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ハリルジャパン(88) 代表戦再開、期待する選手  文科系

2017年03月20日 11時55分40秒 | スポーツ
 いよいよアジア予選再開。日本には明るい材料ばかりである。唯一の不安は、手術を要する怪我による長谷部の不出場、これだけ。
代わって、絶好調組はこれだけ居る。FWでは、大迫、岡崎に、久保までが台頭してきた。MFでは、何と言っても原口。そして日本最大弱点のセンター・バックで完全レギュラーに復活してイングランドカップ戦決勝まで進出して、マンUイブラと激しい当たり合いを演じたばかりの吉田の成長が、何と言っても心強い。

 日本在籍選手も明らかにレベルが急上昇している。このレベルアップはACLを観ると分かり過ぎる程に分かるのである。鹿島の守備が群を抜いているが、他のチームもどれだけ当たり強くなったことか。

 NHKがBSで、過去の代表戦を映してくれている。相手をちんちんにしたあのサウジ戦を3度目に観た。大迫と原口の何とオールマイティーでアグレッシブなこと!
 原口の、自分で敵ボールを奪い取って相手ゴールまで迫っていく再三のプレーなどは、日本の過去の国際戦では考えられなかった質のもの。彼が連続得点できるのは、ゴールに結びつくチーム・ボール奪取世界水準に通じているからとさえ見たものだ。
 大迫がまた凄い。もともとオールマイティーな選手だが、現世界の得点法・ボール奪取に更に磨きがかかるなど、あらゆるプレーの水準が上がっている。これがまた、得点の他にアシストもできるのだから、岡崎と組ませたら最高のコンビではないか。

 この岡崎がまた、レギュラー復帰しているだけではなく、彼の復帰と共にレスターは連勝! 水準が上がった天才・大迫には、地味な鈍才・岡崎の「格別な良さ」が誰よりも分かるに違いないのである。なんせ、大迫がやっと慣れてきたドイツで得点ランク上位に最後2年も名を連ねていた大先輩なのである。しかも、日本にかっていなかったような、超長期の代表FWレギュラー、つまり絶対的代表FWでありつづけてきた。この点は、カズもゴンも、城、柳沢などなどの代表FWを誰を取り上げても及ばず、どれだけ強調してもし過ぎることはないのだが、日本のスポーツ・マスコミは意外に岡崎を扱わず、その都度新たな顔ぶればかりを取り上げてきたのだから、ただ笑える。まるで、サッカー人気を上げないように努力しているようで。ちなみに、岡崎は今度のW杯で3度目の出場になる。

 マスコミが大騒ぎを続けてきて並みの選手のままで消えていった人のどれだけ多かったことか。それも、FWか攻撃的選手に限られているのだから、岡崎の扱いが不当に思えるのである。ちなみに、野球ばかりを不当に持ち上げる点でも、日本のスポーツマスコミは下らない。スポーツマスコミも公器のはずだが、ことスポーツに関しては公器という立場を近ごろ特にかなぐり捨てていないか。「大相撲の復興」も何度も言われてきたが、長期的に見て本当のことかね?
 スポーツ・マスコミの「興業主義」、「見せるスポーツ主義」では、野球も相撲もサッカーも長期的基本的に廃れていくばかりのはずだ。スポーツは、子どもにせよ生涯スポーツにせよ、やる人が増えることに社会的に貴重な意味があるのであって、それを無視した興業主義の発展などはあり得ないと言いたい。岡崎のことを考えるたびに、そんなことをも思うのである。
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日本はこのまま終る国なのか   文科系

2017年03月20日 09時45分08秒 | 国内政治・経済・社会問題
 日本という国は、こんなに羊頭狗肉が普通になってしまって、特に偉い人たちがこうなっていては、日本人特有の優しさも失ったもう終わった国なのかなと考え込んでいる。二つのコメントをお読み願いたい。最初の物は昨日のエントリーに付けたコメントですが。

【 こんな文科省でも・・・ (文科系)2017-03-19 10:34:11
 こんな(オール官僚天下り体制の組織者である)文科省でも、流石にこんな考え方は持っていないし、ましてや語ることなどはしないはずだ。
『教育勅語は良い(ことが書いてある)』
『大日本帝国憲法下の日本も国民主権であった。天皇が今の象徴と変わらなかったのだから』
『南京大虐殺は(ほぼ)なかった』

 こうして、こんな考え方を持った日本会議の面々は、こういう文科省よりも遙かに反知性主義が酷いと言える。敢えて言えば「真実なんてどうでも良い」と考えているように見える。よって、こんなことさえ不安になるのである。こんな文科省や官僚体制がばんばん叩かれる今が、何か日本の反知性主義的右傾化、政治腐敗を更に大きく招き寄せているような気がすると。政治家という目糞が官僚という鼻糞を叩いて、目も鼻も、よって日本国という身体自身が、どんどん悪くなっていくような・・・。】
(「文科省経由、オール官僚天下り体制  文科系 2017年03月19日」に付けたコメント)

【 受験校で (文科系)2016-10-07 21:28:48
 現代の男のことで、コメントを続ける。
 我が連れ合いは、愛知県一の難関高校で定年までの最後17年を国語教師として過ごした。ついでながら、僕の兄弟妹3人はこの高校を出ているし、僕の中高一貫校の中学のサイクリング仲間である親友らが何人かこの高校へ行った。それで僕は、この高校の生徒たちの移り変わりをずーっと観て来られたという立場にある。そんな目で観るとこんな変化に気付く。

 何よりも大きいことはこれ。「自分勝手な秀才」が現れたこと。昔の秀才ってみんな、正義感も結構あった。そして、そういう人が生徒会とか、クラブのレギュラーやキャプテンなんかをやっていたものだ。こういう高校が変わってきたのが、1960年代後半からだと思う。この高校にも、「自分勝手な秀才」がどんどん増えていくようになった。クラブもやらず、生徒会などには脇目もふらず、文化祭さえ休んで、ただ自分の勉強に励む。そういう生徒を、心ある先生たちは本心忌み嫌っていた。
「こういう人物らが東大法学部へ行ったり、国立医学部へ入ったりして社会の指導者になっていくとすると、日本の将来は暗いなー。医者や政治家なんて特に、こういう人物にはなって欲しくないものだが・・・」
 この学校では今でも、昔タイプ秀才は多いからこの「自分勝手」は目立つのである。ただそういう昔の秀才タイプも社会に出ると、いつの間にかそれぞれの集団に合わせるのかその正義感を無くしていくと、そんな姿はいっぱい見てきたものだ。(以下略) 】
(「日本の男と女、この文化の異なり」文科系2016年10月04日」へのコメント。)

 ここの終わりに、一言。かく語る僕も一時、当時はほとんど意識もしていなかったのだが集団に染まっていたなーと後悔している時代がある。ひどく後悔していて、思い出しては今でも悲鳴を上げるときもあり、いつしかそういう習慣が付いてしまった程だ。人生は難しい・・・。
 

 
コメント (3)
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