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随筆 「全体主義的感性」    文科系

2016年10月24日 11時40分13秒 | 文芸作品
(同人誌の月例冊子用に、15日エントリーを大幅改作してみました。比較してみて下されば嬉しいです)


 高校時代のある友人と昨日偶然会った時に、孫の教育で悩んでいるらしく、こんな話がいきなり堰を切ったように出された。同時にそこにいた同期女性の一人が小中教員だったからなのだ。
「近ごろの学校教育はどうなっているのかな。どうも戦後の米国流個人主義が日本人を駄目にしているように感じる。教育勅語を読んでみたけど、結構いーこと書いてあるよね」
 話はそこからどうも、個人に義務や道徳を強調し、教え込む必要というような話に移っていった。「なんだか、安倍首相と同じだなー」、そう僕は考え込んだもの。

 そうなのだ、社会に不公正、不幸、不道徳が多くなると、誰かが上からタガを締めるべきというよくある発想なのである。誰が、どのようにタガを……が不十分なら当然、旧ソ連や北のような全体主義に繋がる発想でもある。人の内面が荒れる現実的な原因をきちんと問うていない場合に、すぐに心が原因になり、ただ心を締め直せという安易な発想が出てくるとも言える。こういう人は、日本がまだ世界一安全な先進大国に辛うじて留まっているという点や、よってこういう社会悪傾向には世界的な原因があろうとも、観ようとしていないのである。原因を日本国内だけに求めている口調がその証拠になる。そこで一計を案じた僕のある質問から、こんな討論になった。
「世界も荒れてるから、当分戦争は無くせないよね?」
「なに、君は戦争は無くせると思っているのか?」
「当然そうだよ。無くせない理由がない」
「戦争は絶対になくならんよ。夫婦ゲンカもなくならんようにね。動物だってそうだし」
「やっぱりそう語ったね。ならば言うが、動物、夫婦のケンカや、村八分なんかが全部同じ原因で起こると観るという意味で、これらの背後に同じ本質を想定するのは馬鹿げている。そういう考え方は、既に誤りとされた社会ダーウイニズムと言うんだよ」
「君は絶対と言ったね? 絶対の真理なんて語ることこそ、馬鹿げている!」
 そんな言葉を捨て台詞にして、憤然と立ち上がった彼。向こうへ行ってしまわれた。ご自分も「戦争は絶対に無くならん」と絶対真理を語られたのは、お忘れらしい。僕もそうなのだが、こういうお方も短気なのである。

 さて僕のこの論法は、十年やって来たブログの数々の論争体験から学んだもの。個人同様タガが必要に見える国にも自然に戦争が想定される時代というものがあって、国同士の生存競争こそ国家社会の最大事と主張する人々が現れる訳だ。
 さて、ここが大事な所なのだが、「上からタガを締めろ」とか「国家の最大事は戦争である」と感じ、考える人はほぼ必ず政治的には右の方と僕は体験してきた。つまり僕のような左の人がこういう人に他のどんな現実的政治論議を持ちかけても何の共通項もなくただ平行線に終わると。言い換えればこういうこと。いったん上記二点のような相手の土俵に入ってこれ自身を決着付けておかなければ、他のどんな「現実的」話もすれ違うだけと、体験してきたつもりなのである。個人の悪や不道徳などがなによりもまず個人の心の中から生まれると観るなら上から心を変えるしかないのだし、そんな時代の国と国との間では国連のような調整機関は無力と観て戦争を覚悟しなければならない理屈だろう。

 この二つ(心のタガと、社会ダーウィニズム的感性)は、いずれもそれぞれの問題、その原因を現実の中に問うて、現実を変えるという道が見えなくなる考え方なのだ。それどころか、現実は悪、心がそれに抗していかねばならないという感じ方、「思想」と述べても良いかも知れない。いずれも、全体主義に結びつく考え方だという自覚は皆無なのであるが、僕は結びつくと考えている。ヒトラーも東條も、それぞれ優秀な民族が乱れた世界、人類を鍛え直すという意気込みを国民に徹底したと記憶する。そのためにこそこの戦争を聖戦として行うという決意表明、大量宣伝とともに。
 ちなみに、あの時代も今もその現実世界は同じこういったものと観ている。二九年の世界恐慌から、弱肉強食競争へ。強食から見たら子供のような弱肉を容易に蹴倒していける世界になって、普通の人々は生きるためにどんどん道徳など構っていられなくなっていく。今の強食がまた、普通の日本マスコミは報じないのだが、桁外れである。アメリカ金融の一年のボーナスを例に取ってみよう。二〇〇六年の投資銀行ゴールドマンの優秀従業員五〇名は一人最低一七億円もらった。二〇〇八年全米社長報酬トップ・モトローラ社長は、一億四四〇万ドル(約百億円」)のボーナスを貰った。これで驚いてはいけない。二〇一一年に出たある経済書の中には、こんな記述さえある。
『今でも、米国でよく槍玉に挙げられるのは、雑誌の個人報酬ランキングのナンバーワンあるいはナンバーツーになるウォルト・ディズニー社社長のアイズナー(数年前に、ストック・オプションも含めて五億七五〇〇万ドルという記録的な額を得た)……』(ドナルド・ドーア著、中公新書「金融が乗っ取る世界経済 二一世紀の憂鬱」P一四七)。
コメント (12)
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