★軍隊を持たない国 3★
④ セントビンセント・グレナディンズ・・・「持続可能な開発」政策。
セントビンセント・グレナディンズ現代史の象徴となったのは、カリブ諸国の中でも最長の16年に及んだ政権を担ったジェームズ・ミッチェル元首相である。
ミッチェルは、1975年に新民主党を創建し、4回の総選挙で政権を獲得し、セントビンセントの議会制民主主義の確立に寄与した。
もともと農学専攻で「持続可能な開発」のための基礎となる戦略と政策を展開した。EU(欧州連合)や米国へのバナナの輸出交渉の先頭に立ち続けた。
ミッチェルの指導力によって、セントビンセントは独立を確保し、国際社会に参入できたとみなされている。
ミッチェル元首相の講演録『光の季節』(2001年)はセントビンセントの発展に関するメッセージとして広く読まれた。ミッチェルの時代は、政治的に安定し、経済開発も軌道に乗り始め、カリブ共同体においても主導力を発揮した時代であり、まさに「光の季節」であった。
しかし、ミッチェルは過去を「光の季節」と描いているのではなく、未来に向けていかに「光の季節」を実現するかに焦点を当てている。20世紀が終わり新しい世紀が始まったことは、カリブ諸国にも新しい挑戦をもたらしているとみる。
ラテンアメリカ各地の貧困の増大を無視するわけではなく、現実には暗黒の季節が覆っているからこそ、ミッチェルは若者たちに向けて「希望は創りだされねばならない。楽観主義こそが収穫されねばならない」と政治的遺言を残している。
独立21周年記念式典を引退の場に選んだミッチェルは、2,000年10月の演説で、人民の信頼、正しい判断、統合、目的への献身、希望を語り、人間的自由をそのもっとも純粋な形で実現するよう呼びかけている。
⑤ セントクリストファー・ネビス・・・島分離問題で防衛隊復活
セントクリストファー・ネビスは、セントクリストファー島とネビス島から成る。セントキッツ・ネビスとも呼ばれる。憲法にも両者が明記されている。セントクリストファー出身者をキティシャン、ネビス出身者をネビジャンという。
1998年8月、ネビス島分離問題をめぐる住民投票が行われた。ネビス島では、長年にわたって分離独立して主権国家になりたいとの主張が見られた。分離論者は自己決定権を主張した。60年代にすでに自己決定権確認要求が表明されていた。キティシャンによる支配と搾取に対する反発である。
分離反対論者は、固有の産業を持たない極小国家は経済的に維持し得ないと主張した。98年8月、住民投票の結果、分離賛成は61.7%であり、3分の2に届かなかった。連邦が維持されたが、分離論者は今後も住民投票を求めていくという。
独立前には防衛隊を保有していたが、81年に解体され、独立時にも軍隊を創設しなかった。ところが97年に防衛隊設置法が制定され、防衛隊が「復活」した。
防衛隊は70年代においても、97年以後においても、、ネビス島分離問題と密接に関わっている。
防衛隊は、67年国内治安維持目的で創設されたが、アンギラ島やネビス島分離問題への対策であった。アンギラ分離問題では67年5月に暴動が起きたので、警察を援助するため防衛隊が組織された。
アンギラ分離後は必要性がなくなったため
防衛隊は解体された。ところが、90年代後半にネビス島分離問題が浮上すると、政権は治安維持のため防衛隊を復活させた。