九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

新聞の片隅に載ったニュースから(67)  大西五郎

2012年12月15日 16時29分00秒 | Weblog
新聞の片隅に載ったニュースから(67)

 9条あるから同胞殺される 石原氏、拉致問題巡り発言(2012.12.13 朝日新聞)
 日本維新の会の石原慎太郎代表は12日、福岡市内の街頭演説で「憲法9条があるからこそ、私たちは、多くの同胞をさらわれて殺されても抗議して取り返すことができない」と訴えた。石原氏は憲法破棄を持論とし、自主憲法を制定する必要性を強調したものだ。
 石原氏は日本人拉致問題について「北朝鮮にすれば、日本の憲法を見たら『あいつら絶対に戦争しない』と思っていると指摘。「世界に約束しているから、(北朝鮮は)勝手気ままに日本人を連れて行って殺されている」と語った、
 これに対し、維新幹事等の松井一郎大阪府知事は12日夜、記者団に「まず憲法96条を変えないと、9条は変えられない」と説明。改憲要件の緩和を優先させる考えを示すにとどめた。

□□――――――――――――――――――――――――――――――――――――――□□

9条があるからこそ、これまで一人も殺さず、殺されたりせず
 すごい論理の飛躍です。石原氏は「日本国憲法はアメリカが占領に都合のいいように日本に押し付けたものだ。だから破棄しなければならない」と主張しています。ならば、アメリカがイラク戦争を始めた時、ブッシュ大統領(当時)の呼びかけがあったにもかかわらず、日本は自衛隊を戦闘要員としてではなく、民生支援の活動に限って派遣しました。もし戦闘要員としてイラクへ派遣していたら、何人かのイラク兵や市民を殺していたかもしれません。あるいはイラク軍と戦火を交え、その結果として何人かの犠牲者を出していたかもしれません。PKO法は武器の使用は正当防衛の時などと厳重に制限しています。9条があるからこそ、世界は日本を平和国家だとして付き合ってきてくれました。こういう事実を石原氏はどう考えているのでしょうか。
日本国憲法は日本人の手で作られたもの
 石原氏はアメリカからの押し付け憲法だといいますが、原案は東大教授の高野岩三郎氏、広島大学学長から文部大臣になった森戸辰男氏、後に愛知大学教授になる鈴木安蔵氏らの憲法研究会が作った「憲法草案要綱」が元になっています。GHQはこの案を高く評価してGHQ案を作り、日本の国会が現行の日本国憲法に仕上げました。
日本国憲法は世界の叡智と経験の結晶
 今年のノーベル平和賞にEUが選ばれました。戦禍の絶えなかったヨーロッパで宿敵同士のフランスとドイツが共同で鉄鋼・石炭公社を作ったことがきっかけで、ECCができ、EUにつながり、国の垣根を無くすことで平和をもたらしたことが受賞理由です。第一次世界大戦の後、パリ不戦条約ができましたし、国際連盟、國際連合という機構もできました。戦争の経験に学んで、武力を行使しないで平和を追求するという人類の知恵が、日本国憲法の基礎になっています。
 石原氏の「力で相手に撃ち勝つ」という主張は、戦争を招きます。今世界中に九条運動が広がっています。アメリカで9条の会が、カナダのバンクーバに、韓国に、スリランカに。パリの学生の間でも検討されています。スペイン領カナリア島で9条の条文を刻んだ碑が立っています。
「9条があるから殺される」のではなく、「9条こそが平和の基礎」なのです。
                                       大西 五郎
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦前の戦争「勢力」  文科系

2012年12月15日 10時46分49秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 表題のこととして、東条英機首相への国家社会の熱狂ぶりを写した拙稿を再掲させていただきます。こうした雰囲気の元に戦争が作られていくという一つの例として。戦争は、誰か諸個人の悪巧みが作り出すというようなものではなく、世界恐慌から始まったかろうじて生きていくためだけで人々、諸団体、諸国家などが抱えるいろんな諸困難の「解決方向」が特に対立を繰り返したりして重なり合って、「気づいてみたらそこに来ていた」というようなものだと思ってきました。そういうときの人間って、なんと愚かなものかという、以下はその見本になると思います。

 
 ”東条英機首相への熱狂ぶりと、その源泉”  文科系
   2010年11月24日 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
はじめに
 本日ネット虫さんが興味深い記事を載せて下さった。41年12月8日、この日を当時の子どもがどう覚えていたか。これを一気に読んで、すぐに表記の記事を書こうと、僕は思い立った。当時の子どもたちの心にさえ深く刻み込まれた「戦争への感動」、その象徴的存在であった東条首相への熱狂ぶりについて書いてみようと。僕の同人誌にも軍国少年、軍国少女がお一人ずついらっしゃる。お二人とも、その後の人生はなかなか優秀だったろうとお見受け出来る方々である。今は多分、その正反対の人生観をお持ちのはずだが。
 東条英機は、A級戦犯の象徴的存在。41年12月8日開戦時の首相にして内相であって、陸軍大臣までを兼務した、現役の陸軍大将である。また、陸軍参謀総長も兼任していたから、大元帥・天皇の大本営の幕僚長でもあった。彼の前歴には、関東軍憲兵隊司令官というものもあった。満州国の治安の要に位置する機関であって、35年9月から37年2月のことである。娑婆、「地方」(軍隊は軍隊の外の世界をこう呼んだのでした)、世相にも、よく通じているのである。
 彼は、天皇の信任は篤く、水戸黄門まがいの「民衆査察」を行い、ラジオ、新聞を上手く使って民心を躍らせ、掌握した。ヒットラーにも劣らないその掌握術を、ご紹介したい。種本は例によって、岩波近現代史シリーズ10巻本の第6巻「アジア・太平洋戦争」。この巻の著者は吉田裕・一橋大学大学院社会学研究科教授である。【 】がほとんどであるが、ここからの抜粋を示している。 

1 人々の東条支持熱
 その人気は、一時の小泉旋風などという次元のものではない。戦争の英雄たちの、そのまた大元締、空前絶後の国民的大英雄なのである。そういう大英雄が、マスコミによって実に身近な存在に描かれるところがまた、お見事というほかはない。
 【 東条首相は、各地で国民に熱烈に歓迎された。42年7月27日、大阪の中央公会堂で開催された「大東亜戦争完遂国民総力結集大講演会」の折には、講演を終えて退場する東条首相を熱狂した群衆がとりかこんだ。28日付の『朝日新開』は、その場の状況を、「熱狂した数千の聴衆は帽子、扇子を打ち振り打ち振り、〃万歳々々″と歓声をあげ、(中略)あつといふ間に東条さんを取り囲む。「しつかりやります、やりますとも」「米英撃滅だ、東条閣下お願ひします」「東条首相万歳」と群がる市民は熱狂して全く感激のるつぼだ」と報じている。これが誇張でないことは、同日の首相秘書官の記録に、「公会堂発」、「総理自動車会衆の圧倒的歓迎に取り囲まれ約十分、会衆の中を徐行す」とあることからもわかる(伊藤隆ほか編『東条内閣総理大臣機密秘録』東京大学出版社1990年)。
 さらに、東条に関するすぐれた評伝をまとめた作家の保阪正康も、この頃の東条について、「東京・四谷のある地区では、東条が毎朝、馬に乗って散歩するのが知れわたり、その姿を一目見ようと路地の間で待つ人がいた。東条の乗馬姿を見ると、その日は僥倖に恵まれるという〈神話〉が生まれた」と書いている。東条は、一般の国民にとって、「救国の英雄」だった(保阪『東条英機と天皇の時代(下)』) 】

 当時、東条報道を新聞がどう行ったかもなかなか興味深い。【例えば、42年8月18日付の『読売報知』は】として、こんなことが抜き出されていた。
【 「忙中忙を求める東条さん」、「割引市電で街の視察 鋭い観察力と推理力の種は正確なメモ 拾った民情必ず”決済”」という見出しの記事を掲載し、「キビキビした政務の処理、そして電撃的な民情視察・・・国民は曾てこれほど”首相”を身近に感じたことはなかった。・・・とにかく、そこに新しい一つの”指導者の形”が打ち出されているのは確かだ」と論じている 】

2 民心操縦術
【 総力戦の時代は、多数の国民の積極的な戦争協力を必要不可欠なものとする。そうした時代にあっては、力強い言葉と行動で、直接国民に訴えかけるタイプの指導者が求められる。東条は、そのことをよく理解していた。43年9月23日、東条は側近に次のように語っている(伊藤隆ほか編『東条内閣総理大臣機密秘録』東京大学出版社1990年)
  国民の大多数は灰色である。一部少数の者が批判的言動を弄するものである。そこで国民を率いてゆく者としては、此の大多数の国民をしっかり摑んでぐんぐん引きずつてゆくことが大切である。大多数の灰色は指導者が白と云へば又右と云へばその通りに付いてくる。自然に白になる様に放つておけば百年河清を待つものである。
 東条の芝居がかったパフォーマンス、特にたびかさなる民情視察は、識者の反発と顰蹙をかった。特に、東条が住宅街のゴミ箱をチェックしてまだ食べられるものや再生可能なものが捨ててあると非難したことは多くの国民の失笑をかった。首相として他にやるべきことはないのかという批判である 】

