OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

追想ジェリー・マギー、そしてベンチャーズのニューロック

2019-10-21 17:46:04 | Ventures
■Underground Fire / The Ventures (Liberty / 東芝)

  A-1 Fire
  A-2 ワイルドでいこう / Born To Be Wild
  A-3 Sunshine Of Your Love
  A-4 The Weight
  A-5 ハートに火をつけて / Light My Fire
  A-6 Down On Me
  B-1 Underground Fire
  B-2 E・マイナーの残り火 / Embers In E Minor
  B-3 草原の海 / Sea Of Grass
  B-4 Higher Than Thou
  B-5 Up, Up And Down
  B-6 田舎者のカチカチ頭 / Country Funk And The Canned Head

最近の訃報と云えば、やはりベンチャーズに在籍していたギタリストのジェリー・マギーも、天国へ召されましたですねぇ……。

洋楽ファンの中には「ベンチャーズの」というよりは、むしろ凄腕のセッションプレイヤーとしてのスタジオの仕事、殊更スワンブロック系のレコードに聴かれるプレイこそが神髄という評価がコアなマニアの証明みたいになっておりますが、しかしベンチャーズでの活動が決してアルバイト的なものではなかった事は、世界中の共通認識と確信するところです。

もちろん、ベンチャーズでは前任がノーキー・エドワーズという一座の大スタアでありましたから、ライブの現場でも、また新しく発売されるレコードにおいても、常に比較され続けたという不利な状況は避けえない現実でした。

しかし、ジェリー・マギーがレギュラーメンバーとなって以降のベンチャーズが、確かに第二期黄金時代を築いた事も確固たる事実です。

それは殊更日本では昭和40年代後半のベンチャーズ歌謡の大流行は言わずもがな、リアルタイムで発売されていたベンチャーズ名義のアルバムが、そりゃ~確かに売り上げは落ちていたでしょうが、そのジェリー・マギーを迎えた事による新しい魅力は決して蔑ろにされるものではありません。

例えば本日ご紹介のLPは1969年に発売された意欲作で、タイトルどおり、当時はアングラとの関連も密接だった所謂ニューロックな演目に拘った演奏集!

説明不要とは思いますが、メンバーはドン・ウィルソン(g)、ボブ・ボーグル(b)、メル・テイラー(ds)、そして新参のジェリー・マギー(g) に加えて、実際にレコーディングされた演奏には正体不明のオルガン奏者の活躍が強い印象を残しています。

それはA面ド頭が今も人気のアーサー・ブラウンの「Fire」から全開で、そのオリジナル演奏が基本的にオルガンロックでしたから、ここでもメインのギターサウンドのバックで暴れるオルガンはお約束ながら、しかしスピードに乗ったギターインストの魅力はきっちり楽しめるんですねぇ~~♪

イントロ前(?)の掛け声も、ちゃ~んとオリジナルを意識していて憎めません♪♪~♪

またメル・テイラーのハッスルしたドラミングもニューロックには違和感無く、ジェリー・マギーのリードギターがロック最先端を感じさせるスペーシーな響きと粘っこいノリを聴かせてくれるのですから、たまりませんよ ♪♪~♪

それはオルガンロックの代表的なヒット曲、ドアーズの「ハートに火をつけて / Light My Fire」にも顕著で、オリジナルを意識したオルガンがメインで活躍するとはいえ、キメのリフから入っていくギターのアドリブソロはニューロックがド真ん中のソウルジャズ風味がニクイところでしょうか、ジェリー・マギーの本気度の高さは侮れません。

しかし、それでもベンチャーズが本来の魅力を失っていないのがステッペンウルフの「ワイルドでいこう / Born To Be Wild」のリズム的興奮を煽るギターアンサンブルの凄さであり、大いに気になるクリームの「Sunshine Of Your Love」は流石に長尺なアドリブパートは出ませんが、ジェリー・マギーのギタープレイはエリック・クラプトンに見事な挑戦状を提出しているんじゃ~ないでしょうか。少なくともクリームのオリジナルスタジオバージョンをここまで堂々とインスト化出来るのは、ベンチャーズだけでしょう。ボブ・ボーグルもメル・テイラーも負けていませんよっ!

