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チョムスキーが説く「イラク戦争」   文科系

2016年01月17日 12時18分29秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
「世界同時官製バブル」が弾け、中国による苦し紛れのアメリカ売りも始まった。ダウ平均が1000円下がるごとに日本年金基金などから4兆円の損失が出るとのことだが、我々の年金基金すらこんなバクチに使われているのである。それだけ、世界経済が、どこにも有効需要が見当たらないという意味で切羽詰まっているのだ。
 日本発住宅バブル、アジア通貨危機バブル、ITバブル、サブプライムバブル・・・。世界的に大きなバブルだけでも、もう何度目のことだろう。弾けると分かっているのにバブルが形成され、法人なども含んだ世界の小金持ちの金がまた奪われて終わるのである。後にはまた、武器生産・輸出も含んだ世界の焦臭さに、一層の拍車が掛かるのである。
 こんな時は冷静に、世界有数のアメリカ・ウオッチャーのこの本をふり返ってみたいと、いつも思うのだ。去年8月に苦労して書いた超難解なこの本のまとめである。長文だが,1回にまとめた。


【 チョムスキーが説く「イラク戦争」  文科系 2015年08月11日 | 書評・番組・映画・演劇・美術展・講演など

 ノーム・チョムスキーをご存じの方も多いだろう。生きている偉大な言語学者にして、世界史上全ての学者などの文章の中で、聖書、プラトンに次いで現世界学術論文で引用されることが多いアメリカ人である。現在87才だが、米国政府の戦争政策の長年の研究者、告発者でもある。彼の著作に「覇権か生存か」という隠れた世界のベストセラーがあって、そこで問題にされているイラク戦争部分を抜粋してみる。2004年9月発行の集英社新書による全9章(新書版337ページ)のうち、主として『第5章 イラク・コネクション』50ページ余の部分から。なお、同書にはこんな壮大な副題が付いている。
『アメリカの世界戦略と人類の未来』

(1)イラク戦争の経過

 1990年までは、アメリカはフセインをずーっと支え続けてきた。イラン・イラク戦争(80~88年)の時以降ずーっとイランこそがアメリカの標的だったし、89年10月にもフセイン政権に食糧、化学薬品、科学技術など多大な支援をしている。中東安保の柱として彼を活用して、その「巨悪」にも目をつぶってきた。大量破壊兵器もどんど支援してきた。ところが・・・。
 1990何8月 フセインがクゥエート侵攻
 1991年1月 湾岸戦争開始
 1991年3月 全国で反フセイン暴動発生。アメリカはフセインによるこれの鎮圧・大虐殺行動を黙認
 2001年9月 9/11テロ事件
 2001年10月 アフガニスタン戦争
 2002年1月 ブッシュ大統領「悪の枢軸」発言。イラク、イラン、北朝鮮を名指す。
 2002年9月 アメリカ、国家安全保障戦略発表。予防戦争(先制攻撃)概念を世界に表明
 2002年10月 米議会、対イラク武力行使容認を決議
 2002年11月 国連が4年ぶりに、イラク大量破壊兵器を査察
 2003年3月 イラク戦争始まる

(2)その「台本」

①国際版
『1980年代における「対テロ戦争」の二大中心地は、中米と、中東及び地中海地域だった』が、その中東を観ると、
『ワシントンにいる現職者が取り組んだ活動の一つは、よく知られるようになった。1980年代にCIAとその関係組織がイスラム過激派を募り、正規軍及びテロリスト部隊としての組織化に成功した事実だ。カーターの国家安全保障担当補佐官だったズビグニュー・ブレジンスキーによれば、その目的は「ロシア人をアフガンの罠におびき寄せること」であり、初めは秘密工作によってソ連をそそのかし、アフガニスタンを侵略させることだった』
『その直後の結果として起こった戦争のためにアフガニスタンは荒廃し、ソ連軍が撤退しレーガンのイスラム聖戦士に取って代わられると、更に悲惨な状況になった。それがもたらした長期的な結果は、20年に及ぶ恐怖政治と内戦だった』
『ソ連軍の撤退後、アメリカとその同盟者(その中にアルカイダを始めとするイスラム聖戦士が含まれる)によって徴募され、武装及び訓練されたテロ組織は矛先を他国に向け・・・・・(1993年には)関連グループが「CIAのマニュアルで教えられた手法」に従い、世界貿易センタービルを破壊する一歩手前までいった。計画を立てたのは、シェイク・オマル・アブドル・ラーマンの支持者だったことが判明している。ラーマンはCIAからアメリカ入国の便宜を図ってもらい、国内でも保護されていた人物だ』

 とまーこんな経過で、イスラム戦士が育成され、911からイラク戦争へと繋がっていったと、チョムスキーは説いている。
 
②国内版
『(2000年に大統領になった)ジョージ・ブッシュ二世のために、広報活動の専門家とスピーチライターは、天国へまっしぐらの実直な男というイメージを作り出した。「理屈抜きの本能」を信じ、自らの「展望」と「夢」を思い描きながら、「世界から悪人を追放」するために前進する男、要するに古代の叙事詩や子供のお伽噺に、カウボーイ小説を混ぜ合わせたごとき滑稽な人物像である』
『(ブッシュらが言うところの)テロとは何を指すのか?・・・・適切な答えが出れば意義あるものにもなろうが、こうした疑問は公開討論の場には決して持ち込まれない。代わりに、都合のいい定義が採用された。テロとは、我々の指導者がそう宣言するものなのだ』

