九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

「ポピュリズム」と「反知性主義」、ある論議   文科系

2017年03月22日 10時56分08秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 ポピュリズムを「大衆の反逆」という意味でも使い、「大衆の反逆」に「反知性主義」という意味を付与する論議があるようだ。東洋経済で渡辺靖とかいう慶応大学の文化人類学とかの教授が、アメリカのホーフスタッターとかいう歴史家のそういうお説を紹介していた。これは明らかに、伝統的な言葉の使い方を誤っている。いや、ねじ曲げている。それも現状肯定的に。
 「反知性主義」という場合の知性を「支配者の側のもの」という意味を付与して使っているのである。「知性」についてこんな使い方をするとどういう事態が起こるか。

 知性とは99%の民衆にはないものとか、知性とは人を利己的に支配する1%が持っている便宜的手段ということになる。こんなことになったら99%は何を頼りに己を虐げる「知性」ある1%に対して合理的かつ有効に反逆しうるのだろう。
 いつか、リチャード・ホーフスタッターという御仁のお説自身を覗いてみたいと思ったものである。彼の名を覚えておこう。

 
 ただ、上記のことには、こんな現代史的事実が対応しているとは言えるかも知れない。
 社会にキープされている情報が凄い量になっている。が、これへのアクセスに関わって、こういうことが起こっている。米国当局の大々的盗聴などのような違法入手情報も含めて自由にいくらでも活用できる人々と、巨大マスコミの情報程度という人と。前者が後者を支配しやすい道理である。なんせ、メルケルの私的電話さえ盗聴したのだから、世界のどんな要人をも脅迫できる情報を持っているとも言えるのだから。これを情報(量)の非対称性と言うらしい。
 これを踏まえて物を言えば、確かに「知性とは、支配階層だけのもの」と言える側面がある。が、ここからこういう事実に対して善悪論をやる必要が生じるだろう。そして僕は、民主主義をいやしくも標榜する社会ならば、こんな状況は正していくべきだと思う。マルクスが唱え始めたように「支配階級が時代の思想手段を握りやすい」という状況も民主主義的改革の最大改善目標になるはずだ。

 つまりこういうことだろう。ポピュリズムとか、反知性主義とかを語る場合にも、まともな人間であるならば以上のことは忘れてはならないと。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グローバル・ヒストリー上の今(2)   文科系

2017年03月22日 10時28分47秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
(2)米社長たちはこうして「金融の馬車馬」になった 文科系 2016年09月28日

 以下は、24日エントリー、ある本の要約①の抜粋である。ドナルド・ドーア著「金融が乗っ取る世界経済 21世紀の憂鬱」(中公新書、2011年10月第一刷発行)。今後ここで、3部構成のこの本にあわせて、②、③と要約していく予定だ。この本の内容は、僕が10年ここで新たに勉強し直しては原稿を書き続けてきて、たどり着いた現代世界の諸不幸の大元の解説と言える。
 この本に展開されていることは、日本人にはなかなか書けないもの。ここに描かれた動きが日本で目に見えるようになったのは最近の事であるし、この最新の動きは、英米経済の動きと比較研究してはっきりと見えてくるというもの。作者は、イギリス経済学の伝統を学び継いだ上で、日本江戸期教育の研究目的で東大に留学され、以来熱心な日本ウォッチャーを続けられたというお方。しかも、この本自身も自分の日本語で書かれているようだ。訳者名が付いていないからである。
 以下は、その第一回目の要約のそのまた抜粋である。世界経済がこのようになったからこそ、今の世界の諸不幸が生じていると、そういう結論、大元解明のつもりである。


『米企業利益のうち金融利益の割合が、1950年代までは9・5%であったものが急増して、02年には41%と示される』

『機関投資家の上場企業株式所有シェアがどんどん増えていく。1960年アメリカで12%であったこのシェアが、90年には45%、05年61%と。そして、彼らの発言力、利益こそ企業の全てとなっていった』

『企業から「金融市場への支払い」が、その「利益+減価償却」費用とされたキャッシュ・フロー全体に占める割合の急増。アメリカを例に取ると、1960年代前半がこの平均20%、70年代は30%、1984年以降は特に加速して1990年には75%に至ったとあった』

『彼らの忠実な番犬になりえた社長は彼らの「仲間」として莫大なボーナスをもらうが、「企業の社会的責任。特に従業員とその家族、地域への・・」などという考えの持ち主は、遺物になったのである。こうして、米(番犬)経営者の年収は、一般社員の何倍になったか。1980年には平均20~30倍であったものが、最近では彼の年金掛け金分を含めば475倍になっている。その内訳の大部分は、年当初の経営者契約の達成に関わるボーナス分である。全米の企業経営者がこうして、番犬ならぬ馬車馬と化したわけだ』

『「証券文化」という表現には、以上全てが含意されてあるということだ。企業文化、社長論・労働者論、その「社会的責任」論、「地域貢献」論、「政治家とは」、「政府とは・・?」 「教育、大学とは、学者とは・・?」、そして、マスコミの風潮・・・』


 最後のこれは、24日には書いてない事。以下のような数字は日本人には到底信じられないもののはずだ。この本の73ページから抜粋した、アメリカ資本主義の象徴数字と言える。
『2006年のように、ゴールドマン・サックスというアメリカの証券会社がトップクラスの従業員50人に、最低2,000万ドル(当時のレートで17億円くらい。〈この記述周辺事情や、最低と書いてあるしなどから、1人当たりのボーナスの最低ということ 文科系〉)のボーナスを払ったというニュースがロンドンに伝われば、それはシティ(ロンドン金融街)のボーナスを押し上げる効果があったのである』 
 これだけの強食がいれば、無数の弱肉が世界に生まれる理屈である。2006年とは、08年のリーマンショックを当ブログでも予言していた史上最大のバブル、サブプライム住宅証券組込証券が頂点に達していたウォール街絶頂の時だった。この結果は、失った家から借金まみれの上に放り出された無数の人々の群であった。しかもこの動きはアメリカのみに留まらず、イタリア、スペイン、ポルトガル等々にも、そこの失業者の大群発生にも波及していくのである。こんな所業を放置しておいて、どうして世界の景気が良くなるなんぞと言えるのだろうか


(続く)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする