●ほっとすることは即「落ち着ける」ことではなかった。
彼(塾の教員)は3、11以降も福島市での生活を続けていましたが、
二人の小学生のためにと、東京へ移りました。
福島にいる時は、放射能や食べ物の心配をせねばならず、〈落ち着ける〉日は1日とてなかった。
そして今はそうした心配はなくなったが、
福島に帰りたいと思うようになった。
そして〈落ち着きたい〉と思うようになった。それは何故か?
●安穏であっても耐えられないこと。
彼が言うには、今まででは思いもしなかったことを思うようになった、と言うのだ。
それは余りにも「平和」過ぎる街中のことであり、行き交う人のことであり、
また今までは、観光地としてしかみなかった沖縄のこと、
そこで生活している人々のことを思うようなった、と言うのだ。
その話を聞いて連想したのは、石原吉郎(文筆家)のこと。
●苦しくとも耐えられること。
石原吉郎はシベリア抑留中、戦犯として重労働25年の刑を受けた。が、八年後スターリンの死により恩赦。
帰国後彼は、こう書いた。
5万余人が死んだが、死んだのは「人間らしく生きたい、という特性を捨てきれなかった者」である。
また彼は、日本に帰ってからの方がある意味で苦しかったとも書く。
強制労働をさせられていた時は勿論苦しかったが、
戦争に苦しめられた日本人の一人として耐えることが出来た、からだと言う。
しかし帰国してみたら、多くの日本人は、その「戦争」のことを忘れたかのように振る舞っている。
そのことが苦しかった、と言うのだ。
石原には、次のような詩がある。
ー世界がほろべる日に
かぜをひくな
ビールスに気をつけろー
彼(塾の教員)は3、11以降も福島市での生活を続けていましたが、
二人の小学生のためにと、東京へ移りました。
福島にいる時は、放射能や食べ物の心配をせねばならず、〈落ち着ける〉日は1日とてなかった。
そして今はそうした心配はなくなったが、
福島に帰りたいと思うようになった。
そして〈落ち着きたい〉と思うようになった。それは何故か?
●安穏であっても耐えられないこと。
彼が言うには、今まででは思いもしなかったことを思うようになった、と言うのだ。
それは余りにも「平和」過ぎる街中のことであり、行き交う人のことであり、
また今までは、観光地としてしかみなかった沖縄のこと、
そこで生活している人々のことを思うようなった、と言うのだ。
その話を聞いて連想したのは、石原吉郎(文筆家)のこと。
●苦しくとも耐えられること。
石原吉郎はシベリア抑留中、戦犯として重労働25年の刑を受けた。が、八年後スターリンの死により恩赦。
帰国後彼は、こう書いた。
5万余人が死んだが、死んだのは「人間らしく生きたい、という特性を捨てきれなかった者」である。
また彼は、日本に帰ってからの方がある意味で苦しかったとも書く。
強制労働をさせられていた時は勿論苦しかったが、
戦争に苦しめられた日本人の一人として耐えることが出来た、からだと言う。
しかし帰国してみたら、多くの日本人は、その「戦争」のことを忘れたかのように振る舞っている。
そのことが苦しかった、と言うのだ。
石原には、次のような詩がある。
ー世界がほろべる日に
かぜをひくな
ビールスに気をつけろー