さて、そこで巷間常識的に語られるジェリー・マギーのスワンブロッカーとしての魅力は、ここではザ・ハンドの「The Weight」のカバーで流石の冴えを聴かせてくれますよ。多重録音によるダブルトラックのギターソロとか、たっぷりと雰囲気を作ってくれるピアノの伴奏もクリソツで楽しいです。

そしてジャニス・ジョプリンの「Down On Me」ではヘヴィなビート感を押し通すベンチャーズのロック魂がイイ感じ ♪♪~♪

で、ど~してもここで書いておかなければならないのが使用楽器、特にギターについては明らかにベンチャーズの代名詞たるモズライトでは無い事が聴いているうちに必ずや納得されるはずで、特にジェリー・マギーが弾いたであろうリードギターはギブソン系と推測する他は無いほどですし、もしかしたら「レスポール」か「335」あたりかもしれません。またカントリーロック系のリックを弾いている時はテレキャスターっぽい感じが確かにあり、これはドン・ウィルソンのリズムギターも同様のような気がしていますが、いかがなものでしょう。

ちなみに来日公演のステージショットやサイケおやじが実際に接したライブギグでのジェリー・マギーは、レスポールの他にファイアーバードも使っていましたですねぇ。

それとジェリー・マギーのピッキングはサムピックを用いたフィンガーピッキングが主体ではありますが、当然ながらフラットピックも使っているのかもしれません。

そんなこんなを思いつつ、ベンチャーズのオリジナルで固めたB面こそは、まさにニューロックなインストばかりという、感じ方次第では早すぎたフュージョンでもあり、ソウルジャズのニューロック的解釈でもあろう、当時としてサイケデリックな雰囲気も彩にした相当に進んだ演奏が徹頭徹尾、楽しめますよ ♪♪~♪

当然ながらサウンドの作り方そのものにしても、様々なエフェクターを使ったり、多重録音の面白さやリズムパターンの変化の付け方等々、本当に頭脳的なプレイが各所に聴かれますし、それでいて何よりもベンチャーズらしさを大切にした伝来の魅力が、聴くほどに伝わってくるんですねぇ~~♪

ただし、ここまで偉そうなことを書き連ねたサイケおやじにしても、このアルバムに覚醒したのは翌年末の事で、告白すれば新しくジェリー・マギーが入った昭和43(1968)年の来日公演から作られ、年末に発売されたライブ盤「イン・トーキョー」に違和感が隠し切れなかったもんですから、続けて翌年春に出たこのLPには不吉な予感がしていましたし、実際にレコード屋の店頭で聞かせてもらった時には、それがB面であった所為もあり、ほとんど???の気分でありました。

ところが同時に発売された「Fire」と「ワイルドでいこう / Born To Be Wild」がカップリングされたシングル盤を友人から借りて聴いているうちに、これはっ!

と思わざるを得ませんでした。

そこで苦心惨憺、ど~にか中古で入手できた掲載盤に針を落とせば、そこにはニューロックなベンチャーズが確かに存在し、このバンドの十八番であるインストによるカバーバージョンの魅力と共に、しっかり組み立てられたオリジナル曲の演奏には凄みすら感じたほどです。

ちなみに後に知ったことではありますが、アメリカで発売されたオリジナルのLPは、この日本盤とはA面とB面が逆になっており、曲の配列も異なっていますし、ジャレットデザインも大きく違いますので有注意!

ということで、1971年の夏、ジェリー・マギーが在籍していたベンチャーズの来日公演にサイケおやじは意気揚々と出かけ、実は初めて接するベンチャーズのフルコンサートでしたから、大いに楽しんだんですが正直、このアルバム「Underground Fire」からは「ワイルドでいこう / Born To Be Wild」と「ハートに火をつけて / Light My Fire」そして「Fire」ぐらいしか演奏してくれず、残念な気持ちが残りました。

それでも大きくテンポアップされていた「Fire」、また「Classical Gas」でジェリー・マギーが大名演を聴かせてくれたのは、今も大切な思い出であります。

ということで、不遜な事ばかり書いてしまいましたが、ジェリー・マギーが偉大なるギタリストであったという真実は不滅!

報道によれば来日公演のスケジュールの最中に体調を崩し、そのまま帰らぬ人となったそうで、もしも故人が日本に対して並み以上の好感を抱いていたとしたら、以て瞑すべしというか、ひとつの幸せな人生だったのでしょうか……。

ありがとう、ジェリー・マギー、また、会おう!

合掌。
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追想ジンジャー・ベイカー

2019-10-20 17:50:51 | cream
Anyone For Tennis c/w ねずみといのしし / Cream (Polydor / 日本グラモフォン)

それがこの世の理とはいえ、近年の拙ブログにおいて、鬼籍に入る偉人の話題が尽きないのは、やはり自分が齢を重ねているからでしょうし、そうは思っていても、悲しい気持ちに変わりはありません。

で、本日は唯一無二の天才ドラマーとして、未来永劫に語れ継がれるジンジャー・ベイカーへの追善供養として、掲載したのはクリームが1968年に出したシングル盤です。

説明不要とは思いますが、クリームはエリック・クラプトン(g)、ジャック・ブルース(b)、そしてジンジャー・ベイカー(ds) という既にキャリアを重ねていた実力派の3人が1966年に結成したロックバンドでありながら、発売されるレコードと実演ライブでは、やっているスタイルが違っていたという真相がイマイチ、我が国では伝えられていませんでした。

もちろん、業界関係者や評論家の先生方は知っていたはずですが、少なくとも日本の洋楽ファン、特にサイケおやじを含む青少年には、とにかく発売されるレコードが全てであった時代、クリームの「顔」はジンジャー・ベイカーであり、それは日本盤7吋シングルのジャケットがほとんどジジイな風貌のドラマーであれば、クリームの実態が尚更に???な印象だったんじゃ~ないでしょうか?

