家の貧富が子の学力に現れるとは既に既知の知識だが、これは子どもの体力にも現れると、今朝の朝日新聞が特集を組んでいた。「収入が少ない家庭の子どもほど体力がない」。筑波大学の研究チームによるこういう実証研究結果が、本日この新聞のスポーツ欄に載っていたというのが、僕にはとても面白かった。スポーツを論じて、こういう議論の方が五輪話題よりもはるかに大事ではないか。この研究成果を本文中の四つばかりの言葉で表してみよう。
『収入が高い家庭の子の方が、低収入家庭より、体力テストの総合点が高い。・・・特にシャトルランと50m走で差が顕著です』
『体力が高い子は『何でも話せる友だちや仲のよい友だちが居る』と回答する率が高いのに対し、体力が低い子は孤独を感じている傾向がみられます。休み時間を、体力が低い子は、教室で一人で過ごす傾向がある。学校生活が心身発達のベースになることを考えると深刻です』
『今起きていることを放置すれば、この先、スポーツはそれで食べていくんだというわずかな人たちが小さい頃から特別な訓練を受けてプロになり、大多数の一般国民にとっては競技は見るもので、するのはウォーキング程度という、貧しいスポーツライフの姿が見えてきます』
『経済的負担が少ない学校の部活動は、スポーツにおいては最後のセイフティーネットで、世界に誇れる仕組です。(文科相などがやろうとしているような)受益者負担を原則とする地域クラブへ移行すると、かなりの子のスポーツ離れが懸念されます』
日本には、こういう国民皆スポーツの考え方で運営されているスポーツ団体がどれだけあるのだろうか。競技主義、興業・鑑賞だけという団体ばかりになっていないか。スポーツ庁はよほど魂入れて頑張らないと、子どもの貧困なスポーツ現状に到底追いついていけないはずだ。ちなみに、民間スポーツ施設の駄目さ加減は、ここに何度も書いてきたことだ。「金がある子は特別(料金)指導。他は、悪い癖を付けても外っておくから、なかなか進級できない」