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「全体主義の芽」  文科系

2014年07月17日 11時41分58秒 | 国内政治・経済・社会問題
 昨日の中日新聞13面文化欄にこんな記事が載っている。中村桂子・JT生命誌研究館長の『「九条」俳句 掲載拒否に思う』。前からもれ聞いていた話だが、改めていろいろ考えさせられた。どんな物事にも軽重があると思うのだが、最近よく起こる同類の事件は標記のような意味を持った非常に重いものだと観てきた。

事件の概要はこう。さいたま市大宮区公民館の「公民館だより」が俳句教室互選で選ばれた一句を毎月載せているが、7月号には俳句欄がなかったという。掲載予定一句がこういうものだったからたちまち社会問題になったという。「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」。この不掲載を咎められた館長が、こう答えたのだそうだ。『 』はいつものように、記事文章自身である。

『ここで公民館長は「世論が大きく二つに分かれる問題で、一方の意見だけ載せられない」と説明し、公民館を管轄する立場の人は「この句が市の考えだと誤解を招いてはいけない。公民館の判断は妥当だ」と言っている』
 これに対して中村氏は、『世論が分かれる大事な問題だからこそ』、『ここで、「市の考え」という言葉が出てくるのもふしぎだ』、『ここで行われたのは行政の勝手な自主規制である』と反論している。記事文章の結びは、こうなっている。『市民に最も近いところが自主規制をした時に社会はどうなるのか、考えるだに恐ろしい。身近なところこそ重要であることを再確認したい』

「考えるだに恐ろしい」と中村氏が結んでいるのは、僕が感じた標記のこと「全体主義の芽」と同じ感覚のはずだ。社会の意見が分かれている問題で一方を切るというのは、暗黙のうちに他方を持ち上げるということだろう。この場合は9条カエル派を持ち上げているに等しいのではないか。それも社会教育施設の当事者が選んだ句を慣例を破って切るというのはお客様を無視したも同じ、行政サービスとしても大変なことではないだろうか。
 行政機関がその末端まで、安倍政権思想にどんどんなびいていくようで、とても恐ろしい。

 最近の中日新聞の記事はいわゆる全国紙と違って、フクシマ、9条、原発関連などとてもよいものが多い。これからも全国に発信するつもりでちょくちょく紹介していきたい。
コメント (10)
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