3 政治的力の源泉、宮中工作など
 マスコミ総動員で作ったこういった東条の「表の顔」の他に、政治家としての裏の顔があるのもまた当然。
 【 政治資金の面でも、東条首相は有利な立場にあった。陸相として陸軍省の機密費を自由に使うことができたからである。この点については、いくつかの証言がある。例えば、元陸軍省軍務局軍事課予算班長の加登川幸太郎は、「何に使ったかわからんけど、東条さんが総理大臣になった時、(中略)三百万円という機密費三口を内閣書記官長に渡せ、と来るんだね。(中略)あの頃二百万円あったら飛行機の工場が一つ建ったんだから」と回想している(若松会編『陸軍経理部よもやま話』)。 (文科系による中略)
 なお、臨時軍事費中の機密費の支出済額をみてみると、42年段階で、陸軍省=4655万円、海軍省=2560万円、44年段階で、陸軍省=1億2549万円、海軍省=1865万円であり、陸軍省が機密費を潤沢に使用していたことがわかる。
 東条首相の政治資金の潤沢さについては、44年10月15日に、反東条運動の中心となっていた政党政治家の鳩山一郎が、近衛文麿と吉田茂(戦後の首相)との会談の中で語っている内容が参考になる。同席していた細川護貞は、その内容を次のように記録している(『細川日記』)。
  一体に宮内省奥向に東条礼賛者あるは、附け届けが極めて巧妙なりし為なりとの話〔鳩山より〕出で、例えば秩父、高松両殿下に自動車を秘かに献上し、枢密顧問官には会毎に食物、衣服等の御土産あり、中に各顧問官それぞれのイニシアル入りの万年筆等も交りありたりと。又牧野〔伸顕元内大臣〕の所には、常に今も尚贈り物ある由。
 この後、鳩山は、「東条の持てる金は16億円なり」と語り、近衛は東条の資金源は、中国でのアヘンの密売からあがる収益だと指摘している。アヘン密売との関係については確証がないが、46年7月の国際検察局による尋問の中で、近衛の側近の富田健治が、東条はアヘン売買の収益金10億円を鈴木貞一陸軍中将(興亜院政務部長)から受けとったという噂があると指摘している。興亜院は、アヘンの生産と流通に深くかかわった官庁である。皇族への「附け届け」については、史料的に確認することができる。42年12月月30日付の「東久邇宮稔彦日記」に、「この度、陸軍大臣より各皇族に自動車をさし上げる事となれり」とあり、この日、東久邇宮のところには、陸軍省関係者から、アメリカ製の自動車が届けられているからである 】 


 イラク戦争直前のアメリカもこうだったということを思い出す。「世界的暴力集団への正義の味方アメリカの鉄槌、いよいよ繰り出されんとす!」と、国中が沸き立っていたのだ。何年か後のこの結末がこうだ。しょぼんとしたブッシュ大統領がこう語っていたのをテレビで見たことがある。「大量破壊兵器がなかったなんて、私は全く知らなかった」。この二つ、何という落差だろうか。ブッシュの言葉もおそらく真実なのだろうと思われて。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大人の選択を     らくせき

2012年12月15日 10時11分35秒 | Weblog
朝鮮日報がこんな記事を載せています。

「私は幸い戦争で死なず、今も生きている。
(日本が極右化する中)私が何もせずにこのまま死んだら、
戦友たちに対する罪を犯すことになる」

 16日に投開票を迎える衆議院議員選挙に、
参戦経験のある94歳の男性が自身の葬儀費用をつぎ込み、
無所属で立候補した。
AFP通信が14日報じた。
今回の立候補者のうち最高齢で、戦争を禁じる平和憲法を
守るために出馬したという。

戦争を体験した人がこんな危機感を持つほど
今の日本はヘンなんでしょうか?

耳にここちよいフレーズには落とし穴があるのは
消費社会の常識。(政治も消費化されているので同じ)
そんな言葉に騙されないくらいの判断力は
今の日本国民にはあると思います。

あの世でマッカーサーに笑われない選挙を。







コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とりあえず事実だけ                    あんころもち

2012年12月15日 01時45分33秒 | Weblog
 以下は時事通信が伝えたものです。

 《日本未来の党の小沢一郎氏は14日夜、国会周辺で毎週金曜日に行われている原発再稼働に抗議するデモに参加した。
 未来は衆院選の公約の柱に脱原発を掲げている。小沢氏は国会正門前に集まったデモの参加者を前にマイクを握り、「この総選挙において脱原発の声は必ずしも広がっていない。私どもは多勢に無勢の中で一生懸命、脱原発で頑張っている」と語り、未来への支持を訴えた。》

 「未来」は、小沢氏を選挙戦の真正面に据えることをついにしなかったようだ。
 彼に付与された「ダーティなイメージ」のマイナス効果を恐れたのだろうか。
 私としては、彼の今回の選挙に際しての明確な言明を聞きたかった。

 何故かメディアもそれを伝えようとしない。
 二度にわたる強制起訴がボディブロウのようにきいているということだろう。
 起訴を強行したメンバーの中に、「在特会」の有力者が入っていたのもそのせいか。

 在特会といえば、民主党候補の演説に動員をかけ、韓国旗を持って、一言ごとに「マンセー」、「マンセー」を連呼する悪質な妨害行為を行なっている。
 これは違反にはならないのだそうだ。
 その背後に、日本会議のメンバーがいて、彼らは安倍ー石原ラインの政権登場を切望している。

 日本はいつの間にこんな嫌らしい状態になったのだろうか。「つくる会」などとは逆のベクトルで、戦後民主主義、そして戦後教育の問題を検証しなければならないだろう。


 
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする