NGO「日本イラク医療支援ネットワーク」(JIM-NET)事務局長・佐藤真紀氏に聞いた。 「 巨大化するNGO 」
――いまNGO、市民の活動といったものはどういう方向に行こうとしていると思われますか?抱えている課題というのは何ですか?
今、すごく見えにくくなっていると思うんですよ、例えば、1990年代の初め頃に、郵政省が「国際ボランティア貯金」というのを作った。小さな団体でもお金が取りやすくなったんですよね。それで現場に人を送ってプロジェクトが出来るっていうので、それをきっかけに現場に入った団体というのは結構多かったんですね。お金がうまくNGOに流れて、現場に行くといろんなものが見えてくるから、新しい発見があっていい時代でした。しかも草の根の範囲を超えないレベルでした。ところが、今回のイラク戦争は、巨大な政府資金がNGOに流れました。数個のNGOに2~3年で30億円というから、すごい金額です。
例えば、そのODAの場合、無償と有償がありますよね。無償の緊急支援みたなものは、だいたい規模がでかくなると紐つきで日本の商社なんかもいっしょにやることが多いんですけれど。それが今回はもう、イラクは危ないからそういう日本の商社はほとんど入って行かない。その代わりにNGOに仕事がまわって来た。だからもうなんていうのかな、草の根的なボランティアっていうレベルじゃなく、セキュリティ管理もきちんとお金かけてやってくださいと。もしかしたら死ぬかもしれないけど、ちゃんとやっていただいてこれだけお金を出しますよ、みたいなビジネスの話でしょうね。
例えばクリニックや学校を作るにしても、1個作ってそれを一生懸命十年もかけて医者を送ったり子どもたちと交流する、みたいなのがNGOのイメージですよね。でもイラクの場合はもう壊してしまったわけですよ、日本も協力して、アメリカとかがね。それを何個作れるか、みたいなもので、何十個つくったとかそういう話になってくると、もう大きく今までのNGOとは違うということになりますよね。
そういった仕事も必要なわけですよ。壊しちゃったんだから、誰かが作んなきゃいけないわけですからね。だからNGOが作る場合もあるだろうし、ゼネコンが作る場合もあるでしょうし、軍がね、全部壊して全部作ってしまう。有償でやろうとしている。お金を貸してあげるのが援助なんでしょうか?
やっぱり、ちょっと前までは、「つながり」が大切だった。なぜその国に関わるのか、っていうことです。日本じゃないところで活動するのは、やっぱり、大きな壁があるわけだし、それを乗り越えてまですることのこだわりがあります。その国の人と苦楽を共にする覚悟というか、「つながり」が大切です。でもプロフェッショナルになって巨大化してしまうと、なかなかそういうものが見えなくて、しかも皆さん一人ずつが、そのお金を払ってそこに参加して作っていくっていうものとは違って、政府の政策でぽんとお金がおりてみたいになってしまうと、なかなか顔が見えにくくなってくるでしょうね。
NGOが巨大化してしまったので、今度はその市民が参加するスペースというのがなかなか見えにくくなってしまった。結果としてNGOを中心に盛り上がってきた市民運動というのを白けさせてしまった、っていうのはあるかもしれませんね。
10年前とかのNGOは面白かったと思います。例えばJVC(日本国際ボランティアセンター)とかを見ていると、次何やるのかなとかね。いきなり(事務局長の)清水(俊弘)さんなんかが飛び出して地雷廃絶とかやるわけでしょ。
それでほんとうに国際条約が出来たりとか、流れが出来てくる。だから面白くって参加するわけですよ。ここにいればもしかしたらイラク戦争を止めることができるんじゃないか、とかね。そういうNGOが社会を変えるというか、作っていくんだというような興奮と実感がありました。
――10年前はそうだったのが、それが変わったのはいつごろからですか?
イラク戦争は、大きかったでしょう。二つに分かれた。戦争に反対の声をあげるか、黙っているか。そして、政府も今まではあんまりNGOの活動にはお金を出しても干渉はしてこなかったんです。補助金とかそれくらいの額だったし。でも、イラクは違った。巨額のお金が流れNGOも振り回されてしまった。イラクはそれで、プラットホーム以外のNGOはほとんど入っていかない。活動する団体数がとても少なかったっていうね。なぜか知らないけれど。一方で、個人のボランティアみたいなものは元気で入って行くわけじゃないですか。「人間の盾」とかもあったし。
でもそれは組織論が全くないから、一発で終わっちゃう。その後どうするのか、みたいなところもなくなって、ちりぢりばらばらになっていく。今まさにその時期に来ているんですね。
――二極化したということ?
