九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

九条改憲反対運動は今のままでよいのか? 河内謙策

2007年06月14日 22時44分41秒 | Weblog
 河内謙策と申します。国民投票法が、遂に国会で成立しました。がっくりされている方も多いと思いますが、今私達に必要なのは、落胆の淵に沈むことでも、“まだ国民投票があるよ”という空文句を叫ぶことでもなく、これまでの9条改憲反対運動の成果と問題点、今後の運動のあり方について、9条改憲反対運動の中で活発な議論を展開し、それをエネルギーにして新たな9条改憲反対運動を構築することではないでしょうか。以下は、その活発な議論へ向けての私流の問題提起です。不十分な点も多いと思います。御批判・御教示をお願いいたします。(このメールの転送・転載は自由です。なお、私は、現在、闘病生活中なので、私に対する御批判・御教示のすべてに回答することは出来ません。御了解ください。)

     「 9条改憲反対運動は今のままでよいのか 」

 90年代初頭から始まった9条改憲反対運動のこれまでの成果の第1点は、現在もなお9条改憲を許していない、ことにあると思う。91年の湾岸戦争から17年、読売の憲法改正試案(94年11月)から13年、憲法調査会の設置(2000年1月)から7年……が経過している。17年というのは決して短い時間ではない。17年間のさまざまな闘いを思い返すと、感無量である。先人の血と汗で書かれた平和の歴史に、私達は確実に数ページを加えることができたことを誇りにして良いのではないだろうか。

 これまでの成果の第2点は、9条改憲を狙う勢力の理論的ヘゲモニーの確立を未だ許していない、ことにあると思う。9条改憲を狙う勢力は、この17年間に「国際貢献論」や「北朝鮮・中国脅威論」をてこに、9条改憲の理論的整備を試みたが、未だ成功していない。そのことは、国民の世論調査の結果に端的に表われている。ただ北朝鮮問題・中国問題を利用した2002年以降のキャンペーンの中で、ナショナリズムの高まりが見られることは注意を要するであろう。

 これまでの成果の第3点は、今後の9条改憲反対運動を考えたときに極めて重視すべき“新しい芽”が出てきていることだと思う。従来考えられなかったような広範囲の人々が9条改憲に反対の意思を表明し始めていること、9条改憲反対の国際的共同闘争の試みが開始されていること、9条改憲反対の平和共同候補を擁立しようという日本の歴史始まって以来の運動が開始されていることetc.

 しかし、これまでの9条改憲反対運動は、大きな問題点も抱えていたと思う。私達は、自分の弱点から目をそむけてはならないであろう。

 問題点の第1点は、9条改憲反対運動の戦略が不明確で、そのことにつき十分な討議がなされていない、ことである。9条改憲反対運動は、戦後平和運動の総決算ともいう大運動である。したがって、9条をどう考えるか、9条改憲の狙いをどうかんがえるか、勝利の展望をどう考えるか、につき徹底した討論が必要なはずである。しかし、平和運動内の討論は、おざなりだったり、平和運動の指導部が忌避する論点は“臭いものに蓋”をされてきた。その結果、“9条は人類の宝”という抽象文句だけが横行している観がある。たとえば、国民は中国や北朝鮮をどう考えるか、疑問を持っているのに、それとどう向き合うか、という議論はされていない。

 問題点の第2点は、日本平和運動の長年の病である、平和運動の分裂状態が依然として克服されていない、ということである。日本の市民が平和運動に対して信頼できないのは、平和運動の分裂に見られるように、平和運動が結局エゴイスティックな運動であると見ているからである。したがって、この点の克服なしに9条改憲反対運動の勝利はありうるはずがない。“9条の会”運動を大きく評価する人もいるが、“9条の会”運動は、社会運動でなく啓蒙運動である点、共産党に批判的な人びとを含めての真の統一が意識的に追求されていない点等で大きな限界を持っていると考える。
(平和共同候補擁立運動の問題については、小林正弥「憲法を救うために、『超党
派』市民の潮流と政党への提案」『世界』2007年6月号参照)

 問題点の第3点は、9条改憲反対運動が格差社会克服の運動や地球・環境問題を考える運動等と結びつかず、非常に“狭い”運動になっているということである。60年安保の時に安保闘争と三池闘争が結合して闘われたように、平和問題は平和問題だけで闘われるよりも、他の諸課題と連携・結合する時に大きな運動に発展するというのが歴史の教訓である。しかし、この歴史の教訓を私達は生かしきれていない。9条改憲反対運動のビラも内容が貧弱である。私は、私の友人に映画『不都合な真実』を見るように勧めている。