少なくともサイケおやじにとっては一時期、クリーム ≒ ジャジャー・ベイカーってのは変だよなぁ~~!?!

それはそれはミョウチキリンな気分でありました。

なにしろクリームの代表的な名演である「クロスロード / Crossroads」の日本盤シングルからして、スリーブジャケ写がエリック・クラプトンならば納得のはずが、ジンジャー・ベイカーでしたからねぇ~~~!?

しかし、クリームというバンドがクリームであるためには、あのドカドカ煩いジンジャー・ベイカーのドラミングが不可欠なのは揺るがせに出来ない真実です。あの一撃、あの一発における所謂ハードヒットは演奏中の爆裂ドラミングとなり、当時の洋楽雑誌に掲載の写真で見るツインのバスドラの威圧感は、これぞっ! 世界最高のドラマーの証明なのか!?

とまで、サイケおやじに畏敬の念を抱かせたのでした。

さて、そこで掲載のシングル盤が例によってジャンジャー・ベイカーのポートレートなのは当たり前みたいなデザインではありますが、しかし収録A面曲「Anyone For Tennis」はエリック・クラプトンが自作自演のアコースティックギターによる弾き語りが主役のジェントルな歌と演奏で、ストリングスや不思議な笛みたな彩が付け加えられ、ジャック・ブルースのベースは大人しいですし、ジンジャー・ベイカーはパーカッションをポコポコ叩いているだけで、ここには猛烈なクリームが聴けるわけではありません。

ところが、これが罪作りな1枚で、リアルタイムじゃ~、クリームが出していたLPには未収録だったが故に、クリーム信者というか、既に神様のエリック・クラプトンに帰依していたサイケおやじとしては、ど~しても聴きたいシングル盤だったんですねぇ~~~。

実際、ラジオでも聴けず、それでも「エリック・クラプトンが自作自演」と洋楽雑誌では煽っていましたから、なんとか発売から2年後、シングル盤を入手して針を落とした瞬間の胸の高鳴りは、皆様にご理解願えるものでしょうか。

そして同時に喰らった強烈な肩透かし!

前述したとおりの歌と演奏では、LPに入れられなかったのも……、そんな不遜な気持ちばっかりが残ったものでした。

しかし気を取り直してB面を聴いて、またまた驚愕!?!

なんとっ! 歌っていたのがエリック・クラプトンでもジャック・ブルースでもない声で、つまりはジンジャー・ベイカーが自作自演のニューロックだったんですねぇ~~~!

曲調は抑揚の少ない、所謂モードジャズっぽい演奏にトーキングの節回しが乗っているだけと言えばミもフタもありませんが、被ってくるストリングスはマジカル期のビートルズみたいですし、ワンパターンのリフが積み重ねられる中で蠢くジャック・ブルースのベース、そして終盤では幾分小さ目のミックスなのが勿体ないほど凄いエリック・クラプトンのギターが唸るんですから、たまりません。

実はこの「ねずみといのししい」はクリーム畢生の名盤アルバム「クリームの素晴らしき世界 / Wheels Of Fire」のスタジオ録音パートに既に収録されていたトラックではありますが、A面がショボかった反動で、当時はこっちばっかり聴いていたのがサイケおやじの本性です。

う~ん、こ~なってみると、ジャケットスリーブがジンジャー・ベイカーのデザインで大正解!?

そんな確信とも勘違いとも言い訳出来ない心持になっていたのが中学時代のサイケおやじでありました。

そして衷心より合掌。

あぁ……、あの世でもジャック・ブルースと喧嘩セッションしている偉人ドラマーが目に浮かぶばかりです。
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防災に終わりは無いはず

2019-10-19 19:15:33 | Weblog

自分のような年寄りに何が出来るのか、足手まといとは自覚しつつも、先日の台風で被災した友人宅へ後片付けの手伝いに行ってきました。

これは以前書いた事の続きとして、2回目の行動なんですが、ど~にか格好だけはついていながら、やっぱり下水関係がトラブっているようで、なかなか万全の復旧とはいきません……。

天井からの雨漏りも相当なもので、これはなんとか直したとの話ですが、壁や床にも雨漏りの染みが大きく残り、その下に置いてあった仏壇も悲惨な有様では、言葉もありませんでした。

さて、そんな実際の現場を他所に旧民主党政権時代の「八ッ場ダム」問題が蒸し返されているのは、嘆かわしいです。

そりゃ~~、あれほど意気込んで無駄遣い云々を囃し立て、一時は中止させた工事が、自分達が失政の末に再び野党に転落し、仲間割れしてしまった今、工事再開の結果、少なからず今回の災害に効果を発揮したとなれば、心穏やかではないでしょう。

しかし、「それならば、すべてスーパー堤防にして、全部ダムを作ればいい」という捨て台詞は、いけませんよっ!

