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核保有は道徳的行為である?  らくせき

2010年12月30日 13時37分28秒 | Weblog
核保有は道徳的行為である。

今日の『正論』の広告・キャッチコピーです。
田母神さんのコトバです。

多分、核武装といいたかったのでしょうが、
そこは自制したのかな?

         

田母神さんたちの論理はこうです。

弱肉強食の現実を見よ。世界の現実はこうなっている。

いわく、国の安全をまったきものにするには、戦争に備える必要がある。
軍備も最新のものしておく必要がある。
周辺国の動向に警戒の目を配ること。
隣国の侵略意図を事前にくじくために訓練を怠りなくすべきである。

いわく、国の名誉のためには命もいとわない。
国の名誉を辱めるものには一致して当たる。
国益のためなら、粗悪品でも国産品で我慢する。
仮想敵国の不幸は喜ぶ。

でもちょっと目を開いて見てください。
これって、もう実践している国が、すぐ近くに存在していませんか?

そして核武装は道徳的行為である、まさにしかり。
これが正しいのなら、すぐ近くの某国こそ道徳的な国では?

         

現実は、理想を捨てて、見習うべきものでしょうか?
理想を軽蔑するものは、軽蔑される現実しか作り出せないのでは?



コメント (3)
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日本記者クラブ、この暗黒の権力者(後編)  文科系

2010年12月30日 07時52分25秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 昨日の続きを掲載する。

【 フリー記者の畠山理仁氏は「開かれた記者会見」を目指して、数年間にわたって各省庁の記者クラブとの交渉を続けてきた。日本最強のカルテル集団である記者クラブとの交渉は悪戦苦闘を極めた。
 記者クラブに直接話しかけても相手にされないかスカされるだけだ。畠山氏は非常手段として大臣の記者会見で「記者クラブ問題」をよく追及する。
 総務大臣の記者会見では10日、17日と連続して片山善博大臣に「記者会見に出られる人と出られない人の基準は何か?」と質問した。
 21日にはこんな質問をした。「掲示板の(A4用紙)発表事項を撮影したら記者クラブの受付嬢(広報課スタッフ)から『画像を削除して下さい』と言われた。それ(発表)は機密事項なのか?」。

 世界のどこにもないような取材規制だ。記者クラブによる規制はことほどさように些細なことにまで及ぶのである。唖然として次にバカバカしくなる。
 まだ内戦が続いていたスリランカの高度警戒区域で写真を撮っていた時のことだった。同区域は軍が指定したもので「写真撮影禁止」の看板が数十メートルおきに立っている。
 案の定、軍の警備隊に見つかった。シンハラ語で怒鳴りあげられパスポートを取られた。それでも「映像を削除しろ」などとは言われなかった。ワンカットたりとも失うことなく無事日本に持ち帰ることができたのである。

 記者クラブは、世界の人権団体が糾弾するスリランカ軍事政権にもまさる弾圧機関と言えよう。

話を元に戻そう―
 片山大臣の回答は3回とも「両者(記者クラブとフリー記者)でよく話し合って下さい」ということだった。
 片山大臣から突き放された10日(1回目)の記者会見の後、畠山氏は記者クラブに幹事社を訪ねた。幹事社からは「忙しいので追って沙汰する」と言われ相手にされなかった。
 山芋のように粘り強い畠山氏が17日に2回目の質問をしたところ、携帯電話に総務省の記者クラブ幹事社から連絡が入った。「フリー記者の方々のお話を聴きたい」と。
 畠山氏は早速、ツィッターやメールで仲間のフリー記者たちにそれを報せた。
 “記者クラブそれも幹事社様がフリー記者やネット記者の話を聞いて下さる” 筆者は天にも昇る思いだった。身に余る光栄だった。でも不安だった。思うところをそのまま言上しようものなら「無礼者!」とお叱りを頂戴しないだろうか。椅子以下のフリー記者は斬り捨て御免だ。

 お手打ちに遭っても恥ずかしくないように、筆者は新しいパンツにはき替えて総務省に向かった・・・。

 記者クラブ幹事社による事情聴取は21日、片山総務大臣記者会見の後行われた。聴取に応じたのは畠山理仁氏、上杉隆氏はじめ6人のフリー記者。

 「任意の聴取」と告げられていたが“油断してはならない”と肝に銘じた。お手打ちに遭っても闇に葬られるだけだ。警察、検察は記者クラブと身内の関係にあり、フリー記者が6人程度行方不明になっても捜査に乗り出すようなことはない。実際、警察幹部から「フリージャーナリストなんてのはなあ、銀バエと同じなんだよ」と言われたフリー記者もいる。
 我ら6人が消えても世間は知りようがない。記者クラブがフリー記者による動画中継を禁止しているからだ。とにかく生きて帰ることだけを考えた。

 聴取が始まった。幹事社のX社・A氏とY者・B氏の2人は至って誠実そうな人柄だった。「ご要望はなんでしょうか?」と丁寧に聴いてきた。畠山氏が記者会見で記者クラブの非常識(記者クラブにとっては常識)を幾度も大臣に質すため座視できなくなったのだ。
 フリー記者側からの要望は大きく分けて二つだった。「動画中継を認めてほしい」「記者会見出席の登録にあたって制限をなくしてほしい」。大臣への質問と同じ内容である。
 動画中継はほぼ1年前から畠山氏が要望してきたものだ。ところがA氏B氏共に「それは聞いていない」というのだ。前の幹事社から引き継がれていないのである。別段驚きはしなかった。幹事社は2~3ヶ月ごとに交代するが、その際の引継ぎ事項とならないのだ。
 畠山氏は何年も前から各省庁の記者クラブに記者会見のオープン化を求めてきた。返事は決まって「クラブ総会にかけないと・・・」だ。そこでクラブ総会の結論を聞こうとすると幹事社が交代している。これが畠山氏と記者クラブとの交渉の歴史だ。歴史というには余りにも内容が空疎すぎて悲しくなるではないか。
  幹事社交代は彼らにとって実に都合のよい「消去装置」だ。X社とY社の幹事社の任期は12月末までという。任期が残り10日になったところでフリー記者側の要望を聞く。返事をしなくても済む。次期幹事社に回答を求めても「聞いていない」だ。
 筆者はそれを見越して次のように迫った。「おふたり(X社のA氏、Y社のB氏)が幹事社のうちに回答を頂けませんか?1年間『聞いていない』で通されたんだから次の幹事社が回答するとは思えない」
 A氏が「クラブ総会にかけてからでないと・・・」と苦しそうに答えた。総会は28日に開かれるそうだ。各社の見解は「会社に持ち帰ってから」となる。会社の上司に相談もしないだろう。したとしても「ダメだ」ということになるのは必定だ。

 来月からは新しい幹事社となる。こちらが返事を聞きに行っても「聞いていない」あるいは「要望は認められない」と答えられるのがオチだ。要望が却下された理由を追及すると「クラブ総会で決まったから」となる。絵に描いたような光景が目に浮かぶ。

 最近、筆者は思うようになった――
「記者クラブ総会」とは国権の最高機関である。憲法改正だって可能かもしれない。】 
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