 00年大統領選挙で、ブッシュは民主党候補ゴアと争って、有名な「疑惑の辛勝」を勝ち得た。選挙への無力感が過去最高レベルの50%以上に達した。04年の選挙を控えて、さらに落ちた人気への新戦略が必要だった。軍事費増、富裕層減税から社会保障費削減がさらに進んだからだ。
 そこから『先制攻撃による新しい過激な軍事戦略の提出』に国民の目を向けさせる事に励んでいった。この「冒険主義」には多くのリスクがあったが、以下の狙いに邁進したわけである。『米国社会の徹底的な改造に着手し、それによって1世紀にわたる進歩的な改革を押し返すことと、世界を恒久支配するための帝国の壮大な戦略を確立させることである。そうした目的に比べれば、それに伴うリスクは、些細なことと思えるのかも知れないのだ』(P183)

(3)イラク戦争で問われているもの

『02年9月には、国家安全保障戦略が発表された。でっち上げられた恐怖によって、イラク侵攻に向けて国民の間に充分な支持基盤ができ、意のままに侵略戦争を始める新たな規範が設けられた』
『イラクとの戦争は、それを実行すれば大量破壊兵器とテロが拡大するかもしれないという認識のもとに実行された。だが、それに伴うリスクは、イラクに対する支配権を強化し、予防戦争の規範をしっかりと築き、国内における政治力も高められるという見込みと比べれば些細なことと考えられた』

 こうして著者は「覇権か生存か」で前者を歴史的大局的に描きながらも、後者に希望を託するのである。その下りは、このようなものだ。
『現代史を通じて、人権状況は著しく改善され、生活の一部の面では民主的な管理が行き届くようになった。こうした展開が、啓発された指導者の贈り物であることは滅多にない。ほとんどの場合、一般の人々が戦い、国家やそれ以外の権力中枢に課してきた展開なのである』
『今日の歴史の中に、人は二本の軌道を見出すはずだ。一本は覇権に向かい、狂気の理論の枠内で合理的に動し、生存を脅かす。もう一本は「世界は変えられる」ーー世界社会フォーラムを駆り立てる言葉ーーという信念に捧げられ、イデオロギー的な支配システムに異議を唱え、思考と行動と制度という建設的な代案を追求する。どちらの軌道が支配するかは、誰にもわからない。こうしたパターンは歴史全体によく見られるが、今日の決定的な違いは、懸けられているのが遙かに重大なものだということである』】
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ハリルジャパン(45) 五輪予選・タイ戦  文科系

2016年01月17日 10時29分02秒 | スポーツ
 タイ戦の観戦記および分析を試みたい。分析の観点は当然、以下の事になる。
①五輪本戦に出られ、そこでも勝つ
②当面このアジア予選で優勝すべく、タイ戦を含めて残り5戦で力を付けていく
③当面予選リーグを1位で通過するべく、タイ戦で決勝トーナメント出場を決めてしまう

 さて、上記の目標からすると、このゲームには4対0勝利という結果以上に大きな意味があったと考える。初戦で対戦した北朝鮮が強いと分かったということだ。この北は今日サウジアラビヤに同点以上の結果を出して、③の目標通り日本は1位通過を決める可能性が高いと観た。このタイと引き分けたサウジが、朝鮮よりも強いとは思えないからだ。
 朝鮮との初戦と比べてタイ戦はかなり良かったが、どこがそうだったのか。

 なによりも、ボール奪取組織がしっかりしていた。序盤に猛烈に走って攻勢をかけてきたタイを、10分過ぎには早くも見切り始めていたと観た。ボール奪取でも、こぼれ球への寄せでも競り勝ち始めて、ポストやバーへの直撃シュートとか、惜しい抜けだしシュートとかが続き始めた。そして27分得点。その頃には僕はこう思ったものだ。「このゲームは3~4点入るな。あとは失点0かどうか」と。

 なお、北朝鮮戦と最も違ったのはこの点だったと思う。混戦時に日本選手の視野が狭くなることによる、ミスパス・ボールロスという局面が激減したことである。手倉森監督得意の高低両様のボール奪取組織がとても上手く行ったゲームだったのではないか。タイのボール奪取力が朝鮮に比べて落ちるのは確かだが、日本が先発6人を換えてこれだけのボール奪取ゲームが出来たというのは、今後②に向かって理想的なスタートだったと言えよう。

 さて、問題は①である。五輪本戦が、WCに比べたら楽な相手だとしても、世界強国の若手に競り勝つだけの力がついていく相乗作用が発揮できるかどうか。抽選による対戦相手にもよるが、いー線行くと思う。というのは、手倉森監督には高低両様布陣による守備(組織)指導というかなり絶対的な特技があるからである。初戦の朝鮮相手のようなゲームを1対0で勝ち切ったという点に、僕はそんなことを観たのだった。

 個人別では、こんな選手が目についた。まず、1得点目の鈴木武蔵。遠藤の速い浮き球たてパスへの競り合いで示したダッシュ力も、ワンタッチヘッドトラップも、右脚シュートも完璧。流石に、広島浅野やA代表経験もある久保を抑えての2戦先発は、伊達ではなかった。キャプテン・遠藤がまた非常に目立った。球際に強いし、良い縦パスはあるし、頭も良さそうで、まー長谷部タイプと観たがどうだろうか。キャプテンとして率先して球際で闘っているのが際立っていた。名前は忘れたがこの遠藤と組んだ14番左サイド選手も、小さいけれどよく走り、速くて意外に強い選手だと観えて、気に入った。

 このチーム、各選手がもう少し視野を広くして一歩先が見えるようになれば、かなり強くなると観た。小手先の技術に走らず、闘うことの大切さを日本の若手としては珍しく、よーく知っていると見えたからである。
コメント (21)
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