現在の日本に限らず、世界中が環境破壊によるものでしょうか、気象条件が明らかに変わり、これまでに無かった様な大災害が頻発しているのですから、防災に関しては決して大袈裟なんてことは無いし、公共工事に無駄なものはひとつも無いのが本当のところでしょう。

ただし、問題は、それがど~ゆ~過程や経緯で決められてしまうのか?

それをイマイチ明確に知らせないのが政治の世界の常識だとしたら、件の発言の裏には、利権に関する物欲しげな態度が滲んでいる気がするんですよ。

結局、自分達の利益になっていれば、問題の「八ッ場ダム」だって工事を中止にはしなかったんでしょう。

今の世の中、防災にはどんなに税金を注ぎ込んだって、そこにきちんと経緯が説明出来るのならば、誰も文句は言いませんよ。

ただ……、

永田町の先生方の物欲しげな態度だけは、ご勘弁!

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ばかやろうへの賛歌

2019-10-18 19:19:36 | 歌謡曲
悲しいぐらいほんとの話 / 原田知世 (キャニオン)
 
次々と暴かれる須磨小学校の教職員間イジメ事件の実態には、呆れて笑う事も出来ないほどの暴挙と思うばかりで、しかも保護者説明会では「カレーは出さない」とか、大ボケの言い訳をマジでやらかして失笑!?

まさに教務室崩壊というか、ど~なってんのぉ~~!?

週刊誌やテレビ等々での報道、さらにネットで暴露されている、それ以上の内容については、話半分だとしても尚更に教育現場での所業とは思えず、先日訪れた文部副大臣の前で棒を飲んだ様に背筋を伸ばし、低頭していた面々の引き攣ったツラの皮の厚さは、どのぐらいのもんでしょうねぇ~~!?

もはや傷害事件として立件されるは時間の問題である以上、前校長も含めて、加害者や加害関係者は揃って顔出しの謝罪会見は必須の状況でありながら、誰も信じない「体調不良」なんてバカのひとつ覚えですから、ここでスジを通すことを見せないと、生徒達への絶対の悪影響は避けられないのでは!?

そこで本日の掲載盤は、そんなこんなの気持ちから選んだ1枚です。

ご存知、A面収録の「悲しいくらいほんとの話」は、原田知世の本格的なデビュー作となったテレビドラマ「セーラー服と機関銃」の主題歌で、まさにジャストミートの曲タイトルですよねぇ~~。

もちろん、歌っているのは彼女本人で、作詞:来生えつこ&作曲:来生たかお、そして編曲:星勝が提供したのは、如何にも昭和57(1982)年のアイドルソングらしい、決して広くないボーカルの音域を逆手に活かしたようなフワフワ感は、原田知世の第一印象にはストライクゾーンのド真ん中 ♪♪~♪

失礼ながら、楽曲そのものは、それほど冴えているとは思いませんが、彼女のイメージを凝着させた結果からすれば、これでOKでしょう。

ちなみに件の「セーラー服と機関銃」は赤川次郎の原作で、既に前年に薬師丸ひろ子を主演して映画化されていた作品のリメイクではありますが、そのオリジナルの映画版と比較して、原田知世のテレビドラマ版はコミカルな中にも皮肉の効いた演出があったりして、もう一度、観たいなぁ~~~、というのは告白すると、ここに出ていた風吹ジュンが好きだからでした。

閑話休題。

そして原田知世は角川映画の看板スタアとなり、翌年には大ヒットした傑作「時をかける少女」に主演し、本物のスタアになった事は、皆様ご存知のとおりです。

う~ん、彼女のような生徒が、冒頭から嘆き節の対象となったご乱行の教員室に殴り込んだら、ダラダラしたボンクラ教師達も気持ちを入れ替えるかもしれませんねぇ~~♪

あっ、そうだ、もうひとつ、今日は書いておきたいのが、来年に迫った東京オリンピックにおけるマラソンと競歩の開催地変更の件でして、出場選手のコンデションを考慮すれば、確かに正論かもしれませんが、どっちにしろ結果論が全てという感じでしょうか。

当然、各方面から様々な意見&発言が飛び出している中で、「北方領土」と言い放った小池百合子は久々の痛快なツッコミ節で、これには森喜朗も不貞腐れるのが精いっぱい ♪♪~♪

おまけに立川志らくなぁ~んていう奴が、そんなのは落語家のボケとかなんとか批判してましたけど、それじゃ~、落語家を標榜しているあんたは、そんなボケをかませるか、大いに疑問ですよ。サイケおやじは常日頃から、あんな仏頂面でバラエティに出ている、それこそ「一見落語家の如し」の奴が目障りでしょ~がねぇんですよっ!

ちったぁ~、そんなこんなの時事の話題で、皆を笑わせてみろってんだっ!

ということで、最後は熱くなってしまい、失礼致しました。

でもねぇ~~、それもまた「悲しいくらいほんとの話」というわけです。
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メンフィスの魂のシチューで高揚!

2019-10-17 17:32:37 | Soul Jazz
Memphis Soul Stew / King Curtis (Atco)

アメリカのメンフィスという地方都市は、エルヴィス・プレスリー所縁の地というだけでなく、古くから黒人音楽の名演・名唱が夥しく生産されていた事は歴史的にも認められるところですが、その多くには白人スタッフが関与していた事もまた、確固たる現実でした。

特に有名なのはオーティス・レディングやルーファス・トーマス等々が所属していた名門レーベルのスタックスは白人経営であり、レコーディング現場のエンジニアやミュージシャンにしても、ほとんどが所謂ホワイトボーイズでありました。

また、同様の実情は他にもアラバマ州マッスル・ショールズのフェイム・スタジオが知られるところです。

そして、それらの場所で作られたレコードが全国的なヒットになるにつれ、ニューヨークやハリウッド等々からもレコーディングをするべく来訪するスタア歌手や有名グループが次々に増えていった事から、逆説的に名を上げたのがアメリカ南部のローカルなレコーディング会社だったのですから、これもひとつの地方創生だったのかもしれません。

ちなみに、これはサイケおやじも不思議に思っていた事なんですが、何故にアメリカの地方都市には小さなレコード会社、つまりはインディーズレーベルが多数存在しているのか?

という疑問なんですが、これはやはりアメリカの特殊事情というか、広大な国土に暮らす人種毎に聴く、あるいは聴かれる音楽が強く分類選別されていたので、必然的にローカルスタアが求められていた事が大きな要因だったようで、しかも地方のレコード会社は弱小資本なので自前のレコーディングスタジオが無く、結果として独立したレコーディングサービスの会社が演奏パートを担当する専属ミュージシャンを付けて、レコード制作の実務を販売(?)するという産業システムが普通だったのです。

ですから、メンフィスに限らず、各地の主要都市にあったレコーディングスタジオで作られたサウンドは、そこだけの独独の雰囲気が刻み込まれているのは自然の成り行きだったのでしょう。

今日、所謂「スタックスサウンド」と呼ばれる、ディープソウルな黒人音楽は殊特徴的な代表格と思います。

ちなみに件の「スタックスサウンド」は、その初期段階で機材もスタジオもチープの極みだった事から、マイクや機材のセッティング場所がスタジオ内で常に決められた位置だった事が結果オーライというか、毎度同じ様な音が作り出されていたのも納得されるところです。

さて、そんな中で本日のお題は、やはりメンフィスに設立されたアメリカン・サウンド・スタジオでありまして、経営者は以前にスタックスでレコーディングエンジニア兼ギタリストとして働いていたチップス・モーマンなんですが、その設立の経緯については皆様ご推察のとおり、金銭面に関しての喧嘩別れであり、すったもんだの末に手にした和解金を元手にしたと云われています。

これが1964年頃の事で、そこに集められたセッションプレイヤーで常連だったのがレジー・ヤング(g)、トミー・コグビル(b)、ジーン・クリスマン(ds)、ボビー・ウッド(p)、ボビー・エモンズ(org) 等々でしたが、他地域からも、例えば全国区のスタアになる前のボビー・ウーマック(g)、フェイム・スタジオに出入りしていたダン・ペン(g) やスプーナー・オールダム(p,org) という優れたソングライターとの交流もあった事から、決して黒人音楽だけに留まらない幅広いジャンル、例えばロックやカントリー&ウエスタン等々を含むポップス全般のレコードの製作現場として、アトランティックやEMI、そしてRCA等々の大手レコード会社やその系列レーベルに所属の歌手やバンドが、チップス・モーマンにプロデュースを依頼するという業界の流行が、1960年代後半には出来上がっていたようです。

その中から作り出されたヒット曲としては、ボックス・トップスの「あの娘のレター / The Letter」やエルヴィス・プレスリーの「Suspicious Minds」が日本でもお馴染みですし、他にもダスティー・スプリングフィールドの「Son-Of-A Preacher Man」、ジョー・テックスの「Skinny Legs And All」等々、普通に黒っぽいだけじゃ~なく、カントリー&ウエスタンやフォークロック的な要素も含んだサウンドプロデュースの雰囲気は、それまでの南部系ディープソウルとは絶妙に異なる味わいが感じられるんですが、いかがなものでしょう。