 問題点の第4点は、日本の平和運動が政党からの自立を果たしていない、ということである。本来平和政党と平和運動は別個のものであり、どちらが偉い、というのでなく、相互に対等で、相互に学びあい、助け合い、批判しあう関係にあるはずである。しかし、平和運動のリーダーや活動家には、共産党や社民党の動向を横目で気にしたり、共産党や社民党の問題点には目をつぶるという人が意外に多い。この欠点が表面化したのが平和共同候補擁立運動である。また国民投票法案反対運動が大きな盛り上がりを見せなかった原因の一つも、ここにある。


 9条改憲反対運動は、今後は国民投票を見据えた運動になるであろうが、それを本格的に論じるのは別の機会とし、今は、上記で触れなかった幾つかの点を指摘するにとどめたい。

 第1点は、“決戦の秋(とき)”を迎えて、平和勢力の総力を結集する必要性である。平和の運動には、全体として、個別の闘いに重点がおかれる“分散”の時と、運動の結集に重点がおかれる“集中”の時がある。今は“集中”の時である。しかし、私の見るところ、“平和ボケ”して、“分散”の時だと思っている平和活動家が結構多いのである。また労働組合運動など、従来の力を発揮していないのではないかと思われる諸分野の運動をどう総結集していくかも考えなければならない。

 第2点は、広範な国民に切り込んでいく必要性である。私のような古い平和活動家から見ると、今の日本の平和運動は、やや内向きでないか、心配している。広範な国民をどう変えるのか、真剣に議論し、行動に移る時期ではないだろうか。秋に国会に憲法審査会が設置されることを考えると、地元の改憲反対の声と国会議員オルグをどう結びつけて、広範な国民に9条改憲反対の声を広げていくのか、今から議論する必要があるだろう。私は自由法曹団で、全国会議員の憲法についての言動を記録したデータベースを作ることを提唱している。

 第3点は、市民の立場から憲法改正案を呈示する必要性である。これについては、改憲反対運動にとってマイナスになる、という強い批判があることは承知している。
 しかし、改憲反対運動全体(!)がよりよい憲法改正をめざすことは妥当でないとしても、個人や団体でよりよい憲法改正案の呈示を禁止する理由はないし、それがない限り、憲法論議が深化しないことは明らかである。これを禁止しようという議論は、明治憲法や戦後の憲法制定時の歴史を無視し、憲法論議を余りにもせまい「運動」の枠に閉じ込めるもので、私は賛成できない。
                           (2007/05/15 記)

PS本稿脱稿後、改憲国民投票法案情報センターの抗議声明に接した。ぜひ参照された
い(http://homepage.mac.com/volksabstimmung/id106/id327.html)。


         河内謙策

email: kenkawauchi@nify.com


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニカラグア・アメリカ「対テロ戦争」の源流  文科系

2007年06月14日 16時31分54秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
ことの始まりは1979年、アメリカの息がかかり1936年以来続いたソモサ家による独裁政権の亡命、倒壊であった。 このソモサ独裁維持自身が数々の反対運動指導者暗殺事件に彩られている。34年のサンディーノ暗殺、76年のカルロス・フォンセカ暗殺、78年のホアキン・チャモロ暗殺など。なお、このサンディーノの名前にちなんで反ソモサ運動側は「サンディニスタ民族解放戦線」と名乗ったのだし、後の90年に大統領になったチャモロ女史はホアキン・チャモロの未亡人である。
ソモサ政権倒壊以降は、こう続いていく。
1980年 アメリカが経済援助を停止し、経済封鎖を始めて、反革命運動(コントラ)を育成し始め、内戦に突入した。凄まじい疲弊の始まりである。
1981年 アメリカ、レーガン政権誕生。そのニカラグア攻撃は、「主に『国家支援のテロリズム』を標的として着手された対テロ戦争の中でも最も優先されたものの一つだった」
1984年 サンディニスタのオルテガ新大統領誕生
1988年 中米5カ国調印の和平提案でる。それも実行されず、戦闘は長引き、経済疲弊は続く。
1990年 大統領にチャモロ女史当選。「ニカラグア人は『頭に銃を突きつけられ』、諦めて投票し、アメリカが後ろ盾についた候補者に自分たちの国を引き渡した。アメリカのエリートたちはこの勝利を祝い」と、記されている。
(なお2006年末選挙では、オルテガ大統領が再選され、今年1月に就任している。よく生きていたものだと、僕、文科系はその時思ったものだ。ベネズエラのチャベス、ボリビアのモラレスに続く左翼政権の誕生である。)

