今までの概容は、こうだ。
いろんなスポーツはやって来たが、健康のことを考えて59歳でランナーに転向し、これ専門に。有酸素運動の諸効能を重視してのことだった。酸素摂取能力の高さが僕の身体にもたらしていると考えられるものとして、こんなものがあげられる。ギターを3時間弾き通すような毎日でも、どこも痛めたことがない。ブログを3時間やり通しても、目が疲れないし、肩こりも腰痛もない。お酒も弱くなっていないし、毎日飲んでいても肝臓も悪くしたことがない。これらの効能を考えると、ランナーはどうしてもやめられない。ランナーを止めれば、生活スタイルを変えねばならぬような気がするのである。
さて、最初の公式記録は61歳直前のもので、10キロが49分22秒だった。走り始めて2年ほど経った時、不整脈が出始めた。初めはごくたまに、特別な急加速時などで200を越える頻脈が出始めた。よって、常時心拍型を着け、心拍を確認しながら走ることにする。こんな症状が出ても苦しくはないし、自覚症状も乏しいからである。この頻脈も、1分ほど休むと正常に戻り、また普通に走れるようになる。だましだまし走ったということだ。
66歳までは、ほぼ毎年の10キロレースを50~4分で走っていた。ただし、1レースに1~3回は、心拍200を越えて歩くということがあったかと思う。この頻脈の多さで記録が変わってきたと言ってもよく、おおむね時速12キロほどで走れていた。67~8歳は、ちょっと症状が進んだようなので、レースを控えて無理をせず、様子見の走りを続けた。やがて68歳(去年)の晩秋にレースを再開してみようということで、ちょっと追い込みをかけ始めた。1ヶ月ちょっとでかってない不整脈症状に進み、やがて本年新春、慢性心房細動の診断が下る。この手記連載は、こういう事態を全く予期していない昨年11月2日、追い込みをかけ始めた時から始まっている。勢い込んで書き始めたこの「手記」が、まさか手術を含めた闘病記にも換わるとは、思ってもみなかったことだ。以降、2月には第1回目の心臓カテーテル手術。効果はあったのだが完治はしていないということで、2回目の手術。この10月1日だった。いずれも、「もう一度走りたい」と医者に申し出て、進められたものだ。そして、完治。先先回10月16日と先回11月13日のこの「手記」は、その後の回復の様子を書いてきた。
さて、回復基調はさらに順調。日誌を拾うと、こんな調子だ。日に6000~9000歩の速歩き散歩が、3日に1度ほど。90往復ほどの階段登りが、週に1度ほど。そして、この24日、25日には散歩中に初めてそれぞれ1キロほど走ってみた。散歩や階段登りで走れる体力は何とか維持してきたから、心臓だけを心配しながら。その心臓もまったく異常はなさそうだった。無理をしない程度であるならば、辛うじてランナーではいられるのではないか。低速で良いから、心臓の疲れを見ながらほんの少しずつ距離を伸ばしてみたい。面白くなってきた。身体の回復とともに、ギターを長く弾いてもまた疲れなくなってきた。
前にも書いた、この「手記の意図」の一つを、改めて抜粋、加筆して、再掲させていただく。
【この手記、元々はまず不特定のランナー仲間を意識して書き始めたもの。だから、今となっては、次の目的も果たせようから、バックナンバーを載せておく。ランナーには心房細動が多いそうだ。仲間で同じ病気を抱えることになった方、どうか参考にして欲しい。
また、分かる限りどんな質問にも応じる。
その①11月2日、②3日、③8日、④12日、⑤28日、⑥12月8日、⑦21日、⑧1月18日、⑨30日、⑩2月11日 (⑪2月28日、⑫3月28日、⑬31日、⑭4月12日、⑮19日、⑯25日、⑰5月3日、⑱18日、⑲7月5日、⑳26日、㉑9月30日、㉒10月16日、㉓11月13日) 】
このブログでは、以上の全てを読むことができる。各々へのアクセスは、求める原稿の年月日でやるのが最も近道だ。右欄外の最下方に、このブログ誕生05年秋以来の年月を書いた欄がある。スクロールしながら必要な年月を探し出し、クリックする。すると、欄外最上方のカレンダーがその月のものに変わる。そのカレンダーの中からお求めの日をクリックすると、その日のエントリー(投稿原稿)が全て出て来る。よろしく。
