「戦後レジーム」は戦前の体験に学んで築かれました。教訓を忘れないよう、歩んできた道を振り返りながら未来を見つめ、憲法と向き合いたいものです。
一九九〇年、天皇は即位を国内外に披露する「即位礼正殿の儀」のお言葉で、「日本国憲法を順守し、日本国及び日本国民統合の象徴としての務めを果たす」と誓われました。憲法第九九条で公務員に憲法の擁護尊重義務が課されていることに配慮されたのでしょう。
「米軍基地の中の村」と言われた沖縄県読谷村の村長を二十三年も務めた山内徳信さんは、この条文を大きな掛け軸にして村長室に飾っていました。
『自分の権力基盤を否定』
今年の憲法記念日、安倍晋三首相の談話は「戦後レジーム(体制)を原点にさかのぼって大胆に見直し、憲法について議論を深めることは新時代を切り開く精神につながる」と改憲へ強い意欲を示しました。
首相の権力は憲法によって与えられています。自分の権力基盤を否定するのは矛盾のようですが、よく似たことが五十年前にもありました。安倍首相が敬愛する祖父の故岸信介らが、新憲法制定を目指して内閣に憲法調査会を設置した時です。
岸は当時の自民党幹事長、後の首相です。戦前は中国大陸で植民地経営に重要な役割を演じ、東条内閣の商工相として開戦の詔勅に署名し、起訴は免れましたがA級戦犯の容疑に問われました。
現憲法施行から十年もたっていない五六年三月です。自民党は今と同じ押しつけ憲法論を軸に戦後体制脱却を主張しました。憲法調査会設置法を審議する衆院内閣委で、公述人の故戒能通孝・東京都立大教授(当時)がこれを批判しました。
「内閣は憲法の忠実な実行者でなければならない」「憲法擁護の義務を負っている者が憲法を非難、批判することは論理的に矛盾する」
『国民と政治家を冒涜』
これに対抗し「戦前に戻そう」と言わんばかりの論陣を張ったのは、旧内務官僚、元海軍少将、元陸軍参謀といった顔ぶれの自民党議員たちでした。安倍首相とその取り巻きの人たちの「自前憲法制定論」「戦後レジームからの脱却論」や、日本人としての誇りを声高に主張する一部の雰囲気は、この時の議論にオーバーラップします。
自前憲法制定の欲求が「現憲法はマッカーサーの言うなりに作ったものだから」というのなら、事実に反し、当時の国民と政治家に対する冒涜(ぼうとく)です。あの時代の日本人の気持ちを反映していることは多くの研究で明らかになっています。
原案を審議した衆院小委員会の芦田均委員長(後の首相)は、四六年八月二十四日の衆院本会議で次のような趣旨の報告をしました。
「過去の過ちを切実に反省し、新しい日本を建設する基盤として新憲法を制定する」
「大胆率直な戦争放棄の宣言は、数千万の犠牲を出した大戦争の体験から人々の望むところであり、世界平和への大道である。理想の旗を掲げて世界に呼びかけよう」
「憲法がいかに完全な内容でも、国民がその目指す方向を理解し、その精神を体得しなければ、日本の再生はできない」-六十年後のいまも輝きを失わない格調の高さです。
戦後レジームは戦前、戦中の体験を教訓として生まれたのです。その教訓を投げ捨て、旧体制に戻すわけにはいきません。
日の丸、君が代の強制、愛国心教育や教育の国家統制強化など、戦前回帰のような最近の政治の流れをみると、これを杞憂とは思えません。
国民投票法が成立し、安倍首相は改憲を今度の参院選の争点にすると言います。必要期間だけみれば、新議員の任期中に改憲発議が可能になりますから選挙結果は重大です。
投票という主権行使を前に、私たちは「無知は罪」と自覚しなければなりません。後になって「知らなかったから」ではすまないのです。
「日本人の出演俳優は一度も硫黄島のことを聞かされたことがなかった」-大ヒットした映画、硫黄島二部作の監督、クリント・イーストウッドのこの発言が本当なら、私たちは戦後の反省をきちんと継承できていなかったことになります。
改憲の核心である第九条を考えるには、日本とアジアの民衆があの戦争で味わった苦しみ、近隣国の日本を見る目を学ばねばなりません。
いまの憲法がなければ日本がどうなっていたか、世界各地における米国の軍事力行使がどんな結果になっているかも大事な視点です。
『正面から向き合って』
施行から六十年もたった憲法ですから手当てしたい部分はあるでしょう。しかし、一時の気分や目先の利害得失だけで論じられてはなりません。政権の都合で規定や解釈を変えるのは立憲主義に反します。
どのような国、社会を築き、国際社会とどう付き合うか、歴史を振り返りながらそれを考え、憲法と正面から向き合いたいと思います。