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        「忘れる」ことの罪業。ー福島避難民の話を聞いてー    只今

2012年12月21日 19時23分35秒 | Weblog
●ほっとすることは即「落ち着ける」ことではなかった。
  彼(塾の教員)は3、11以降も福島市での生活を続けていましたが、
  二人の小学生のためにと、東京へ移りました。
  福島にいる時は、放射能や食べ物の心配をせねばならず、〈落ち着ける〉日は1日とてなかった。
  そして今はそうした心配はなくなったが、
  福島に帰りたいと思うようになった。
  そして〈落ち着きたい〉と思うようになった。それは何故か?

●安穏であっても耐えられないこと。
 彼が言うには、今まででは思いもしなかったことを思うようになった、と言うのだ。
 それは余りにも「平和」過ぎる街中のことであり、行き交う人のことであり、
 また今までは、観光地としてしかみなかった沖縄のこと、
 そこで生活している人々のことを思うようなった、と言うのだ。
 その話を聞いて連想したのは、石原吉郎(文筆家)のこと。

●苦しくとも耐えられること。
 石原吉郎はシベリア抑留中、戦犯として重労働25年の刑を受けた。が、八年後スターリンの死により恩赦。
 帰国後彼は、こう書いた。
 5万余人が死んだが、死んだのは「人間らしく生きたい、という特性を捨てきれなかった者」である。
 また彼は、日本に帰ってからの方がある意味で苦しかったとも書く。
 強制労働をさせられていた時は勿論苦しかったが、
 戦争に苦しめられた日本人の一人として耐えることが出来た、からだと言う。
 しかし帰国してみたら、多くの日本人は、その「戦争」のことを忘れたかのように振る舞っている。
 そのことが苦しかった、と言うのだ。
 石原には、次のような詩がある。
              ー世界がほろべる日に
               かぜをひくな
               ビールスに気をつけろー 
 
 


  
コメント (3)
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