二極化というよりも、なんか全体的にどうでしょうね。トーンダウンしてしまっている。大きくやっちゃったら、組織を維持するのが大変だけど、市民は離れていく。だから、あんまりNGOっていうのはでかくならなくて、小さいものを沢山広げておいて誰でもどこかに気軽にアクセスできる。誰かどっかの団体の会員をやってますよ、みたいなね。一極集中しないで、そういうほんとうに広い状況を作っておくということが、健全のような気がしますけどね。
それこそ、でかくなるってことはずっとでかくしていかなきゃいけないわけですから、企業が勝ち残っていく論理と同じことですよね。すごくそれって大変なことだし、例えば広報戦略にしてみても新聞広告が打てるところとそうじゃないところとはっきり分かれちゃうじゃないですか。新聞に広告出せるというのは、よっぽどじゃないと回収できないですからね。
――そういう中で佐藤さんがやっておられる活動というのは、一人一人を見ようという方向に見えるんですけど。
ええ、そこがやっぱ大事だと思うんですね。じゃあ、やってることは何かっていうと、薬とかを支援するにしてもね、去年・昨年度は、年間で5000万円近い薬を送ったわけです。規模はかなりでかいわけですよね。じゃあ、それだけでいいのかというと、やっぱりそれは僕たち、皆さんから民間で集めているわけですから、顔の見えるところ、それが例えばチョコレートを買ってもらったにしてもね、500円が……それがもうほんとうに薬に変わって一人の命を助けるんですよということ。つながっているっていうことをしっかりと伝えないとお金も集まんないですからね。そういった意味ではほんとうに一人一人の子どもとつながっていくっていう、そういうやり方は大事だと思いますよね。
今なかなかイラクに入れないじゃないですか。ほんとうはね、日本人のボランティアが行きました、とかっていうと話が分かり易いんですけど、そうじゃないところで、じゃあローカル・スタッフのイブラヒムが、どれだけ子どもたちに接して切実な情報を上げてくれるかっていうところが重要です。僕たちはその情報ひとつひとつをさらに吟味して、もうちょっとこういうの教えてほしいとかっていうことをイブラヒムに投げて、それで彼がまた投げ返してくれるっていう、そういうやりとりの中で生まれてくるものって大きいですよね。
――いまNGO、市民の活動といったものはどういう方向に行こうとしていると思われますか?抱えている課題というのは何ですか?
今、すごく見えにくくなっていると思うんですよ、例えば、1990年代の初め頃に、郵政省が「国際ボランティア貯金」というのを作った。小さな団体でもお金が取りやすくなったんですよね。それで現場に人を送ってプロジェクトが出来るっていうので、それをきっかけに現場に入った団体というのは結構多かったんですね。お金がうまくNGOに流れて、現場に行くといろんなものが見えてくるから、新しい発見があっていい時代でした。しかも草の根の範囲を超えないレベルでした。ところが、今回のイラク戦争は、巨大な政府資金がNGOに流れました。数個のNGOに2~3年で30億円というから、すごい金額です。
例えば、そのODAの場合、無償と有償がありますよね。無償の緊急支援みたなものは、だいたい規模がでかくなると紐つきで日本の商社なんかもいっしょにやることが多いんですけれど。それが今回はもう、イラクは危ないからそういう日本の商社はほとんど入って行かない。その代わりにNGOに仕事がまわって来た。だからもうなんていうのかな、草の根的なボランティアっていうレベルじゃなく、セキュリティ管理もきちんとお金かけてやってくださいと。もしかしたら死ぬかもしれないけど、ちゃんとやっていただいてこれだけお金を出しますよ、みたいなビジネスの話でしょうね。
例えばクリニックや学校を作るにしても、1個作ってそれを一生懸命十年もかけて医者を送ったり子どもたちと交流する、みたいなのがNGOのイメージですよね。でもイラクの場合はもう壊してしまったわけですよ、日本も協力して、アメリカとかがね。それを何個作れるか、みたいなもので、何十個つくったとかそういう話になってくると、もう大きく今までのNGOとは違うということになりますよね。
そういった仕事も必要なわけですよ。壊しちゃったんだから、誰かが作んなきゃいけないわけですからね。だからNGOが作る場合もあるだろうし、ゼネコンが作る場合もあるでしょうし、軍がね、全部壊して全部作ってしまう。有償でやろうとしている。お金を貸してあげるのが援助なんでしょうか?
