ポピュリズムを「大衆の反逆」という意味でも使い、「大衆の反逆」に「反知性主義」という意味を付与する論議があるようだ。東洋経済で渡辺靖とかいう慶応大学の文化人類学とかの教授が、アメリカのホーフスタッターとかいう歴史家のそういうお説を紹介していた。これは明らかに、伝統的な言葉の使い方を誤っている。いや、ねじ曲げている。それも現状肯定的に。
「反知性主義」という場合の知性を「支配者の側のもの」という意味を付与して使っているのである。「知性」についてこんな使い方をするとどういう事態が起こるか。
知性とは99%の民衆にはないものとか、知性とは人を利己的に支配する1%が持っている便宜的手段ということになる。こんなことになったら99%は何を頼りに己を虐げる「知性」ある1%に対して合理的かつ有効に反逆しうるのだろう。
いつか、リチャード・ホーフスタッターという御仁のお説自身を覗いてみたいと思ったものである。彼の名を覚えておこう。
ただ、上記のことには、こんな現代史的事実が対応しているとは言えるかも知れない。
社会にキープされている情報が凄い量になっている。が、これへのアクセスに関わって、こういうことが起こっている。米国当局の大々的盗聴などのような違法入手情報も含めて自由にいくらでも活用できる人々と、巨大マスコミの情報程度という人と。前者が後者を支配しやすい道理である。なんせ、メルケルの私的電話さえ盗聴したのだから、世界のどんな要人をも脅迫できる情報を持っているとも言えるのだから。これを情報(量)の非対称性と言うらしい。
これを踏まえて物を言えば、確かに「知性とは、支配階層だけのもの」と言える側面がある。が、ここからこういう事実に対して善悪論をやる必要が生じるだろう。そして僕は、民主主義をいやしくも標榜する社会ならば、こんな状況は正していくべきだと思う。マルクスが唱え始めたように「支配階級が時代の思想手段を握りやすい」という状況も民主主義的改革の最大改善目標になるはずだ。
つまりこういうことだろう。ポピュリズムとか、反知性主義とかを語る場合にも、まともな人間であるならば以上のことは忘れてはならないと。
「反知性主義」という場合の知性を「支配者の側のもの」という意味を付与して使っているのである。「知性」についてこんな使い方をするとどういう事態が起こるか。
知性とは99%の民衆にはないものとか、知性とは人を利己的に支配する1%が持っている便宜的手段ということになる。こんなことになったら99%は何を頼りに己を虐げる「知性」ある1%に対して合理的かつ有効に反逆しうるのだろう。
いつか、リチャード・ホーフスタッターという御仁のお説自身を覗いてみたいと思ったものである。彼の名を覚えておこう。
ただ、上記のことには、こんな現代史的事実が対応しているとは言えるかも知れない。
社会にキープされている情報が凄い量になっている。が、これへのアクセスに関わって、こういうことが起こっている。米国当局の大々的盗聴などのような違法入手情報も含めて自由にいくらでも活用できる人々と、巨大マスコミの情報程度という人と。前者が後者を支配しやすい道理である。なんせ、メルケルの私的電話さえ盗聴したのだから、世界のどんな要人をも脅迫できる情報を持っているとも言えるのだから。これを情報(量)の非対称性と言うらしい。
これを踏まえて物を言えば、確かに「知性とは、支配階層だけのもの」と言える側面がある。が、ここからこういう事実に対して善悪論をやる必要が生じるだろう。そして僕は、民主主義をいやしくも標榜する社会ならば、こんな状況は正していくべきだと思う。マルクスが唱え始めたように「支配階級が時代の思想手段を握りやすい」という状況も民主主義的改革の最大改善目標になるはずだ。
つまりこういうことだろう。ポピュリズムとか、反知性主義とかを語る場合にも、まともな人間であるならば以上のことは忘れてはならないと。