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随筆 「死にちなんで」  文科系

2010年12月02日 12時40分46秒 | 文芸作品
 心臓カテーテル手術をやった。麻酔薬が入った点滴でうつらうつらし始めてちょっとたったころ、執刀医先生の初めての声。
「これからが本番です。眠っていただきます」
 ところがなかなか眠りに入れない。眠ったと思ったら、間もなく目を覚ます。痛い。するとまた、意識が薄らいでいくのだが、また覚醒。そんなことが3度ほど繰り返されたので、「痛いです」と声をかけた。執刀医の先生、かなり驚いて、なにか指示のような大声を出していた。
 さてそんなときずっと、いやに冴えている頭脳で、ある思いにふけっていた。大事故の可能性もある手術と意識していたからでもあろうか。手術自身はちっとも恐くなかったのだけれど、こんな事を考えていた。
「このまま死んでいっても良いな。死は、夢を見ない永遠の眠り、か」
 知らぬ間に生まれていたある心境、大げさに言えば僕の人生の一つの結実かも知れない、と。

 小学校の中頃友人を亡くして、考え込んでいた。「彼には永遠に会えない。どこにいるのだ」。ひるがえって「僕もそうなる」。それ以来自分が死ぬということを強く意識してきた。思春期に入って間もなくのころ、これが「永遠の無」という感じに僕の中で育っていって、何とも得体が知れぬ恐怖が始まった。この感じが寝床で蘇って、何度がばっと跳ね起きたことか。そんな時は、冷や汗までかいている有様。そして、こうなっていった。「人生はただ一度。あとは無」、これがその後の僕の生き方の羅針盤に。大学の専攻選びから、貧乏な福祉団体に就職したことも、かなり前からしっかり準備した老後の設計まで含めて、この羅針盤で生きる方向を決めてきたと言える。4人兄弟妹の中で、僕だけが違った進路を取ったから、「両親との諍い」が、僕の青春そのものにもなっていった。
 ふりかえると、こういう「症状」が、程度に波はあれ初老期までは続いていたと思う。
 ハムレットの名高い名台詞「生きるか、死ぬか。それが問題だ」でも、その後半をよく覚えている。「死が眠りであって俺のこの苦しみがなくなるとしたら大歓迎なのだが、この苦しみがその眠りに夢で現れるとしたら、それも地獄だし?」というような内容だった。この伝で言って、今の僕ははてさて、いつとはなしにこう変わってきている。
「夢もない永遠の眠り。それに入ってしまえば、恐いも何もありゃしない」

 どうして変わってきたのかなと、このごろよく考える。そして、ハムレットとは全く逆で、人生がかなり楽しめたからではないかという気がしている。特に老後が、設計した想定を遙かに超えるほどに楽しかったのが、意外に大きかったのかな。ギター、ランニング、同人誌活動、そしてこのブログ。これらそれぞれの客観的な出来はともかく、毎日全部に相当なエネルギーを費やすことができ、それぞれに熱中してきた。中でも、ギター演奏、「音楽」はちょっと別格だ。大げさに言うと、こんな感じかな。自身で音楽することには、いや多分自分の美に属するものを探り、創っていく領域には、何か魔力がある、と。音楽家にも画家にも極貧が多いが、みんなこの魔力にとりつかれた人々ではないか、とも。単身であばらや転居生活を続けて「方丈記」を書いた琵琶の名手・鴨長明は、晩年まで琵琶を手放さなかったな、とか。そういう連想が、このごろよく湧いてくる。
「何かに熱中したい」、「人が死ぬまで熱中できるものって、どんなもの?」若い頃の最大の望みであり、これが、仲の良い友だちたちとの挨拶言葉のようになっていたものだ。今は、そんな風に生きられているのではないのかなー。
コメント
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