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太平洋戦争と天皇   文科系

2012年12月09日 20時26分51秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 訳の分からないコメントがあったので、過去ログから以下の拙稿を再掲する。戦前日本についてこんな内容を持ったコメントである。
『専制主義や独裁主義が民主主義の反対概念なのである。歴史上、日本には専制国家、独裁国家であった期間がほとんどない。第二次大戦中も決してそうはなっていない。』
 歴史的事実のことは歴史学者に、それもその時代の専門家に聞くのが一番と思う。反論するなら以下の「歴史的事実」をきちんと否定するような、「この時代専門の歴史学者」の文献による反論を期待する。専門以外なら、どんないい加減な売文、狂信文を書いても名を落とすことはない時代らしく、なんでも書けるのだ。裁判などを見ても分かるとおりで、最近起こった事実の確定ですら恐ろしく難しいもの。ましてや歴史的事実の確定は、膨大な資料を漁ってもなお難しいのであるから。


【 太平洋戦争、右翼のデマに(番外編 その2)  文科系  
  2010年11月22日 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

太平洋戦争と天皇
 表記のことについて、右翼の方々はこのブログでもこのように語られてきた。天皇の統治権は形式的なものであって、戦争政策においても実際に何かを決めたというわけではない、と。そのことについてこの本(岩波新書日本近現代史シリーズ10巻のうち、その6「アジア・太平洋戦争」、著者は、吉田裕・一橋大学大学院社会学研究科教授)はどう書いているか。それをまとめてみたい

1 軍事法制上の天皇の位置 「統帥権の独立」
『統帥権とは軍隊に対する指揮・命令の権限のことをいうが、戦前の日本社会では、大日本帝国憲法(明治憲法)第11条の「天皇は陸海軍を統帥す」という規定を根拠に、この統帥権は天皇が直接掌握する独自の大権であり、内閣や議会の関与を許さないものと理解されていた。
 明治憲法上は、立法権、行政権、外交権などの天皇大権は、国務大臣の輔弼(補佐)に基づいて行使されることになっており、統帥権だけが国務大臣の輔弼責任外にあるという明文上の規定は存在しない。それにもかかわらず、天皇親率の軍隊という思想の確立にともない、制度面でも統帥権の独立が実現されてゆく。1878(明治11)年の参謀本部の陸軍省からの独立、1893(明治26)年の軍令部の海軍省からの独立、1900(明治33)年の陸海軍省官制の改正などがそれである』
『一方、参謀本部と軍令部(統帥部と総称)は、国防計画・作戦計画や実際の兵力使用に関する事項などを掌握し、そのトップである参謀総長と軍令部総長は、陸海軍の最高司令官である「大元帥」としての天皇をそれぞれ補佐する幕僚長である。この場合の補佐は、国務大臣の輔弼と区別して輔翼とよばれる。国務大臣は、憲法に規定のある輔弼責任者だが、参謀総長・軍令部総長は、憲法に明文の規定がない存在だからである。
 軍事行政と統帥の二つにまたがる「統帥・軍政混成事項」については陸海軍大臣が管掌したが、国務大臣としての陸海軍大臣も統帥事項には関与できないのが原則であり、参謀本部・軍令部は、陸軍省・海軍省から完全に分立していた。以上が統帥権の独立の実態である』

2 「能動的君主」としての天皇
9月6日決定の「帝国国策遂行要領」
『統帥に関しては、「能動的君主」としての性格は、いっそう明確である。天皇は、参謀総長・軍令部総長が上奏する統帥命令を裁可し、天皇自身の判断で作戦計画の変更を求めることも少なくなかった。また、両総長の行う作戦上奏、戦況上奏などを通じて、重要な軍事情報を入手し、全体の戦局を常に把握していた(山田朗『大元帥 昭和天皇』)。通常、統帥権の独立を盾にして、統帥部は首相や国務大臣に対して、重要な軍事情報を開示しない。陸海軍もまたお互いに対して情報を秘匿する傾向があった。こうしたなかにあって、天皇の下には最高度の軍事情報が集中されていたのである』
 そういう天皇であるから、重大な局面ではきちんと決断、命令をしているのである。本書に上げられたその実例は、9月6日御前会議に向けて、その前日に関係者とその原案を話し合った会話の内容である。まず、6日の御前会議ではどんなことが決まったのか。
『その天皇は、いつ開戦を決意したのか。すでに述べたように、日本が実質的な開戦決定をしたのは、11月5日の御前会議である。しかし、入江昭『太平洋戦争の起源』のように、9月6日説も存在する。この9月6日の御前会議で決定された「帝国国策遂行要領」では、「帝国は自存自衛を全うする為、対米(英欄)戦争を辞せざる決意の下に、概ね10月下旬を目途とし戦争準備を完整す」ること(第1項)、「右に並行して米、英に対し外交の手段を尽くして帝国の要求貫徹に努」めること(第2項)、そして(中略)、が決められていた』
 さて、この会議の前日に、こういうやりとりがあったと語られていく。

前日9月5日、両総長とのやりとりなど
『よく知られているように、昭和天皇は、御前会議の前日、杉山元参謀総長と水野修身軍令部総長を招致して、対米英戦の勝算について厳しく問い質している。
 また、9月6日の御前会議では、明治天皇の御製(和歌)、「四方の海みな同胞と思ふ世になど波風の立ちさわぐらむ」を朗読して、過早な開戦決意を戒めている。
 ただし、天皇は断固として開戦に反対していたわけではない。海軍の資料によれば、9月5日の両総長による内奏の際、「若し徒に時日を遷延して足腰立たざるに及びて戦を強ひらるるも最早如何ともなすこと能はざるなり」という永野軍令部総長の説明のすぐ後に、次のようなやりとりがあった(伊藤隆ほか編『高木惣吉 日記と情報(下)』)。
 御上[天皇] よし解つた(御気色和げり)。
 近衛総理 明日の議題を変更致しますか。如何取計ませうか。
 御上 変更に及ばず。
 永野自身の敗戦直後の回想にも、細部は多少異なるものの、「[永野の説明により]御気色和らぎたり。ここに於いて、永野は「原案の一項と二項との順序を変更いたし申すべきや、否や」を奏聞せしが、御上は「それでは原案の順序でよし」とおおせられたり」とある(新名丈夫編『海軍戦争検討会議議事録』)。ここでいう「原案」とは、翌日の御前会議でそのまま決定された「帝国国策遂行要領」の原案のことだが、その第一項は戦争準備の完整を、第二項は外交交渉による問題の解決を規定していた。永野の回想に従えば、その順番を入れ替えて、外交交渉優先の姿勢を明確にするという提案を天皇自身が退けていることになる』
 こうして前記9月6日の「帝国国策遂行要領」は、決定された。つまり、対米交渉よりも戦争準備完整が優先されるようになったのである。続いて10月18日には、それまで対米交渉決裂を避けようと努力してきた近衛内閣が退陣して東条内閣が成立し、11月5日御前会議での開戦決定ということになっていく。この5日御前会議の決定事項とその意味などは、前回までに論じてきた通りである。】
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新聞の片隅に載ったニュースから(66)    大西五郎

2012年12月09日 09時30分04秒 | Weblog
新聞の片隅に載ったニュースから(66)

    旧太陽の党に2900万円 政党交付金(2012.12.8 日経新聞)
 総務省は7日、日本維新の会に合流した旧太陽の党に、政党助成法に基づく特定交付金として2896万3909円の交付を決めた。特定交付金は政党要件を満たさなくなった政治団体に、政党だった期間の分の政党交付金を配る制度。
 旧太陽は11月13日、石原慎太郎前東京都知事を代表に、たちあがれ日本を衣替えして結党、4日後に維新と合流した。
 政党交付金は4、7、10、12月に交付する。旧たちあがれは今年、10月交付分(7~9月)まで受取っていた。政党交付金は月割りで計算するため、今回は旧たちあがれと旧太陽が政党要件を満たしていた10~11月の2カ月分を受取る。

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 政党交付金(助成金とも呼ばれる)はリクルート事件やゼネコン汚職事件などで、企業などから政治家への資金提供が問題視されたため、企業・労働組合・団体などから政党・政治団体への政治献金を制限する代わりに政党助成法が制定され、それに基づいて支給されるものですから、政党の政冶活動を円滑に行なえるようにするためのものです。
 各政党への政党交付金の額はその政党の国会議員数と直近の国政選挙の得票率によって算出されます。太陽の党は橋下大阪市長が主宰する日本維新の会と合流したのですから、太陽の党のメンバーだった議員は12月分からは日本維新の会の交付金算出の基礎となる党員数に数えられます。
しかし、たった4日間しか存在しなかった政党(太陽の党)に3000万近い政党交付金が支給されるとは!? また旧太陽の党は交付された金をどのように使うのでしょう?まさか旧メンバーの5人が頭割りでポケットに入れるんじゃないでしょうね。
今年4月に決められた2012年度の政党交付金の総額は320億円です。このうち一番議員数の多かった民主党に165億430万円が、自民党に101億5400万円が割り当てられました。民主党は議員の離党が相次ぎましたが、その分は減額されるのでしょうか。
交付金の財源は国民が納めた税金から国民1人当たり年間250円分が振り向けられます。どの政党を支持していようが、支持していまいが(最近の世論調査では「支持政党なし」層が増えています)、強制的です。このため思想信条の自由を侵すという批判もあります。
また、政党交付金は、企業などからのひもの付きやすい献金を減らす目的でもうけられましたが、政党への企業・団体献金は一向に減らず、議員の政冶パーティーも従来通りです。
今度の選挙では、「消費税を増税する前に、議員自らが身を切る覚悟を示せ」ということが云われ、議員定数の削減、それも国民の意思を民主的に反映しやすい比例定数を減らすことが論議されていますが、議員や政党が身を切るならば、政党交付金の返上こそが身を切ることを国民に示す一番分かりやすい方法だと思いますが、議員の皆さんはどう思いますでしょうか。
太陽の党への3000万円近い特別交付金のニュースを見てこのようなことを考えました。
                                       大西 五郎
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