九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

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メッシの大会   1970

2014年07月15日 16時32分12秒 | スポーツ
目出たくドイツが優勝したのでカジュさんおめでとうw
オレのメッシはあと一歩だった。
しかし、走らないだの守らないだの色々言われたメッシが決勝までアルゼンチンを導いたことは、喜ばしい。
確かに戦術やシステムをあれこれ考えるのも楽しいんだが、そんなことはさておきプロ中のプロ、とてつもない才能を持った選手を観るのはまた格別の喜びがある。
今大会アルゼンチンは、メッシと合う選手のみでチームを作った。
時代に逆行しているありえない、色々言われた。
おかげでテベスは外されるw
相手マークもメッシ一人に集中する。それも昔のようなマンマークではない。システムによって包囲されたマークが一人に集中する。
しかしそれでもメッシはメッシだった。決定的な仕事は全てメッシの左足から生まれた。
相手チームはメッシを相手に引き分けがやっと。
それを観ることができたのが今回のワールドカップの一番の収穫だった(わたしのね)。
戦術やシステムに偏るとブラジルみたいに長所を忘れちゃうんだよな。ブラジルがドイツの真似したって敵うわけないんだよ。相手の得意な土俵で戦うようなものなんだから。
だからブラジルはただのチームに成り下がった。
一方アルゼンチンはカリスマに賭けた。
そこにアルゼンチンのプライドを見たね。
負けはしたがすがすがしい戦いだった。
次はいつか分からないがこういう国はまた日が昇る。
いい戦いをありがとうございました。
コメント (16)
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「よたよたランナーの手記」(57) 年寄りと目標、その一考察  文科系

2014年07月15日 12時07分26秒 | 文芸作品
 前回にこう書いた。
『年寄りのリハビリは本当に難しい。ウオームアップを十分やってからリハビリに入らないとダメ。リハビリ自身も本当にゆっくりと強度を上げていかないとダメ。リハビリ直後には、アイシングが絶対必要などなど、切がない。これらを細心にやらないと、すぐに再発なのである。』

 さて、当面の回復、ラン再開を考えるために絶好の前例があった。12年秋に、10年の慢性心房細動心臓カテーテル手術前後3年のブランクから再びランナー復帰を遂げた自分自身の手帳に残された記録である。夕べ見直してみたらこんな経過をたどっている。
 12年9月26日に初の30分走まで復活して、3.3キロ。それが4キロになったのは、12月15日である。前者は時速6.5キロでこれはまー歩きも同然だが、後者は時速8キロで立派なランニングだ。その間約3ヶ月。そして、この直後にアキレス腱痛や腰痛が出たりして、30分で4.5キロ到達は翌7月20日になる。この時も直後にアキレス腱痛が出て苦しんでいるから、スピードを上げた時の僕はアキレス腱を痛めやすいと改めてよく分かったものだ。でも、このアキレス腱痛回復、対策も上手くいったらしく、去年10月1日には30分×2、つまり1時間走が可能な体になったようで、以降ずっとジムランニングはこの1時間走になっている。この10月1日に1時間で走れた距離は、8.2キロほどだった。そして、今年になってこの記録がどんどん伸びて、最高は3月15日の9.85キロとなる。それからまた腰痛と、今回のアキレス腱痛ということなのである。

 さて、記録がとってあるということは、記憶力がない年寄りにとっては実に貴重なものと再認識したものだ。以上を振り返れば、今回のリハビリなど何のことはないと勇気を与えられたし、この経過に顔をのぞかせている僕の弱点を押さえてじっくりと科学的にやれば、ラン再開以来の夢である1時間10キロも難しいことではないと、改めて思えるのである。今のアキレス腱痛前で言えば、5月18日には8.75キロ、4月27日には最近の最高時に近い9.7キロを走れていたのだ。
 記憶が弱い年寄りにとっては自分の過去はあやふやな夢みたいなものと時に思うのだが、記録って大切だと再認識した。年をとっても自分の過去を踏まえて今可能なことを探り出しながら生きることができるのである。記録があってこそ、自分の心身も若く保てるというものだろう。

 こんな考え方を踏まえて、我が青春の象徴・ロードレーサーの方も展望してみた。我が愛車”パナソニック・プレステージ1997”を駆使した時速40キロ近い2連続全力疾走持続も、最大心拍数160を保てる間は大丈夫という自信が生まれてきた。この最大心拍数は、標準的循環器体力で言えば60歳ほどのものということになるのだが。
「目標を識り、自分の今を識れば100戦危うからず」ということだろう。年寄りって結局、衰えた自分の今が分かりにくいのだし、よって目標までの距離も全く見えないからそれへの距離も埋められにくいと、そういう人種なのだろう。 
コメント (1)
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