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日本の男と女、この文化の異なり  文科系   

2016年10月04日 00時26分18秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 これは、別のエントリーに付けた僕のコメントに書き足したものである。いつものように、補足修正して転載するということだ。

 いらんお節介だが・・・  (文科系)2016-09-30 15:28:10
 この随筆は、同人例会の合評でかなり話題になった。8月2日のここに載せた「随筆 男女文化度の差」の合評である。ただ、書いてある主内容は大変難しいものだ。とくに、以下の結論的下りが。
『 一つは、文化系でしか扱えないものに対する(日本男性の)感性の不足。今一つは、これの裏面として、目に見え手で触れるような物事にしか興味を持てないこと。一例を挙げれば、同じ文章系でも男は歴史、文学は女というような』

「同じ文章系趣味でも、男は歴史、女は文学」と、どうしてなるのだろうか。これは、各国文学系、史学系、哲学系とあった旧帝大系文学部で学んだ時代からの僕の長年の疑問であった。史学系と文学系と、この二つの違いは、「文学はフィクション、歴史は事実」ということのようだ。ところが、この「フィクション」、「事実」が以下のようにいずれも誤解されている場合がほとんどだと思ったもの。

 「文学はフィクション」というのは、文学とSF、推理物、時代劇小説などとを混同し、絵空事という感じ方があるようだ。他方「事実」の捉え方もどうもおかしいと感じる。人間の心も含めた事実を扱うのは、文学者、歴史家、考古学者、心理学者、哲学者らであって、並みの彼らならもの凄く専門化された領域に没頭し、そんな個々の領域だけでは素人には面白くも何ともないはずなのである。よって、人類史の事実を調べ、語っているような人でも、案外その傍らに「変な人間論」を堂々と侍らせていることも多いようなのだ。そして、このことと男の文学軽視とが実は重なるのだと僕は密かに観てきたもの。

 問題は「人間の心」なのである。これは当然、目には見えず、手では触れないという性質を持つ。つまり、言葉、文章でしか表現しようがないものである。本物の文学とは、こういう物を扱う「本物」のことであるという以外に、定義のしようがない。よく読まれるSF、推理物、時代小説などフィクションの典型が、そのままで文学ということではないということだ。

「フィクション(という形式)を嫌って、人の心まで自分から離してしまう」

 これが日本人男性における、文学嫌いの正体なのではないか。としたら、男は心(らしい心)が苦手と、そんなことが言えると観てきた。目に見える仕事と、結果を出すべきとされたという意味で過労死自殺が出るほどの世界一の人間関係との中で、いつの間にかこうなってしまったと言ったら、言い過ぎだろうか?
 以上のことを、同人誌女性諸氏に説明を付けた。そして、はっきりと分かって貰えたと、今は確信している。それぞれの夫を改めて見つめて、かつ文学に通じている女性だからということなのだろう。
コメント (11)
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