やっぱり、ちょっと前までは、「つながり」が大切だった。なぜその国に関わるのか、っていうことです。日本じゃないところで活動するのは、やっぱり、大きな壁があるわけだし、それを乗り越えてまですることのこだわりがあります。その国の人と苦楽を共にする覚悟というか、「つながり」が大切です。でもプロフェッショナルになって巨大化してしまうと、なかなかそういうものが見えなくて、しかも皆さん一人ずつが、そのお金を払ってそこに参加して作っていくっていうものとは違って、政府の政策でぽんとお金がおりてみたいになってしまうと、なかなか顔が見えにくくなってくるでしょうね。
NGOが巨大化してしまったので、今度はその市民が参加するスペースというのがなかなか見えにくくなってしまった。結果としてNGOを中心に盛り上がってきた市民運動というのを白けさせてしまった、っていうのはあるかもしれませんね。
10年前とかのNGOは面白かったと思います。例えばJVC(日本国際ボランティアセンター)とかを見ていると、次何やるのかなとかね。いきなり(事務局長の)清水(俊弘)さんなんかが飛び出して地雷廃絶とかやるわけでしょ。
それでほんとうに国際条約が出来たりとか、流れが出来てくる。だから面白くって参加するわけですよ。ここにいればもしかしたらイラク戦争を止めることができるんじゃないか、とかね。そういうNGOが社会を変えるというか、作っていくんだというような興奮と実感がありました。
――10年前はそうだったのが、それが変わったのはいつごろからですか?
イラク戦争は、大きかったでしょう。二つに分かれた。戦争に反対の声をあげるか、黙っているか。そして、政府も今まではあんまりNGOの活動にはお金を出しても干渉はしてこなかったんです。補助金とかそれくらいの額だったし。でも、イラクは違った。巨額のお金が流れNGOも振り回されてしまった。イラクはそれで、プラットホーム以外のNGOはほとんど入っていかない。活動する団体数がとても少なかったっていうね。なぜか知らないけれど。一方で、個人のボランティアみたいなものは元気で入って行くわけじゃないですか。「人間の盾」とかもあったし。
でもそれは組織論が全くないから、一発で終わっちゃう。その後どうするのか、みたいなところもなくなって、ちりぢりばらばらになっていく。今まさにその時期に来ているんですね。
――二極化したということ?
二極化というよりも、なんか全体的にどうでしょうね。トーンダウンしてしまっている。大きくやっちゃったら、組織を維持するのが大変だけど、市民は離れていく。だから、あんまりNGOっていうのはでかくならなくて、小さいものを沢山広げておいて誰でもどこかに気軽にアクセスできる。誰かどっかの団体の会員をやってますよ、みたいなね。一極集中しないで、そういうほんとうに広い状況を作っておくということが、健全のような気がしますけどね。
それこそ、でかくなるってことはずっとでかくしていかなきゃいけないわけですから、企業が勝ち残っていく論理と同じことですよね。すごくそれって大変なことだし、例えば広報戦略にしてみても新聞広告が打てるところとそうじゃないところとはっきり分かれちゃうじゃないですか。新聞に広告出せるというのは、よっぽどじゃないと回収できないですからね。
――そういう中で佐藤さんがやっておられる活動というのは、一人一人を見ようという方向に見えるんですけど。
ええ、そこがやっぱ大事だと思うんですね。じゃあ、やってることは何かっていうと、薬とかを支援するにしてもね、去年・昨年度は、年間で5000万円近い薬を送ったわけです。規模はかなりでかいわけですよね。じゃあ、それだけでいいのかというと、やっぱりそれは僕たち、皆さんから民間で集めているわけですから、顔の見えるところ、それが例えばチョコレートを買ってもらったにしてもね、500円が……それがもうほんとうに薬に変わって一人の命を助けるんですよということ。つながっているっていうことをしっかりと伝えないとお金も集まんないですからね。そういった意味ではほんとうに一人一人の子どもとつながっていくっていう、そういうやり方は大事だと思いますよね。
今なかなかイラクに入れないじゃないですか。ほんとうはね、日本人のボランティアが行きました、とかっていうと話が分かり易いんですけど、そうじゃないところで、じゃあローカル・スタッフのイブラヒムが、どれだけ子どもたちに接して切実な情報を上げてくれるかっていうところが重要です。僕たちはその情報ひとつひとつをさらに吟味して、もうちょっとこういうの教えてほしいとかっていうことをイブラヒムに投げて、それで彼がまた投げ返してくれるっていう、そういうやりとりの中で生まれてくるものって大きいですよね。