、その表層すら拝することが出来ません。
それでもあの時代、つまりデジタルに頼っていなかった頃に人力だけで極みのポップファンクをやってくれたEW&Fは、今でもサイケおやじを浮かれさせてくれます。
モーリス・ホワイトよ、永遠なれっ!
合掌。
強行軍で帰路の最中です。
皆様からのメッセージ、お返事が遅れて申し訳ございません(__)
しっかり拝読させていただき、何よりの励ましとして感謝であります。
ありがとうございます。
■ひと足遅れの春 / とんぼちゃん (キャニオン)
暦の上では今日から「春」ということで、春らしい曲の記憶を辿ってみれば、やっぱり最近は心が弱くなっているのでしょうか、ほとんど軟弱な歌謡フォークばっかりが心に浮かんでしまうサイケおやじです。
で、本日ご紹介してしまうのは、まさにそのひとつとして、昭和50(1975)年の早春に大ヒットした掲載シングル盤A面曲「ひと足遅れの春」なもんですから、我ながらせつなくなってしまいますよ……。
まあ、とにかく作詞:竜真知子&作曲:市川善光が企図したのは正直、気恥ずかしなるほどの世界であり、その解釈は全く個人の自由意志ではありますが、吉川忠英&中村弘明が担当したアレンジが実に王道の歌謡フォークとしか言えません。
それはシミジミ系のアコースティックギターと大袈裟寸前のストリングスの使用もさることながら、間奏での短いエレキギターの泣き、それなりに蠢くベースやアクセントも鮮やかななドラムスという、これが中庸を弁えた存在感♪♪~♪
ですから、とんぼちゃんと名乗る男性デュオ=市川善光&伊藤豊昇のボーカル&コーラスハーモニーもイヤミやアクがありません。
逆に言えば、ここで提出された歌詞とメロディには、これしか適応するスタイルが無いと思えるほどなんですねぇ~♪
あぁ、これはヒットして当然、ヒットしなければ歌謡フォークの神様は激怒されるにちがいありませんよ。
いゃ~、悔しいけれど、市川善光は本当に良いメロディというか、歌謡フォークのツボを押さえた曲作りは素晴らしいと素直に認めるしかありません。他にも同時期には木之内みどりの隠れ名曲「ヨーヨー」とか、ニクイなぁ~~。
ということで、最近はこうしたフォーク系男性デュオが再び人気を集めているようで、サイケおやじの勘違い、あるいは認識不足かもしれませんが、ゆずとかコブクロとか、他にも多くの人気者が出てきているのですから、例えばカラオケでこの「ひと足遅れの春」を歌ったとしても、決して恥ずかしがる必要はありません。
むしろ、そういう状況に当たり前の感謝を♪♪~♪
ということで、もちろんサイケおやじがバリバリのオンタイムだった当時は、とてもとても大っぴらにこの歌が好きだなんてこたぁ~、冗談でも口に出来ませんでした。
うむ、その意味では、今は幸せなんでしょうねぇ~~。
やっぱり今日はレコードの話を書く事が憚れます。
もう、何を掲載したって、それは穢れてしまうばかりで、もちろん全ての要因は野球界に大きな貢献を残した清原が、あろうことか覚醒剤で逮捕という衝撃が……!
う~ん、確かに以前から、そんなこんなの悪い噂は報道されていましたが、本人が容疑者となって、それを認めているのであれば、ど~しようもない現実は厳しいはずです。
そして今後、それが所謂芋蔓式になるのではないか?
違法薬物に関わる事犯は日常的ながら、清原ほどの有名人を検挙したのであれば、単なる「見せしめ」だけでは終わらないという推察も易いでしょう。
そういえば最近のプロ野球界は闇社会との関係も深い賭博とか、様々なトラブルが蔓延している感が無きにしもあらずですからねぇ……。
また、清原本人にしても、日頃から被害妄想や幻覚に苛まれていたという報道もある以上、かなりの常習性があるのでしょうか、社会復帰も相当の時間が必要でしょうし、野球に関わる仕事には事件の性質上、二度と携われないのではないでしょうか。
今日の野球界には清原に憧れ、尊敬してその道に入った者も少ないないと云われていますし、普通に野球に興味があれば、アマ~プロを通じて我々を一喜一憂させてくれた豪快なプレイは、なかなか忘れ難いものがあるはずです。
そんなこんなが昨日、瞬時に崩れてしまったという現実は非常に哀しいですねぇ~!
あぁ、無情の世界を感じています。
■関東流れ唄 / 渡哲也 (テイチク)
今も昔も、この世の中に、そうそう義理と人情が通用していたはずが無いことは分かっているつもりですが、ど~してもそういう美しいものに頼りたくなるサイケおやじは、如何にも中途半端な生き様を晒しています。
実際、これまで何回も「情に流されている」と批判され、反論する事が苦しかった過去は否定出来ません。
でもねぇ……、同じ自らの過去を振り返れば、義理と人情に助けられて来た事だって、何度もあったわけだし、仕事に関わる一切を全て法律やら契約やらで型どおりにやっていたら、それは守るべき第一義である事も分かりますが、なんとも後味の悪い部分が残ってしまうのも確かだと思うんですよ、少なくとサイケおやじの性格的には。
さて、そこで本日のサイケおやじのテーマ曲は掲載のシングル盤B面曲「関東流れ唄」で、これはもう、ジャケ写から一目瞭然、渡哲也が昭和46(1971)年に主演した日活ニューアクションの傑作「関東幹部会(澤田幸弘監督)」の主題歌ですから、泣きメロ優先主義の由樹俊一郎の作曲が歌謡フォーク調の演歌になっているのは言わずもがな、極道ヤクザと自らを卑下しつつも、希求する幸せを棄てざるをえなかった境遇を綴った宮原和男の歌詞を例によって朴訥と節回す渡哲也ならではの「味」が、ハードボイルドに心へ滲みてまいります♪
ちなみに映画本篇は所謂ヤクザ映画ではありますが、そのスタイリッシュな映像やジャジー&ソフトロックな劇伴も魅力的ですから、物語そのものは義理人情とドライな世相の板挟みを描いていながら、なかなかクールな仕上がりで、若き日のサイケおやじは封切公開から少し後の名画座興行で鑑賞して直後から、好きな1本になりましたですねぇ~~♪
そして実社会に出てからは、劇中で翻弄された登場人物や物語設定そのものが、全く自分の属する組織とか人間関係の諸々と重なり合ってしまう事が度々という、せつない場面がテンコ盛りを再痛感!?
確かビデオ化もされていましたし、ぜひともDVDかBDでも復刻して欲しいものです。
ということで、流されている自分を憐れんで、この「関東流れ唄」を口ずさんでいるわけでは決してないつもりですが、そんなふうに受け取られるのも吝かではないという、いやはやなんともお恥ずかしい……。
滞在中のゴッサムシティには、そんな古き良き和風の趣なんてものは感じられませんが、人種はちがっても、心根の共通部分は何かしら絶対にあるはずと信じている次第です。
例によって、ゴッサムシティに移動中のため、本日の1枚は休載ご理解下さい。
明日は、なんとかしたいと思っております(__)