先進国中産階級の全体的没落対策、世界的格差・不均等発展の解消の課題は、本質的な世界的難問になっていると思う。こんなふうに。
世界が現在生み出している物、サービスを提供するだけならば、今の世界の労働者の何割かで済むという方向に、どんどん進んでいる。しかも、貧困国、貧困層にも必要な物品はどんどん買ってもらうようにしていこうという体制ではない分、なおさら世界が生産すべき物品、職場は少なくなっていくだろう。資本はその分、物作りから離れてマネーゲームに興じることになる。それが破綻したのが、サブプライムバブル弾けだといえるはずだ。
また、こういうグローバル化の中で激化する世界的競争のもとでは、一定の質の労働力を少なく使って、それが安い企業ほど利益が上がり、株価が上がる。つまり景気が良くなる。そういう企業が多い国ほど、税収も増え、社会的投資も出来ていく。中国やインドが日本の60年代みたいに土地・住宅バブルも伴いつつ急成長しているのは、もちろんそういうことらしい。
さて、今の経済の「世界的・自然史的過程」は以上のようなものなのだけれど、これをこうすれば改革可能であるという理論が現在存在しているのか。古い社会主義理論は「労働者は鎖以外に失う物はない」という一種の窮乏革命論を変革の理論とした。がこれは、自然史的理論のように見せながら、実際はそういうものではなかったと思う。この理論でも国家を掌握するという過程が不可欠であるのだが、事実国家を「掌握した」所も含めてどこでもこういう改革が上手くいかなかったからだ。古い理論ではどうも「労働者階級の国家」というように、「善なる国家はあり得る」とただ信じてきただけのようにも見える。そして現在では、1国家を掌握してもそういう改革が成功するわけではないとはっきりしてきたことも重なってくる。国家を超越したグローバル化の波が、「先進国の高賃金、高福祉維持」を許さないということだろう。「昔の英国病を見よ」とか「今のギリシャを見よ」とか「中国にどう対抗できるのか?」ということでもあるのだろう。
さて、こんな時英国生まれの「第3の道」が、暮らせる賃金への「平等」を唱えて立ち現れている。そこでは「機会の平等」が強調され、そんな本の最後には必ずこんな一節が設けられているはずだ。「グローバルガバナンス」と。今の世界で暮らせる賃金、「機会の平等」を生かせなかった人々への社会保障は、なんらか世界的にしか実現されはしないということだろう。世界資源の問題を見ても、地球環境の問題に臨んでも、人類はどんどんそういう方向、解決が迫られていると思う。が、こういう「まともな最低賃金ぐらいは平等に」という声を組織するような世界的潮流がなかなか見えてこない。
以上のような議論をこそ、僕は最近してみたいと思っている。いや、世界の心ある人々が真っ正面から最も語る必要があることではないだろうかと思う。世界のあそこでこんな議論、運動があるよなどと、ここでももっともっと紹介し合いたいと願っている。
グローバル化批判は、易しそうで難しい。ただ平等や友愛のようなことを感覚的に対置する断片的批判は大切ではあっても、それだけならば現実的な説得力を持たない夢みたいなものとも言える。このことを、今問題の国、ギリシャを振り返ることによって、示してみよう。
EUがギリシャをどうするかという問題は、世界最先端の本質的問題だと思う。背景にはドバイと同じように、サブプライムバブル弾けが存在するのだしして。
あの国では、デモやストライキがどんどん増えていくだろう。人々の抗議を招くような「解決策」しか出てきそうもないからである。ところで冷酷なようだが、それでどうなる? 誰が国家財政大赤字を助けてくれる? ドイツが? しかしそのドイツにしても、何ができる? サブプライムの後では、第2、第3のギリシャが必ず隠れているはずであって、いったんギリシャを救済したら、スペイン、ポルトガルなどと、もうキリがないはずだ。極端に言えば、赤字国家のやり得。そんな事を始めたら多分、EUは破綻だろう。ならばどうする? ギリシャをEUから放り出すしかない? こうして、倹約これ努めた「黒字国」だけのEUになる? そしてギリシャは自給自足と観光だけの国に?
