九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

オマーン戦に思う 文科系

2008年06月08日 22時06分56秒 | スポーツ
まずはじめに、昨日までの当ブログ1週間の人気状況確認を。
「アクセス人数1,199人、閲覧面数4,297面」
いずれも、過去最多数です。またまた、ご同慶の至り!

さて、オマーン戦です。
ジャパンは、「引かれて、カウンター狙いの戦法」をいつになったら崩せるのでしょうね? 同じ誤りを何回も繰り返すのは脳がなさ過ぎると、我慢強い僕もさすがもう、思うようになりましたよ。
敵が引いたときは、「その場合の点が入る確率」から作戦を考えるなんて論理的に当たり前のこと。その確率とは、
①中長距離シュートをも必ず打つこと。敵人数の前身面面積よりも、敵の上空も含めて空いている空間のが多いから入る確率も思ったよりもけっこう高いのだし、侵入・パス・シュートやピンポイント・パスからのシュートよりも、打つ機会がずっと多いはず。それに、何よりも敵をゴールから高い位置に剥がすためにも必須のはず。そして、これを気軽にやっておいてこそ、次も初めて生きてくる。

②敵が人数でくるのなら、こちらも人数をかけねばシュートと点の確率は高くならない。必要なときには、みんなでゴール前に殺到する意志一致をしておかなければいけない。岡田監督は「ピンポイントを狙うな」とは言っていたようだが、「前へ詰める」という、この意思統一を十分に図っていたとは思えない。だって、玉田は入るけど、他がみんな外にいるんだもの。

③②と①とを併用してこそ、「こぼれ球・シュート・得点」の確率も高くなるのだし、第一サッカーの得点なんて、セットプレー時も含めて「こぼれ球」的なものが一番多いのではないか。中長距離シュートからこぼれ球シュートなんて、しょっちゅうだと思うのだ。ただその直前まで、「みんなが詰める」のセオリーを守らなければ、「ごっちゃん得点」も来ない。
「ごっちゃん得点」といえども、「確率を計算して作るもの」ではないのか。それを日本は綺麗に崩そうとしすぎだと思う。中山雅史の得点なんて「偶然のように見える得点」が一番多かったのではないか。かれがそのように「確率を計算している」のだと思う。彼は凄くゴール前へ詰めますよね。
日本はなまじっかよく走るし、パス力があるのでそれに淡い期待を懸けすぎていると、僕は思う。

俊輔のようなパッサーがボールを持ったら、玉田だけでなく、松井も大久保も、近くにいたならば遠藤や長谷部も、ゴール前に詰める。これである。それも①を十分にやって敵をゴールから遠ざけておかなければ意味が半減する。

なんか腹が立ってきた。 
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昭和16年12月の東京地区の新聞など(保守系)

2008年06月08日 17時58分21秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
8日、大東亜戦争始まる。永井荷風は「余が余り足る電車乗客雑踏せるが、中には黄色い声を張り上げ、演説を為すものあり」、興奮した市民の日記を書きとめていいます。古川ロッパは「ラジオ屋の前は人だかりだ。切羽つまったのが、開戦と聞いてホットした」とあります。それでいて、9日に「日米開戦の為、落ち着きを失っている」と、多くの市民も同様であったのでしょう。戦争開始の趣意、「宣戦の大詔」は、ラジオで朝11時45分から放送され、新聞各紙には夕刊に掲載されました。それでいて、9日には、ロッパは「日米開戦の為に落ち着きを失っている」と日記にかいています。しかし、この趣意、「自存自衛の為」に戦争を始めたことをどの位の人が理解していたのか。市民の関心は、戦果に向けられ、10日水曜日には、後楽園で「米英撃滅国民大会が新聞8社の共同開催で行われて、熱狂する観衆が数万も集まったのです。しかもこの12月になって、アメリカ映画は、禁止になるのです。・・ロッパは12月20日、「熱海の町の夜はまるで灯火管制をなどしていない、熱海銀座は、あかあかと明るい」書いています。23日は「新橋演舞場に文楽を見に行く。・・千秋楽の文楽は大満員」、28日には、東宝劇場の「吉本芸道大会」をのぞく、大入り満員。ついでに日劇の金五楼一座も覗いているのです。そして、24日の読売新聞にも「銀座を見る敵性ぶりは、まだ相当なもので、・・これでも戦争をしているのかと疑われる」とあります。荷風は29日、「町の辻辻には戦争の物多く並べたり」とこれが当事の姿です。大晦日の12時から正月の4日まで警戒体制、除夜の鐘もなし。私は思いますが、アメリカ映画がやっと駄目になるのです。
私達が戦後見た映画「風と共に・・・」というのは、戦前に作成されたものです。
戦後、どっとアメリカ映画が入ってきたのでしょう。
これらの記事から見ると昭和20年以前の日本を、軍国時代と言うレッテルで張ってもいけないのかと私は、思います。私は、今年の年賀状で、戦前生まれですが戦前を知りませんという年賀状を書きました。
たまたま4月に大学時代のクラブの仲間と佐渡で会いました。食事も終わり、男女20人位で、様々な話しを車座になって話し合いました。その中に、満州に父親と居たのがいまして、ソ連軍が、強姦し、殺戮した場面を、覚えていて、それが今でも鮮明に覚えていると言っていました。トラウマに・・。
やはり戦前の日本を軍国日本と言って、国民は反対だったとなどしまってよいのか、一概にはいえないのでしょう。そうでなければ、あの戦争の意味が理解できないのです。あの戦争の意味を理解する所から、憲法も考える事なのでしょう。
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ブログの背景(テンプレート)変更について。       管理人

2008年06月08日 15時55分58秒 | Weblog
 当ブログの背景(テンプレート)を変更しました。

 今までの無地のテンプレートはデザイン加工してない生のものでした。シンプルで見易いといった長所があり採用しましたが、最近PX系のコンピュターの一部で
記事が大変探しにくくなるトラブルが発生していました。
 苦情もあり困っていましたが、投稿者の落石さんその他の方のアドバイスと協力によりテンプレート変更によって解決をすることが出来ました。
 
 文字はやや小さくなって見にくい点もありますが全体に明るく若々しいテンプレートにしてもらいました。

 今後益々の投稿、コメントなどよろしくお願いします。
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四川大地震は・・天と地が少数民族に(保守系)

2008年06月08日 01時51分16秒 | Weblog
私は、5月12日に靖国神社の行き、翌日の13日新幹線の中でテロップが流れました。耐震基準がないと・・。私は不謹慎にも笑ってしましました。あの奥地に耐震基準?が・・。あの地域は、チベット族などが住んでいた所です。
本来なら上海か北京に地震が起きれば良かったのです。昭和25年の朝鮮戦争の時期にチベットを侵略したのです。ダライラマは、悲しんでいるのでしょう。
地は地震で揺れ、天は、雨も降り、蒸し暑いのです。日本に自衛隊ですか、何故、シナは断るのでしょう?重慶の爆撃ですか、あれはもう遥か彼方の時代です。
あのシナの共産党は、結果、少数民族を地の手を借りて殺戮したことになります。
これが残念でなりません。あの国の発表数字は信用できません。
それにしてもと・・。北京オリンピックでは、チベットの旗はどうなるのでしょうか。日本の福田も駄目・小沢もシナ派、前首相安倍さんだけが湖?首相にクレームを付けたのは偉いのです。共産党は会ったのでしょうか?
コメント (2)
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