この内戦の被害はこんなふうだと、チョムスキーは報告する。
①死者の数 「人口比からすれば、アメリカで225万人の死者を出すのに等しい規模となる。(中略)ニカラグアにとって『国民1人に対する』死者数は、『南北戦争と20世紀の全ての戦争で死亡したアメリカ人の合計よりもかなり多い』」
②経済疲弊 「ニカラグアの国民総生産は今後50年間、年率5%ずつ成長しなければ、1978年のレベルまで回復できないだろう(とイエズス会大学の研究誌は報告した)」
③ニカラグアによる国連提訴、採択などもアメリカは無視
A 1986年 ニカラグアが、国際司法裁判所にテロ攻撃からの救済を求めて裁判を起こす。この弁護団長はハーバード大学法学部教授(アメリカ人)が引き受けた。判決はコントラ支援も、港湾への機雷バラマキなどを含む経済戦争も違法であると、ワシントンに有罪判決を下した。裁判所は併せて、170~180億ドルと算定された賠償金支払いをアメリカに命じた。アメリカは全てこれらを無視した。
B ニカラグアは今度はこの裁判所の命令実施を国連に持ち込んだ。国連安保理は判決支持の決議案を出した。これは、アメリカが拒否権発動で否決。
C ニカラグアは今度は国連総会に持ち込んだ。決議は2回も採択されている。1度目はイスラエル、エルサルバドル、アメリカ3国の反対だけ、2度目はイスラエル、アメリカだけの反対で。なお、アメリカはこれらの決議も全く無視した。
「(アメリカでは)こうしたことは、ほとんど報道されず、この問題は歴史から消えている」ということだ。

以上
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

町に出て若者に語りかけよう。・・・元木昌彦の主張。  ネット虫   

2007年06月14日 14時36分11秒 | Weblog
 「護憲派団塊世代は、もっと若者たちと話し合え!」

改憲を彼らの不満解消のはけ口としないために元木 昌彦(2007-05-15 16:00)
 国民投票法が参議院を通過し、成立した。この法の成立を阻止しようと、反対運動の片隅で呼びかけてきたひとりとして、多少の感慨がある。

 これで憲法改正がすぐできるわけでもないし、これをきっかけに、戦後初めて、憲法についての本格的な議論が始まると考えればいいのだろう。しかし、本当にそうなるのだろうか。

 この法は、「(1)国民投票のテーマを憲法改正に限定(2)投票年齢は18歳以上(3)国家公務員法などによる公務員への『政治的行為の制限』を原則適用(4)公務員と教育者の『地位を利用』した運動を禁止」(アサヒ・コム5月14日付)している。

 公布後3年経って国民投票が実施されたとき、実投票数の過半数でいいとすれば、投票率によっては、有権者の2割程度で憲法が改正されてしまうというメディアの調査もある。

 様々な問題を含んでいるが、ここでは投票年齢を18歳に引き下げることについて、一市民記者として書いてみたい。

 護憲派の最大の悩みは、憲法改正反対、戦争のできる国にしてはならないと声高に叫んでも、多くの若者たちに共感してもらえないことだと思う。そこには、戦争に対する世代間のイメージの落差が大きな壁としてある。「軍歌の響き」「死の行軍」「集団自決」など、われわれ世代が戦争という言葉から思い浮かべる陰鬱なイメージを、現代の戦争は根底から変えてしまったからだ。

 圧倒的な軍事力を持っていれば、紛争地域から遠い安全な場所に基地を造り、そこから戦闘機に乗って敵地の上空でミサイルのボタンを押すだけで数千人を殺戮できる。しかも、その死者の山を目にすることもない。“ゲーム戦争”の始まりといわれる1991年の湾岸戦争で、イラク側の死者は数万人、多国籍軍の死者は100人に満たなかったとされる。

 戦争の悲惨さが伝わらないだけではない。若者は現状への不満から、社会変革を望み、戦争をその1手段として捉えている面がある。「群像」で雨宮処凜は、若者の間に増えているフリーター、ワーキングプア、ネットカフェ難民といわれる「プレカリアート」たちの中に戦争賛成派が増えていると書いている。彼女自身、20代前半のとき、「あの頃の私も、戦争が起きて混乱状態になれば、自分が上昇できる気がしていた。戦争くらい起こってくれないと自分は一生このままだという焦りがあった」という。

 現状への不満解消のはけ口のため、軽々に、憲法が改正されてはならないことはいうまでもない。ビートたけしは、「週刊ポスト」の連載の中で、「投票年齢を18歳に引き下げるのではなく、社会に出て、酸いも甘いも分かるようになった25歳か30歳以上に引き上げるべきだ」と書いている。極論ではあるが、一理ある。

 近年、「言論・表現の自由」のありがたさを感じない若者が増えていると大江健三郎は心配する。様々な角度から、18歳に引き下げる件は議論されて然るべきではないか。

 参議院選を控え、自民党が広告会社を巻き込み、「憲法改正キャンペーン」を展開してくることだろう。環境、人権、プライバシー保護を憲法に入れましょう。ちょっぴり集団的自衛権も。

一時的なムードに流されて憲法を改正してはいけない。護憲派団塊世代よ、若者たちと議論するために、今すぐ街へ出ようではないか!
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする