昭和21年のことである。5月1日のメーデーのあと、19日に「食料メーデー」という集会が、皇居前広場でおこなわれた。その報道が1面トップを飾った。
その見出しは「飢える帝都に食料メーデー 上奏文を可決 廿五万大衆、街頭を行進」と。
* この時であろうか、またはその前のメーデーの時であったのだろうか。「朕はたらふく食っている 汝臣民飢えて死ね」というプラカードを掲げた人が、不敬罪で起訴された。この裁判の結末を私は覚えていない。
* とにかく、食料事情は困難をきわめた。ある裁判官が「法の守り手」であるのでと、闇の食料を入手せず生活して、餓死したという事件が起こったのも、このころのことである。
* 同年5月13日の紙面では、北海道各地の主食配給の遅配状況が載っている。札幌35日、小樽34日、釧路45日、北見74日、旭川72日、このような状況で、よく生き残ってこれたものだ。
* さつまいもやアメリカの援助食糧であるとうもろこし、油を抜いた滓大豆、脱脂粉乳などが、米に替わって配給された。滓大豆のお粥に大根の葉っぱをいれた雑炊をよく食べたものだ。そのためか、慢性の下痢に悩まされたことを記憶している。
* 16日に大命降下(天皇の首相指名)を受けた吉田茂は組閣に着手するが、こうした難局にたじろいで、大臣就任を拒否する者も現れ、組閣工作は困難をきわめた。食料メーデーの記事のすぐ隣に、「組閣、流産の危機へ 吉田氏は投げ出し決意」という記事が載っていた。結局、難産の末、22日に第一次吉田内閣が成立したのだが。
* 二度とこのような時代が来ないことを心から願っている。
その見出しは「飢える帝都に食料メーデー 上奏文を可決 廿五万大衆、街頭を行進」と。
* この時であろうか、またはその前のメーデーの時であったのだろうか。「朕はたらふく食っている 汝臣民飢えて死ね」というプラカードを掲げた人が、不敬罪で起訴された。この裁判の結末を私は覚えていない。
* とにかく、食料事情は困難をきわめた。ある裁判官が「法の守り手」であるのでと、闇の食料を入手せず生活して、餓死したという事件が起こったのも、このころのことである。
* 同年5月13日の紙面では、北海道各地の主食配給の遅配状況が載っている。札幌35日、小樽34日、釧路45日、北見74日、旭川72日、このような状況で、よく生き残ってこれたものだ。
* さつまいもやアメリカの援助食糧であるとうもろこし、油を抜いた滓大豆、脱脂粉乳などが、米に替わって配給された。滓大豆のお粥に大根の葉っぱをいれた雑炊をよく食べたものだ。そのためか、慢性の下痢に悩まされたことを記憶している。
* 16日に大命降下(天皇の首相指名)を受けた吉田茂は組閣に着手するが、こうした難局にたじろいで、大臣就任を拒否する者も現れ、組閣工作は困難をきわめた。食料メーデーの記事のすぐ隣に、「組閣、流産の危機へ 吉田氏は投げ出し決意」という記事が載っていた。結局、難産の末、22日に第一次吉田内閣が成立したのだが。
* 二度とこのような時代が来ないことを心から願っている。