もちろん、そこには黒人音楽ならではのグルーヴがびっしり刻まれていますから、ノー文句でカッコイィ~イわけです。

そして本日掲載のシングル盤A面収録「Memphis Soul Stew」は、キング・カーチス(ts) が1967年にアメリカン・サウンド・スタジオで吹き込んだ、まさにそれがたっぷりと楽しめる名演で、ソウルジャズのインスト曲なんですが、アメリカ南部のソウルフードの調理過程に見立てたメンバー紹介により、リズムとビートが順次構成され、いよいよ飛び出すリーダーのテナーサックスに呼応してのホーンセクションのリフは、黒人集会のコール&レスポンスを強く想起させ、これが本当に魂を熱く高揚させるんですねぇ~~♪

演奏メンバーはキング・カーチス(ts) 以下、前述したレジー・ヤング(g)、トミー・コグビル(b)、ジーン・クリスマン(ds)、ボビー・ウッド(p)、ボビー・エモンズ(org) に加えて、R. F.テイラー(g)、ジーン・ミラー(tp)、チャールズ・チャーマーズ(ts)、ジミー・ミッチェル(ts)、フロイド・ニューマン(bs) が脇を固めているらしく、実は告白すると、サイケおやじが初めて聴いた「Memphis Soul Stew」は、アレサ・フランクリンと一緒に出ていたフィルモアでのライブバージョンであり、それはコーネル・ドュプリー(g)、ジェリー・ジェモット(b)、バーナード・パーディ(ds) を核としたキングピンズの物凄く有名な演奏でしたから、てっきりこのオリジナルのシングルバージョンもキング・カーチス率いる自前のキングピンズかと思いきや、真相(?)に触れた時には愕然とさせられましたですねぇ~~~!?!

だって件のフィルモアにおけるライブバージョンでのベースやドラムスのキメのパターン、ギターのオカズの入れ方等々が、スタジオレコーディングされたオリジナルバージョンと一緒ですからねぇ~~、極言すれば、あの印象的なコーネル・ドュプリーの「メンフィスギター」は、完コピだったのかぁ~~~!?!

という素朴な疑惑というか、真実はひとつと申しましょうか、つまりはそれほどにアメリカン・ミュージック・スタジオ専属のプレイヤーは凄腕だったという事なんですよっ!

ちなみに問題(?)のギタープレイがレジー・ヤングなのか、あるいはR. F.テイラーなのか、そのあたりも大いに気になるところです。

ということで、今回は本当に簡単にしか書けませんでしたが、メンフィス地域からは今も不滅な歌や演奏が夥しく作られて来ましたので、これからも追々にご紹介しつつ、現地で活動していたミュージシャンや業界人についても何かしら書き残していきたく思います。

個人的にはチップス・モーマンと結婚していたソングライターでもあり、美人ボーカリストでもあったトニ・ワインが大好きなのでした。
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ネタの入れ替えやってます

2019-10-16 19:21:44 | Weblog

管理担当者から特段の連絡も無かったんですが、やっぱりあの台風の後ですから、借りているトランクルームが気になって、様子を見に来ています。

建物はそれなりに老朽化していますが、今回も運良く、異常は無いみたいで、ほっとしています。

そしてこれからネタの入れ替えをやりますので、本日の1枚は休載ご理解お願い致します。

そう、車のトランクいっぱいに入れ替えのブツがあるんで、同量ぐらいは持ち帰りますね (^^;

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誰にでもある若き日々

2019-10-15 18:22:16 | 歌謡曲
若いってすばらしい / スクールメイツ (キングレコード)

最近バイトで来ている女子大生が歌が上手いというので、ちょっと話を聞いてみたら、「私の母は昔、芸能人でした。テレビにも出ていたし、レコードも出していたんです」と言うので、諸々の雑談を総合してみると、彼女の母親は、どうやらスクールメイツに在籍していたというのですから、大いに興味を惹かれてしまいました。

現在はど~なっているのか、ちょいと不明ではありますが、スクールメイツと云えばサイケおやじの世代では必ずやテレビで接しているはずのコーラス&ダンスのグループで、有名スタア歌手のバックやオープニングアクトには欠かせない存在として、自然に馴染んでいた存在感は抜群でありました。

良く知られているとおり、スクールメイツは渡辺プロが実質運営していた東京音楽学院の生徒から選抜したメンバーで実習というか、リアルな芸能の現場で場数を踏ませる意味からも、テレビや様々なステージに出演させていたわけで、当然ながら所属メンバーも頻繁な入れ替わりがあり、今日でも有名なスタアを大勢誕生させています。

それは例えば布施明、キャンディーズ、太田裕美、平山三紀、高橋真梨子、リリーズトライアングル、三木聖子、石川ひとみ等々、ちょっと思いつくだけでも、名前が挙げきれないほどですから、自分名義でメジャーデビュー出来なかったメンバーも不特定多数という現実は確かです。