いろんなスポーツはやって来たが、健康のことを考えて59歳でランナーに転向し、これ専門に。有酸素運動の諸効能を重視してのことだった。酸素摂取能力の高さが僕の身体にもたらしていると考えられるものとして、こんなものがあげられる。ギターを3時間弾き通すような毎日でも、どこも痛めたことがない。ブログを3時間やり通しても、目が疲れないし、肩こりも腰痛もない。お酒も弱くなっていないし、毎日飲んでいても肝臓も悪くしたことがない。これらの効能を考えると、ランナーはどうしてもやめられない。ランナーを止めれば、生活スタイルを変えねばならぬような気がするのである。
さて、最初の公式記録は61歳直前のもので、10キロが49分22秒だった。走り始めて2年ほど経った時、不整脈が出始めた。初めはごくたまに、特別な急加速時などで200を越える頻脈が出始めた。よって、常時心拍型を着け、心拍を確認しながら走ることにする。こんな症状が出ても苦しくはないし、自覚症状も乏しいからである。この頻脈も、1分ほど休むと正常に戻り、また普通に走れるようになる。だましだまし走ったということだ。
66歳までは、ほぼ毎年の10キロレースを50~4分で走っていた。ただし、1レースに1~3回は、心拍200を越えて歩くということがあったかと思う。この頻脈の多さで記録が変わってきたと言ってもよく、おおむね時速12キロほどで走れていた。67~8歳は、ちょっと症状が進んだようなので、レースを控えて無理をせず、様子見の走りを続けた。やがて68歳(去年)の晩秋にレースを再開してみようということで、ちょっと追い込みをかけ始めた。1ヶ月ちょっとでかってない不整脈症状に進み、やがて本年新春、慢性心房細動の診断が下る。この手記連載は、こういう事態を全く予期していない昨年11月2日、追い込みをかけ始めた時から始まっている。勢い込んで書き始めたこの「手記」が、まさか手術を含めた闘病記にも換わるとは、思ってもみなかったことだ。以降、2月には第1回目の心臓カテーテル手術。効果はあったのだが完治はしていないということで、2回目の手術。この10月1日だった。いずれも、「もう一度走りたい」と医者に申し出て、進められたものだ。そして、完治。先先回10月16日と先回11月13日のこの「手記」は、その後の回復の様子を書いてきた。
さて、回復基調はさらに順調。日誌を拾うと、こんな調子だ。日に6000~9000歩の速歩き散歩が、3日に1度ほど。90往復ほどの階段登りが、週に1度ほど。そして、この24日、25日には散歩中に初めてそれぞれ1キロほど走ってみた。散歩や階段登りで走れる体力は何とか維持してきたから、心臓だけを心配しながら。その心臓もまったく異常はなさそうだった。無理をしない程度であるならば、辛うじてランナーではいられるのではないか。低速で良いから、心臓の疲れを見ながらほんの少しずつ距離を伸ばしてみたい。面白くなってきた。身体の回復とともに、ギターを長く弾いてもまた疲れなくなってきた。
前にも書いた、この「手記の意図」の一つを、改めて抜粋、加筆して、再掲させていただく。
【この手記、元々はまず不特定のランナー仲間を意識して書き始めたもの。だから、今となっては、次の目的も果たせようから、バックナンバーを載せておく。ランナーには心房細動が多いそうだ。仲間で同じ病気を抱えることになった方、どうか参考にして欲しい。
また、分かる限りどんな質問にも応じる。
その①11月2日、②3日、③8日、④12日、⑤28日、⑥12月8日、⑦21日、⑧1月18日、⑨30日、⑩2月11日 (⑪2月28日、⑫3月28日、⑬31日、⑭4月12日、⑮19日、⑯25日、⑰5月3日、⑱18日、⑲7月5日、⑳26日、㉑9月30日、㉒10月16日、㉓11月13日) 】
このブログでは、以上の全てを読むことができる。各々へのアクセスは、求める原稿の年月日でやるのが最も近道だ。右欄外の最下方に、このブログ誕生05年秋以来の年月を書いた欄がある。スクロールしながら必要な年月を探し出し、クリックする。すると、欄外最上方のカレンダーがその月のものに変わる。そのカレンダーの中からお求めの日をクリックすると、その日のエントリー(投稿原稿)が全て出て来る。よろしく。