グローバル資本主義の下でやっていかざるをえない以上、ギリシャの問題は日本の問題だ。日本の累積国家赤字はギリシャよりもはるかに多いだろうから。高齢者の貯蓄や外貨の蓄積があるから、危機感が薄いだけのことで。
こういう問題があるから、マスコミも民主党に辛いのだろうと最近思う。根本的長期的な国家財源問題、経済のグローバル化という現実を前にしての景気の出口問題が無ければ前へは進めないだろう。単に国家による貧困救済だけでは、根本的な出口にはならないということだ。
世界が現在生み出している物、サービスを提供するだけならば、今の世界の労働者の何割かで済むという方向に、どんどん進んでいる。しかも、貧困国、貧困層にも必要な物品はどんどん買ってもらうようにしていこうという体制ではない分、なおさら世界が生産すべき物品、職場は少なくなっていくだろう。資本はその分、物作りから離れてマネーゲームに興じることになる。それが破綻したのが、サブプライムバブル弾けだといえるはずだ。
また、こういうグローバル化の中で激化する世界的競争のもとでは、一定の質の労働力を少なく使って、それが安い企業ほど利益が上がり、株価が上がる。つまり景気が良くなる。そういう企業が多い国ほど、税収も増え、社会的投資も出来ていく。中国やインドが日本の60年代みたいに土地・住宅バブルも伴いつつ急成長しているのは、もちろんそういうことらしい。
さて、今の経済の「世界的・自然史的過程」は以上のようなものなのだけれど、これをこうすれば改革可能であるという理論が現在存在しているのか。古い社会主義理論は「労働者は鎖以外に失う物はない」という一種の窮乏革命論を変革の理論とした。がこれは、自然史的理論のように見せながら、実際はそういうものではなかったと思う。この理論でも国家を掌握するという過程が不可欠であるのだが、事実国家を「掌握した」所も含めてどこでもこういう改革が上手くいかなかったからだ。古い理論ではどうも「労働者階級の国家」というように、「善なる国家はあり得る」とただ信じてきただけのようにも見える。そして現在では、1国家を掌握してもそういう改革が成功するわけではないとはっきりしてきたことも重なってくる。国家を超越したグローバル化の波が、「先進国の高賃金、高福祉維持」を許さないということだろう。「昔の英国病を見よ」とか「今のギリシャを見よ」とか「中国にどう対抗できるのか?」ということでもあるのだろう。
さて、こんな時英国生まれの「第3の道」が、暮らせる賃金への「平等」を唱えて立ち現れている。そこでは「機会の平等」が強調され、そんな本の最後には必ずこんな一節が設けられているはずだ。「グローバルガバナンス」と。今の世界で暮らせる賃金、「機会の平等」を生かせなかった人々への社会保障は、なんらか世界的にしか実現されはしないということだろう。世界資源の問題を見ても、地球環境の問題に臨んでも、人類はどんどんそういう方向、解決が迫られていると思う。が、こういう「まともな最低賃金ぐらいは平等に」という声を組織するような世界的潮流がなかなか見えてこない。
以上のような議論をこそ、僕は最近してみたいと思っている。いや、世界の心ある人々が真っ正面から最も語る必要があることではないだろうかと思う。世界のあそこでこんな議論、運動があるよなどと、ここでももっともっと紹介し合いたいと願っている。
グローバル化批判は、易しそうで難しい。ただ平等や友愛のようなことを感覚的に対置する断片的批判は大切ではあっても、それだけならば現実的な説得力を持たない夢みたいなものとも言える。このことを、今問題の国、ギリシャを振り返ることによって、示してみよう。
EUがギリシャをどうするかという問題は、世界最先端の本質的問題だと思う。背景にはドバイと同じように、サブプライムバブル弾けが存在するのだしして。
あの国では、デモやストライキがどんどん増えていくだろう。人々の抗議を招くような「解決策」しか出てきそうもないからである。ところで冷酷なようだが、それでどうなる? 誰が国家財政大赤字を助けてくれる? ドイツが? しかしそのドイツにしても、何ができる? サブプライムの後では、第2、第3のギリシャが必ず隠れているはずであって、いったんギリシャを救済したら、スペイン、ポルトガルなどと、もうキリがないはずだ。極端に言えば、赤字国家のやり得。そんな事を始めたら多分、EUは破綻だろう。ならばどうする? ギリシャをEUから放り出すしかない? こうして、倹約これ努めた「黒字国」だけのEUになる? そしてギリシャは自給自足と観光だけの国に?
グローバル資本主義の下でやっていかざるをえない以上、ギリシャの問題は日本の問題だ。日本の累積国家赤字はギリシャよりもはるかに多いだろうから。高齢者の貯蓄や外貨の蓄積があるから、危機感が薄いだけのことで。
こういう問題があるから、マスコミも民主党に辛いのだろうと最近思う。根本的長期的な国家財源問題、経済のグローバル化という現実を前にしての景気の出口問題が無ければ前へは進めないだろう。単に国家による貧困救済だけでは、根本的な出口にはならないということだ。