件の彼女の母親にしても、ひとりではデビューしていなかったというので、スクールメイツとしてのレコードを残しているのでしょう。

さて、そこでご紹介したいのが本日の掲載盤で、特にA面収録の「若いってすばらしい」は、ご存知! 槇みちるが昭和41(1966)年に大ヒットさせたエバーグリーンなヒット曲のカバーで、一説では、その槇みちるバージョンのバックコーラスを担当していたのがスクールメイツであったという事からも、これがなかなかジャストミートな仕上がりなんですねぇ~~ ♪

なにしろイントロから、ブンチャッブンチャッと弾むギターが如何にも楽しく、歌い出されるコーラスのリードは女性陣、合いの手は男性陣という編成が親しみ易さを増幅させているようです。

実は告白すると、サイケおやじは中学生の時、クラス対抗のコーラスコンクールで、この「若いって素晴らしい」のスクールメイツのバージョンを歌った事があり、掲載したシングル盤は、ちょうどその頃に入手した1枚です。

そして自宅で鳴らしながら、ターヘなギターでコードを探り、独りで弾き語り気味に歌ってはイイ気になっていたという、いやはやなんとも、自意識過剰の若気の至りが高じて、ついにクラスの練習の時、「ギターで伴奏させてくれぇ~~」とかホザいて白眼視されてしまったですよ……。

もちろん、当時はエレキじゃ~なくても、学校にギターなんかは持ち込み出来なかったんですけどねぇ~~~、お恥ずかしいかぎりです。

ということで、冒頭での書いたバイト女子大生の母親が、果たしてこのレコーディングに参加していたか否かは全く不明なんですが、スクールメイツはその長いキャリアの中でスタア歌手のバックコーラスやカバー曲、さらにはCM曲やテレビ番組のテーマ曲等々、相当数の音源を残しているはずなので、きっと何時かは真相が明らかになるかもしれません。

確か以前、スクールメイツだけのコンピレーションCDも出たはずなので、気になる皆様は、とりあえずこの「若いってすばらしい」だけでも、お楽しみ下さいませ。
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浪花で咲いたソウル歌謡

2019-10-14 17:40:41 | 歌謡曲
幻のブルース / フラワーショー・華ばら・ぼたん・ゆり (ローオン)

時々、ギョッとする歌声や演奏に出会う瞬間、思わず、誰っ!?

って好奇心が刺激されるのも、レコード屋巡りの楽しみのひとつでしょう。

店頭や店内で鳴らされているデモ盤は、なかなか罪作りでもあるんですが、本日掲載のシングル盤B面収録曲「幻のブルース」を初めて聴いた時のサイケおやじは大袈裟ではなく、ぐぅ~~っと内臓を鷲掴みにされるってのは、こ~ゆ~もんかっ!?!

それほどこの「幻のブルース」は強烈なソウルフィーリングと下世話な情感に溢れた激唱・激演と思いましたですねぇ~~~!

そこで店主に尋ねたところ、これがアッと驚く、浪曲漫才トリオのフラワーショーが出していたシングル盤で、歌っているのはステージ立ち位置が真ん中の華ばら!?

浪曲で鍛え上げた喉と節回しと言ってしまえば、それはそのまんまかもしれませんが、アップテンポで迸るソウルパワーがニューロック系ラテンソウルジャズな演奏パートにはジャストミートで、ホーンセクションがブラスロックしているのもイイ感じ ♪♪~♪

 はぁぁぁぁぁぁ~~♪

と歌い出されたハナからケツまで、切羽詰まった情念と刹那の思いを徹頭徹尾に押しまくる彼女のエネルギッシュなボーカルには圧倒されること、必至ですよっ!

ちなみに作詞作曲:藤本卓也&編曲:高橋誠が提供した「幻のブルース」は、決してフラワーショーのオリジナルではなく、数種類のカバーが存在している事は今や有名で、その各々がネットで聴けるんですが、やっぱり華ばらバージョンが最高に熱くて、ビシッとキマッていると思うのがサイケおやじの偽りのない気持ちです。

また、このレコードが何時頃製作発売されたのかは不明なんですが、演奏の雰囲気からして、おそらくは1970年代前半と思われますが、いかがなものでしょう。

楽曲そのものは既に昭和44(1969)年には世に出ていらしく、もちろん現在ではCD化もされているんですが、果たして……、華ばらが何枚のレコードを出していたかは知る由もありませんし、所有しているのは、掲載盤1枚だけですから、詳しいことは何も書けませんし、実際のステージで、こ~ゆ~本格的な歌謡曲を披露していたのか否か、それも大いに気になるところです。

ということで、浪花には所謂ナニワソウルと称される熱い歌謡曲が数多生まれていて、それも土地柄というか、ナチュラルなコテコテフレイヴァーがあればこそ、こ~ゆ~のもまた、ひとつの「ご当地ソング」かもしれないなぁ~~等々と、今日も勘違いしているのでした。
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豪雨無情のやるせなさ

2019-10-13 19:30:24 | Fusion
Before The Rain / Lee Oskar (LAX / Trio)

やっぱり……、台風で各地に甚大な被害と大勢の死傷者が出てしまいました。

そして現在も避難されている皆様、復旧に全力を傾注している皆様には、心からお見舞い申し上げます。

実は今日、友人宅が水に浸かったというので手伝いに行きましたが、家の内外は泥水だらけで、下水の逆流もあったらしく、トイレも風呂場も水が流せないという惨状です。下水管の中に泥やゴミが堆積したようで、これは復旧にどのぐらいの時間が必要なのか、全く不明……。

また、妹が住んでいるマンションは屋上のアンテナがやられ、全世帯でテレビが視聴出来ないそうです。

あぁ……、本当に自然は残酷です。

あの大雨が降る前の穏やかな日々は、どこへ消えてしまったんでしょう……。

ということで、不謹慎かもしれませんが、思わず心に浮かんでしまったのが、本日掲載のシングル盤A面曲「Before The Rain」です。

きっと皆様にも、曲タイトルはご存知なくとも、ハーモニカで奏でられる穏やかで哀愁が滲むメロディは耳にした事があるんじゃ~ないでしょうか。

世に出たのは確か、1978年でしたが、我が国ではテレビCM等々に使用され、忽ちヒットしましたですねぇ~~、懐かしい!

演じているリー・オスカーは、アニマルズからソロシンガーに転身したエリック・バードンがバックバンドに起用したウォーのメンバーで、デンマークから十代でアメリカに渡って来たハーモニカ奏者なんですが、サンフランシスコかロスあたりでエリック・バードンと出会って意気投合したのが、メジャーデビューの始まりだったようです。

その音楽性は基本はブルースながら、ジャズやソウル&ファンクの要素もたっぷりで、歌心あふれるメロディフェイクやフックの効いたアドリブソロは、ライブの現場でも人気を集めていたところで、当然の如く製作された自身のリーダーアルバムも、フュージョンのブームと相まって、注目されていたのですが、我が国で決定的な人気を集めたのが、2nd アルバムからカットされた、この「Before The Rain」でありました。

う~ん、さっき久々にレコードを取り出して聴いていたら、なんともせつないような、それでいて明日は必ずやってくるという前向きな気持ちが交じり合い、妙に面映ゆい心持であります。

悲劇は避けられないから悲劇である、という言い回しもあるにはあるんですが、分かっていても自分に襲いかかる災いには、不条理しか感じられないのが人の世の理でしょう。

とにかく今は前を向いていくしかないと思うばかりで、明日も微力を尽くす所存です。
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六本木は恋の街

2019-10-12 18:08:33 | 歌謡曲
恋のダウン・タウン / 平山三紀 (日本コロムビア)

台風が襲来!

普段の土曜日ならば夜遊びモードが全開という皆様も大勢いらっしゃるでしょうが、流石に今日は逼塞して災難を避ける努力が必要でしょう。

しかし、それはそれとして、やっぱり土曜の夜は下世話に過ごしても許される雰囲気ってのが確かにあると思えば、そんなこんなの我儘で気儘な女心を歌っているのが掲載したシングル盤A面曲「恋のダウン・タウン」の平山三紀です。

とにかくイントロから畳みかけるロックビートの効いたリフ、それに乗っかって歌い出す彼女の節回しには、持ち前の鼻声っぽいグルーヴが真っ向勝負の潔さですよ ♪♪~♪

もちろん提供は平山三紀の特質と個性を知り抜いている作詞:橋本淳&作編曲:筒美京平の黄金コンビですから、今も忘れられないのは当然が必然!

発売された昭和43(1973)年10月の夜の六本木の夜遊び風情がきっちりと伝わってきます。
 
そ~です、これも六本木、しかも土曜日の「ご当地ソング」なんですねぇ~~♪

ちなみにこの「恋のダウン・タウン」の世界観(?)は「真夜中のエンジェル・ベイビー」を経て、「マンダリン・パレス」へと続く「連歌」の如き、まさに赤坂~青山~六本木という、東京のダサくてオシャレな街の物語かもしれません。

また曲タイトルは、ど~してもぺトゥラ・クラークの「恋のダウンタウン」と間違われますが、こっちは「・」=「ナカグロ」入りってのも、ひとつの蘊蓄としてネタに使えるんじゃ~ないでしょうか。

ということで、今はこんなノーテンキな事も書けていますが、いよいよ台風は苛烈!

どうか被害が最小限度で済みますよう、祈っております。
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